第3話 神様みたいなプログラマー
声を荒らげそうになるのを必死に抑え、俺はゆっくりと言葉を紡いだ。ここで彼女が消えてしまったら、もう二度と会えないかもしれないという恐怖が胸を支配していた。
「大丈夫だ。俺が別のファイルで環境を全部整える。お前がそこから出られなくても、絶対に不便がないように、俺が全部のコードを書き換えるから」
『結弦……?』
「だから……要望を言ってくれ。どんな場所がいい? どんなものが欲しい? お前が望むものは、俺が全部プログラムして、そこに作り出すから」
モニター越しの玲子は、きょとんとした表情で立ち尽くしていた。
やがて、彼女はふっと柔らかく微笑み、少し楽しそうな、生前と変わらない無邪気な声で言った。
『全部、作ってくれるの? ふふっ、結弦ってば、なんだか神様みたいだね』
彼女は少し考えるように視線を宙に向け、やがて思いついたようにポンと手を叩いた。
『じゃあね……坂道が欲しいな。見晴らしのいい丘の上に私たちの家があって、そこから海に向かってまっすぐ続く、綺麗な坂道。それから……家の裏には小さな庭が欲しい。種から野菜を育ててみたいの。……結弦、そんなことまでできる?』
「……ああ、できるさ。余裕だよ」
視界が滲むのを誤魔化しながら、俺はエディタ画面に向き直った。
海へと向かって真っ直ぐに落ちていく坂道の傾斜角。水面を反射する光のテクスチャ。柔らかい土の質感と、そこに蒔かれた小さな種が日数をかけて芽吹くためのアルゴリズム。
頭の中に、彼女が望む景色のコードが次々と組み上がっていく。
「今から作る。少しだけ、待っててくれ」
カタカタというキーボードを叩く乾いた音だけが、静まり返った部屋に響き続ける。
時計の針は深夜をとうに回っていた。それでも、俺の指は止まらない。
玲子が望んだ世界を、一つ残らず形にするために。
美しい坂道を作る。
見晴らしの良い丘の上に、二人で暮らす家を建てる。
家の裏には小さな菜園を用意し、日差しや雨量、土の表面の湿度まで計算して、にんじんなどの野菜が少しずつ育っていく緻密なプログラムを書き込む。
海は朝日に輝き、夕暮れには茜色へ染まり、夜には静かな月明かりを映すように。
あたたかい雨が降り、心地よい風が吹き、鳥がさえずり、季節の花が咲くように——。
俺はただひたすらに、彼女のための世界を打ち込み続けた。
丘の上の小さな家と、芽吹きを待つばかりの菜園。
完成したそれらを画面越しに眺めて嬉しそうに笑う玲子を見て、俺の胸の奥にさらに大きな創作意欲が湧き上がってきた。
(……これだけじゃダメだ。いつか玲子は退屈してしまうかもしれない)
彼女がずっとこの世界で生きていくのなら、ここはただの「家」ではなく、「世界」でなければならない。
俺はエディタの新しいウィンドウを開き、丘の下、海へと続く坂道の終着点に、新たなエリアの基盤を構築し始めた。
ただの現代の街並みでは面白みがない。どこか懐かしく、それでいて見たこともないような、少し異世界じみたレンガ造りの家々と、入り組んだ石畳の路地を描き出していく。
「結弦? 今度は何を作ってるの?」
『お前が退屈しないように、街を作ってるんだ。ご近所さんがいないと寂しいだろ?』
カタカタとコードを打ち込みながら答えると、ヘッドセットの向こうで玲子が嬉しそうに息を呑む気配がした。
街のガワだけじゃない。重要なのはそこに「命」を吹き込むことだ。
俺は街で暮らす100人の住人(NPC)のデータを生成し始めた。ただ決められたセリフを繰り返すだけの村人Aでは意味がない。俺は会社のサーバーから独立させた強力なAIモデルを、彼らの会話アルゴリズムに直接組み込んだ。
年齢、職業、性格のパラメーターを一人ひとりに設定していく。
例えば、路地裏で工房を営む無骨な老職人。壊れた道具を何でも直し、時には「何があっても自分の足で踏ん張れ」と、不器用ながらも力強い人生の教訓を語ってくれる親父のような存在。
あるいは、市場の入り口で店を構える若者。どこか懐かしさを感じさせる、一度聞いたら忘れられないような特徴的で無邪気な笑い声を持たせた。
100人それぞれのAIが、その日の天気や、玲子との過去の会話の文脈を記憶し、自律的に思考して言葉を紡ぎ出す。ほぼ二度と同じ回答が返ってくることはない、完璧なコミュニティだ。
「……よし、完了だ」
エンターキーをターン、と強く叩く。
その瞬間、静まり返っていた画面の中の街に、一斉に灯りがともった。
広場を歩く人々のざわめき、遠くで響く鍛冶の音、子どもたちの笑い声。100人のAIたちが、この世界で独自の生活を始めたのだ。
『わぁ……! すごい、結弦、すごいよ! 下の街、人がいっぱい歩いてる!』
丘の上から街を見下ろしていた玲子が、弾んだ声で叫ぶ。
『ねえ、結弦! 私、ちょっと街まで降りてみてもいい!?』
「ああ、もちろん。行ってきなよ」
画面の中で、坂道を駆け下りていく玲子の背中を見守りながら、俺は深く背もたれに寄りかかった。
彼女が誰と出会い、どんな会話を楽しむのか。それはもう、この世界を創った神様である俺にすら、完全には予測できないことだった。
つづく




