第6話 ファンタジーに不便は無いか?
空を染める光のグラデーション、風に揺れる草葉や土の質感、そして空気の温度すら感じさせるような緻密な世界。
それはもはや単なるゲームの枠を超え、かつてないほどの圧倒的なリアリティと美しさを放っていた。
「玲子が生きる世界を、少しでも完璧なものにしたい」——そんな妻への強烈な思いが、無意識のうちに結弦の限界を突破させ、常軌を逸したクオリティを叩き出していたのだ。
だが、当の結弦はそんな己の偉業に微塵も気づいていない。
「……よし、食うか」
一人分の簡単な食事を手早く済ませると、結弦は温かいコーヒーを片手に再びモニターの前へと座った。
画面に開かれているのは、『(異世界物語、仮)』と題されたプロジェクトファイル。結弦は玲子の待つ世界をさらに広げるため、淡々と、しかし確かな熱を帯びた指先で、新たなプログラムコードを打ち込み始めた。
――そして、ひと段落ついたところで、結弦自身もシステムを通じてあの世界へとダイブした。
降り立ったのは、石畳が広がる冒険者ギルド。手早く冒険者としての登録を済ませる。
アバターのスタイルは、かつてよく使っていた使い慣れた「剣士」の装備を選んだ。正直なところ、今はステータスもスタイルも何でも良かった。ただ一刻も早く、彼女の元へ行きたかったからだ。
背中に大剣を背負った物々しい格好のまま、結弦はギルドを飛び出した。港を見下ろす坂道を一気に駆け上がり、海からの風が心地よく吹き抜ける、その丘の上に建つ家へと急ぐ。
ドアを開けると、そこには穏やかな光景が広がっていた。
玲子はゆったりとした普段着のまま、窓際のソファーに腰掛けていた。窓の向こうには、太陽の光を反射してきらきらと輝く穏やかな海面が広がっている。
足音に気づいた玲子が振り返り、結弦の姿を見るなり目を丸くした。
「結弦? 何、その格好?」
くすくすと笑いながら、玲子が首を傾げる。
「これから何処か、冒険にでも出掛けるの?」
「いやいや、これはだな! その……とりあえず急いで来たから、いつもの装備のままで……」
慌てて言い訳をしながら、結弦は自分のゴツゴツした剣士姿を見下ろした。確かに、自宅のソファーでくつろぐには場違いすぎる。
「そうか、俺や玲子の普段着も、クローゼットに着替えとして用意しておくべきだな。すぐプログラム組んでおくよ」
「ふふっ、お願いね。鎧のままだとハグするのも痛そうだし」
「あ、ああ、そうだな……。後、何か不便は無いか? 足りないものとか、欲しいものがあれば何でも言ってくれ」
結弦が尋ねると、玲子は少しだけ考える素振りを見せて、窓辺から視線を戻した。
「そうねぇ……。ペットが欲しいかな」
「ペット?」
「うん。結弦が現実の世界でお仕事してて、ここに居ない間、部屋で癒されるようなワンコと猫が良いかなって」
一人きりの時間を寂しがらず、むしろこの世界を楽しもうとしてくれる玲子の明るい願いに、結弦の胸がじんわりと温かくなった。
「よし、分かった! 最高に可愛くて賢いやつを創ってやる。少し待っててくれ!」
結弦は力強く頷くと、愛する妻の願いを叶えるため、再びクリエイターとしての顔つきでメニュー画面を展開するのだった。
玲子の願いを叶えるためログアウトしようとした結弦だったが、ふとその足をとめた。
再び窓辺へと視線を戻し、静かに海原を見つめている玲子の横顔が気になったのだ。
(……なぜ玲子は、あんなにじっと海を見ていたんだ?)
ただ景色が綺麗だからだろうか。いや、違う。
結弦はクリエイターとしての視点で、玲子が見つめる先の景色を脳内で解析し始めた。
圧倒的なリアリティで作り込まれた自然の美しさはある。しかし、今のこの世界の海には「動き」が足りないのだ。
果てしなく広がる美しいだけの水面。そこには、世界が生きているという息吹が存在しなかった。窓からずっと眺めているには、少し寂しすぎる。
「海原に船、か……!」
ログアウトし、現実世界の薄暗い仕事部屋でモニターと向き合った結弦の脳内に、鮮烈なインスピレーションが閃いた。
「これだ。港を作り、そこを行き来する貿易船を浮かべるんだ!」
ただ海を眺めるだけでなく、遠くの異国からやってくる大きな帆船や、活気ある港町の風景があれば、玲子が窓から外を眺める時間は何倍も楽しくなるはずだ。風を切って進む船影を探す楽しみもできる。
「となれば……世界地図の根底からの見直しが必要だな」
結弦はエディタの別ウィンドウを開き、世界の全体図を呼び出した。そして迷うことなく、既存の地形データを大胆に描き換えていく。
「大きな大陸を南西と北東に2カ所。その周りには、独自の生態系を持った小さな島々を散りばめて……」
キーボードを叩く音が、静かな部屋にリズミカルに響き渡る。
海流を設定し、二つの大陸を繋ぐ航路を引く。貿易船が行き交うということは、当然、物資の流通拠点が必要になるということだ。
「よし、向こうの大陸にも巨大な街を作ってやるか!」
つづく




