別れの味
私は座りながらただひたすらに、スラム街の道を通り過ぎていく人々を眺め続ける。
私の体の前には空のお椀が一つ置かれている。いわゆる物乞いというやつを私はやっているのだ。
「カエデ、収穫は?」
別の場所で物乞いをしていたサクラがこちらに来て、そう聞いて来た。
「今日も無し。サクラは?」
「申し訳程度の、何だかよくわからん花が一つだけ。食い物は無いよ」
「そっか……」
「もう帰ろう。人通りが少なくなってきたし、これ以上いても意味は無いから」
「分かった」
私たちは二人並んで、トボトボとした足取りで家に帰る。
今日も、自分の無力感に嫌気が刺して仕方がない。
ああ、どうして私たちはこうも無力なのだろうか……。
「ただいま」
おんぼろの、隙間風の酷い家に帰って来た。
当然、明りをたくための道具など無いため、我が家は寒くて薄暗い。
私とサクラは二人、薄暗く狭い家の中で、隙間風に晒されながら空腹を耐える。
ただ、あの人の帰りを待ちながら。
「――――ただいま」
家の中に、落ち着いた声が響いた。
「お母さんっ」
私はすぐさまお母さんの下へ駆け寄り、抱き着いた。
そしてサクラも、私に続いてお母さんに抱き着いた。
「今日はね、いい物が手に入ったんだよ」
お母さんはそう言い、机の上に手に持っていたカゴを置いた。
その中には、色鮮やかなリンゴがたくさん入っていた。
「やった、りんごだっ」
「流石お母さんっ」
「ふふ、ありがとう」
私たち三人は、小さい机を取り囲み、そしてリンゴにかぶりついた。
そのリンゴは、森の中に生えていたものだから凄くすっぱかったけど、それでも凄くおいしかった。
サクラもお母さんも、すっぱいリンゴを食べて、自然と笑顔になっている。
ああ、幸せだ。
決して裕福ではない貧しい生活だけど、こうして大切な人たちと同じものを食べ、笑い合える。こんな幸せな事など無いだろう。
私はこの二人とは血のつながりが無いけれど、そんなことは気にもならなかった。
「お母さん、明日は私たちが絶対に何か食べ物を持って帰ってくるから」
「じゃあ、楽しみにしてるよ。でも、無理はしないでね」
お母さんは優しく私たちに微笑み、私たちはやる気を満ち溢れさせる。
ああ、明日が楽しみだ。
――――こんな日々が、ずっと続くと思っていた。
でも、日常は案外すぐに壊れた。
スラム街の地下に石炭があることが分かって、街を取り囲むように柵ができた。
スラム街に住む人は皆、炭鉱で働くことを命じられ、働けば食料が貰えて働かなければ食料貰えない、そういう制度になった。
この変化を受け、多くのスラム街の住民たちは、自由を縛られるが、その代わりに安定を得られたと喜んでいたが、ウチは違った。
お母さんは、あまり体が強い人では無かった。
体力はあったけど、ずっとぜん息のようなものを患っていて、咳が止まらない事も多々あった。
そんなお母さんが、空気の汚い炭鉱で働ける訳が無かったのだ…………。
――――炭鉱が出来てから半年もしない内に、お母さんは倒れた。
咳が止まらなくなって、全身を蕁麻疹が覆い尽くした。
そして呆気なく、死んでいった――――。
お母さんの死を受けて、私は絶望した。
今まで、私たちが生きてこられたのは全てお母さんのおかげ。
お母さんが居なければ、まだ子供の私たちは、生きてなんていけない。
そう、ただ死を待つことしか、私たちは出来ないのだ――――。
私はお母さんが死んだ日から、寝転がったまま何もしなくなった。
「カエデ、俺は炭鉱に行ってくるが、お前は……」
サクラがそんな私に声を掛けてくる。
でも私は、返事をすることすらしない。
「行ってくるな」
そう言い残し、サクラは去って行く。
―――――どうせ働いたって無駄なのに。
これまで、私とサクラだけで、一日分の食べ物を用意できたことがどれくらいあっただろうか。
きっと、数年間の中で片手の指で数えられる程度にしかなかったはずだ。
サクラと私だけで、生きていける訳がない。
確かにサクラは強い。私と違って、お母さんの死を引きずっていない。
でも、私たちはどうせ死ぬのだ。何をしようが、意味なんてない。
「意味なんてないよ……」
その後も、同じような日々が続いた。
私は今日も、ベッドに横たわりながら、何もせずにただ茫然としている。
「カエデ……」
そんな私を見かねてか、背後からサクラがそう声を掛けて来た。
「実はな、今日はいい物が手に入ったんだよ」
サクラはそう私に語るが、私がサクラの言葉に返事をすることは無い。
というか、サクラの方へ振り返る事すらもしない。
「カエデ、少しだけ待ってろよ」
そう言い、サクラは何かを始める。
「お待たせ」
サクラがそう言って、私の目の前に一枚のお皿が置かれた。
その皿の上には――――ウサギ形に切られたリンゴが乗っていた。
「これ…………は?」
「言っただろ。いい物が手に入ったって」
私は思わず体を起こして、サクラと目を合わせた。
「かなり形はブサイクだが、許してくれよ。これでもだいぶ頑張ったんだ」
サクラはそう言い、私に向かって笑顔を浮かべる。
「そう……」
私はそのリンゴを、口に運んだ。
噛んだ瞬間、口の中に甘い味が広がっていく。
今まで食べて来たリンゴで、断トツで一番甘い。一番甘いのに……。
私はなぜか涙を流していた。
このリンゴは、物凄く甘くておいしいのに、泣いてしまった。
「どう……して」
なぜ自分が泣いているのか理解できなくて、サクラに聞こうと視線を上げると、サクラも目から大粒の涙を流していた。
「サクラ…………?」
私がそう聞くと、サクラは物凄い勢いでリンゴを食べていった。
物凄い勢いでリンゴを食べて、物凄い勢いで泣いていた。
大声を出して、みっともなく泣いていた。
「そうだったんだね…………」
私は、心のどこかでサクラを軽蔑していた。
なんせ、サクラはお母さんが死んだというのに、全く悲しそうな様子は見せないで、普段と何も変わらずに生活をしていたから。
でも、本当は違ったのだ…………。
サクラは、私と同じくらい悲しんでいた。
ただ、必死に強がって、普段と同じ態度を取り繕っていたのだ。
明日を生きるために、必死に自分の心に嘘を付いていたのだ。
「ありがとう。サクラ」
私は、泣き喚くサクラの頭を撫でる。
きっとこのリンゴは、都市から来た炭鉱の職員の物を盗んで来たのだろう。
私を励ますために、そうしてくれたのだろう。
サクラはお母さんが死んでから今まで、ずっと私のために生きてくれた。
なら今度は、私の番だ。
私は、サクラのために明日を生きよう。
「おいしいね。サクラ」
「ああ」
甘いリンゴは別れの味。
でも、別れの辛い感情をスッキリと洗い流してくれる、幸せな味だ。
私はこの日、サクラと二人で生き抜いていくと心に誓った――――。
◆◆◆◆◆◆◆◆
俺は一人、物陰からカエデの様子を見守る。
カエデは、俺が置いたウサギ型のリンゴを見た途端に動きを止めたが、すぐさま噴水のふちに座り、リンゴを口に運んだ。
初めは少しずつ食べていたが、次第に感情が抑えきれなくなったのか、かぶりついて、豪快に食べ進め出した。
僅かに残っている皮の存在だとか、周りの目だとかは一切気にしている様子は無い。
カエデは、豪快にリンゴにかぶりつきながら、豪快に泣き喚いた。
噴水のある広場に、カエデの悲しみに満ちた雄叫びが響き渡る。
それは、世界の裏側まで聞こえてしまいそうな程、大きなものだった。
悲しみに満ち溢れた、悲惨な涙をカエデは流す。
でもその涙は、カエデの中にある俺という呪縛を洗い流す、綺麗な涙だった。
泣き喚いて、鼻をすすって、嗚咽をして、これでもかという程に苦しんでから、カエデは立ち上がる。
依然として、カエデの目からは涙が流れていた。
でもその目は間違いなく、明日を見る強い目だった。
――――次の日、俺は学院の廊下でカエデとすれ違った。
だが、カエデは立ち止まることはせず、たくましい表情をしながら、どこかへ向かい歩いて行く。
カエデの目には、今の俺も、昔の俺も、もう映っていないように見えた。
リンゴのスッキリとした甘さが、彼女の心を洗い流したのだ。
俺はそんなカエデの様子を見て、微笑みながら歩いて行く。
この日この時、一人の女の子の物語は、確かに終わりを迎えた。
だがそれと同時に、新たな物語が、確かに幕を開けたのだ。




