第5話 途中経過の連絡
なぜ玲子がここから出られないのか。結弦は重い口を開いた。
「なぁ、玲子……。俺たち、これからはここでしか二人で居られないんだ。玲子はあの時、買い物帰りに車に撥ねられて——」
「あ、そうそう! それ思い出したよ!」
深刻な空気を吹き飛ばすような玲子の一言に、結弦は言葉を失う。
「とにかく家に帰らなきゃ!って頑張って帰ったんだけどね、玄関のドアノブに手を掛けたらすり抜けちゃって。
あー、私死んだんだって分かったの。それで結弦を待ってたんだけど、もしかしてゲームの中に入って待てば見つけてくれるんじゃないかと思ってさ!」
「……お前なぁ」
「で、しばらくしたら記憶が薄れちゃって、冒険者ギルドの中に居たってわけ」
全てを思い出したはずなのに、玲子には悲壮感など欠片もなかった。
「まー、そんな訳だから! 気分転換にチョット飛んでくるわ。そこで待っててね!」
ブォン!とエンジンを吹かし、玲子はあっけにとられる結弦を残して、一直線に空へと飛んで行ってしまった。
「……全く、あいつは」
呆れたように空を見上げた後、結弦は小さく息を吐いてヘッドセットを外した。
視界を覆っていたファンタジー世界は途切れ、見慣れた現実の部屋の景色が戻ってくる。
結弦はソファーから立ち上がり、静かな居間へと向かった。
そこにあるのは、小さな玲子の位牌。ドアノブをすり抜けてしまったという彼女の言葉が、改めて重く胸にのしかかる。
火をつけた線香を香炉に立て、チリン、と小さな鈴を鳴らす。
立ち上る煙を見つめながら、結弦は静かに目を閉じた。
悲しみは消えないが、それでもあの世界に行けば、またあの底抜けに明るい声を聞くことができる。
「……また後でな、玲子」
誰の返事もない静寂の部屋の中で、結弦は祈るようにそっと呟いた。
線香の細い煙が揺れるのを見つめながら、結弦の脳裏に玲子の両親の姿が浮かんだ。
一人娘を突然の事故で失った二人の悲しみは、計り知れないほど深かった。葬儀の席での、あの憔悴しきった姿が今も目に焼き付いている。もし、『玲子はあのゲームの中で生きていますよ』と伝えたら、二人は少しでも救われるのだろうか。
しかし、数秒考えて結弦はかぶりを振った。
「……いや、無理だろ」
あんな信じがたい話を、誰が真に受けるというのか。悲しみのあまり結弦の頭がおかしくなってしまったと同情されるか、悪質な冗談だと激怒されるのがオチだ。結弦は即座に、この奇跡を誰にも言わず、一旦自分の胸の奥に封印することを決意した。
だが、ふと先ほどまで空飛ぶバイクで楽しそうにはしゃいでいた彼女の顔を思い出す。
「あ! 後で玲子本人に聞いてみるのも良いか」
誰に言うでもなくそう呟くと、結弦は少しだけ軽くなった足取りで立ち上がった。
だが、ふとスマートフォンの画面が目に入り、もう一つの現実的な課題を思い出す。
「そろそろ、会社にも連絡しないとな……」
結弦は普段から自宅でのリモートワークが中心で、実際に会社へ出向くのは月に2回、多くても4回程度だ。妻の突然の不幸ということもあり、会社側も気を利かせて、結弦の心が落ち着くタイミングを静かに待ってくれているのだろう。あえて急かすような連絡をしてこないのは、普段の業務でのやり取りや連絡態勢からも容易に読み取れた。
(ありがたいな……)
心の中で小さく感謝しつつ、結弦は連絡用のメッセージアプリを立ち上げた。
結弦は仕事用の端末を操作し、途中まで組み上げていたゲームのデータを会社へ送信した。
メッセージには簡潔に、「確認よろしくお願いします」とだけ添える。
送信してまもなく、着信音が鳴った。画面には上司である布施宏明の名前が表示されている。結弦が通話ボタンを押すと、電話越しに気遣うような声が響いた。
『もしもし。……大分、落ち着いたか?』
「はい。ご心配をおかけしました」
『いや、いいんだ。余り無理しないでな。今のプロジェクトはまだ納期に余裕があるから、お前のペースで大丈夫だ』
布施の温かい言葉に、結弦は小さく息を吐き出した。会社側が急かさずに待っていてくれたことが、声のトーンからも十分に伝わってくる。
『送ってくれたデータ、とりあえず内容だけ確認しておくよ。じゃあな』
結弦の負担にならないよう、布施は手短に用件だけを伝えて電話を切った。
通話の切れたスマートフォンを見つめながら、結弦は少しだけ肩の力が抜けるのを感じていた。
結弦自身は全く気づいていなかったが、先ほど会社へ送信したゲームデータは、彼がこれまでに手がけてきたどの作品とも次元が違っていたことを。
つづく




