第8話 緻密な設計
数日後、自宅の静寂を破るように、スマートフォンがけたたましく鳴り響いた。
画面に表示されているのは、上司である布施宏明の名前だ。
通話ボタンを押すと、布施の少し慌ただしい、しかしどこか興奮を隠しきれない声が飛び込んできた。
『おい、結弦。一度でいいから、会社に顔を出せないか?』
「会社に、ですか?」
『ああ。お前が送ってくれたあのゲームのデータに関して、上層部から「ぜひ本人を交えて会議を開け」って強い要望が来てさ』
結弦は思わず眉をひそめた。リモートワーク主体で、技術的なことはすべて自分の裁量に任されている。これまで会社の会議に直接呼ばれたことなど、一度たりともなかったはずだ。
「布施さん、それは珍しいですね。俺が会議になんて、今まで一度も呼ばれたことなかったですよね?」
『そうだよ、前代未聞だ! いや、でもな……あのゲーム、社内でテストプレイした奴らが全員ひっくり返ったんだよ。今までのどのゲームよりも、グラフィックの質感も、世界観の作り込みも、桁違いに出来が良いって大評判になってるのさ!』
断りきれず、結弦は数日ぶりにスーツに身を包み、会社へと足を運ぶことになった。
会社までは電車で二駅、直ぐそこと言える距離だ。
――そして、その日の午後。
会社の重々しい大会議室の長テーブルには、異様な緊張感が満ちていた。
上座には社長、その脇を固める役員たちの取り巻き。中堅席には直属の上司である布施部長、そして開発部門から結弦の数人の同僚たちがずらりと顔を揃えている。
「それでは、本日のメイン議題に入ります」
司会を務める阿部経理課長が、資料を手に澄ました声で話し始めた。
会議のテーマは、もちろん結弦が私的プロジェクトのつもりで制作し、ふとした拍子に会社へ送ってしまった『あのゲーム』についてだった。
プロジェクターに映し出されたのは、結弦が作り上げた二つの大陸、港町、そして夜空を彩る獅子座流星群の軌跡だ。阿部が淡々と、しかし驚愕の色を隠せない口調でタイトル案や今後の展開に関する資料を紹介していく。
「ご覧の通り、今回の作品に関して言えば……今までの我が社のゲームイメージとは、もはや比較にならないほどの圧倒的な出来栄えです」
阿部の言葉に、会議室のあちこちから同意のざわめきが起こった。
社長がゆっくりと頷き、結弦の方へと視線を向ける。
「遠国結弦君、素晴らしい仕事を遺してくれた。我が社としても、このプロジェクトは是が非でも本格的な商業タイトルとして立ち上げたいと考えている。……今後の開発スケジュールやシステム拡張を含め、今後の舵取りは、すべて君の裁量に一任したいと思うがね」
突然の抜擢、そして全権委任の打診。
予想もしなかった会社の反応に結弦は少し面食らったが、ふと胸の奥で――あの丘の上の豪邸で、今頃は犬や猫と戯れ、大きな姿見の前でドレスを選んでいるであろう玲子の姿を思い浮かべた。
「……承知しました。それでは、もう少しあの世界の続きを作らせてもらいます」
結弦のその静かで確信に満ちた返答をもって、会議は異例の賛嘆と期待に包まれながら、幕を閉じたのだった。
会社での大騒ぎが一段落したその帰り道、結弦は旧友の公平から連絡を受けて、目黒のレストランで待ち合わせをしていた。
二人がよく足を運ぶその店は、いつものように落ち着いた照明と心地よい賑わいに包まれている。グラスに注がれたビールを軽く合わせ、喉を潤したところで、公平が少し言いにくそうに切り出した。
「なぁ、結弦……。あの後、玲子さんはどうしてるんだ?」
結弦の手がわずかに止まる。
「不思議な話だよな。……悪りぃとは思ったんだが、実は他の友達に少し話しちまったんだよ」
結弦はハッとして顔を上げた。
「おい、公平……!」
「嘘だろ、って顔するなよ。でもな……誰も信じないんだよ。そりゃそうだよな、死んだはずの人間がゲームの中で生きてるなんて、頭がおかしいと思われるのがオチだ」
公平の言葉に、結弦は苦笑しながらグラスを置いた。
確かに、世間一般から見ればあり得ない話だ。今でこそ自分自身がその世界にダイブし、玲子本人と言葉を交わしているから信じられているものの、少し前まで結弦自身だって「これは夢か幻なのではないか」と毎日のように疑っていたのだから。
「それはそうだよな……」
「だろ? だから、俺もこれ以上は詳しく話してない。ただ……」
公平はグラスを見つめ、少し真剣な目を結弦に向けた。
「これからは、あんまり他の奴には言わないでおけよ。お前の頭が変になったんじゃねえかって心配されたり、下手をしたら病院に連れて行かれそうになるからさ」
友を案じる公平の率直な言葉に、結弦は小さくうなずいた。
「ああ、分かってる。……ありがとう、公平」
この奇跡は、自分と玲子、そしてお前と、この小さな世界だけの秘密でいい。
誰かに理解されなくとも、あの丘の上の豪邸で、可愛い犬や猫と過ごし、クルーズ船や満天の獅子座流星群を待っている彼女が確かにそこにいれば、それで十分だった。
つづく




