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失われた妻の世界を、未完成のコードで取り戻す  作者: 一雲一人


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第4話 尽きないアイデアと空を飛ぶ


画面の中で、坂道を駆け下りていく玲子の背中を見守りながら、俺は深く背もたれに寄りかかった。


彼女が誰と出会い、どんな会話を楽しむのか。それはもう、この世界を創った神様である俺にすら、完全には予測できない。


だが、その方がいい。彼女はきっと、思いがけない出会いや景色に心を躍らせるだろう。


せっかくこの世界で暮らしていけるのだから、彼女が望むもの、必要なものは、俺の手でいくらでも作ってやればいい。


モニターの向こうの彼女が、そして俺たちが、楽しく生きていける唯一の場所にしたいから。


だが、一つだけ確実に設定している絶対のルールがあった。


この世界には、犯罪も、災害も、理不尽な事故も存在しない。玲子を傷つける可能性のある変数は、ソースコードの段階で全て根絶やしにした。現実世界がどれほど残酷でも、この箱庭だけは完璧に安全な楽園でなければならない。


モニターの中では、玲子が広場の噴水前で足を止め、通りがかったNPCと何やら楽しそうに言葉を交わしていた。その姿を眺めているだけで、俺の頭には次々と新しいアイデアが湧き上がってくる。


街を歩き回るだけでは、いずれ限界が来るだろう。俺が仕事をしている間や、どうしても家を空けなければならない時間帯でも、彼女が一人で退屈せずに、さまざまな体験ができるようにしたい。


「そうだ……空を飛べるアイテムがあれば、もっと遠くまで行けるな」


俺は再びエディタを開き、新しいオブジェクトの設計を始めた。


イメージしたのは、風を切って走る流線型のバイクだ。ただし、タイヤはいらない。空気を蹴ってふわりと浮き上がり、操作も簡単で安全に大空を駆け抜けることができる特殊なホバーシステムを組み込む。


そして、その「足」を彼女に贈るなら、世界はもっと広げる必要がある。


もちろん、現実の乗り物にあるような危険は一切排除した。


このバイクには、完璧な衝突回避のアルゴリズムが組まれている。万が一、NPCの住人たちが突然行く手を塞いだり、不意に障害物が現れたりしても、見えないクッションに包まれるように手前でふわりと自動停止する絶対的な安全機能だ。彼女にはただ、風と一体になる自由だけを感じてほしいから。


そして、その安全な翼で彼女がどこまでも飛んでいけるように。


北へ向かって飛べば、見晴らしの良い坂道から見下ろす海が凍りつき、しんしんと美しい雪が降り積もる静寂の銀世界が広がる。逆に南へ向かえば、透き通るようなエメラルドグリーンの海と、常夏のヤシの木が潮風に揺れる真っ白な砂浜が待っているように。


気候も、風景も、匂いすら感じられそうなほど緻密なプログラムで、彼女の冒険の舞台を次々と配置していく。


「南の島には、星が綺麗に見える展望台も作ろうか……北の雪国には、暖炉のある小さなロッジも必要だな」


独り言を呟きながら、俺は夢中でキーボードを叩き続けた。


深夜の疲労などとうに消え失せていた。玲子を喜ばせるためのアイデアは、まるで泉のように尽きることなく溢れ出てきた。



俺は新しく書き上げたコードを走らせ、彼女の目の前に流線型のホバーバイクを出現させた。宙にふわりと浮いた真新しい機体を見て、玲子は驚いたように目を丸くしている。


「操作方法はすごく簡単だ。右のグリップとレバーがアクセルとブレーキ。高度の上げ下げは足元のフットレバーを踏み込んで調整する。左右への方向転換は、もちろんハンドルを切ってもいいんだけど……」


俺は少し得意げに笑いながら、機体のシートを軽く叩いた。


「普通のバイクみたいに、上下左右への動きは『体重移動』だけでもスムーズに反応する仕様にしてある。風を切る感覚を、直感的に楽しめるようにな」


『へえ……! なんだか難しそうだけど、面白そう!』


玲子は目を輝かせながら、おっかなびっくりシートに跨がり、ハンドルの感触を確かめている。その姿を見て、俺は念押しするように付け加えた。


「あと、万が一空中でバランスを崩して、逆さまに落ちたとしても絶対に怪我はしない。地面や水面の手前五十メートルまで来たら、自動的に徐々に落下速度が落ちて、ふわりと無傷で着地できるセーフティプログラムを組んであるからな」


『ふふっ、絶対安全ってわけね』


「ああ。……ただ、海面に落ちた場合は、流石に多少は濡れる仕様だけどな」


俺がそう付け足すと、玲子は生前と変わらない無邪気な声で、くすくすと笑い声を上げた。


「もう、結弦ったら本当に過保護なんだから! でも、濡れるのはそのままにしてあるのが結弦らしいね」


あぁ、それは後でちゃんと泳げる仕様にするためにそのままにしてるだけだけどな。


玲子は嬉しそうにそう笑うと、キュッと右手をひねり、ゆっくりとアクセルを開けた。


それと、ドライバーが海に落ちて居なくなった場合、玲子を探して近くまで自動で戻るから、安心して落ちてくれ。


玲子の笑い声が響く。


静かな駆動音と共に、機体が少しだけふわりと高度を上げる。彼女の新しい冒険が、今まさに始まろうとしていた。



つづく

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