第13話 残された面影
幼かった玲子は言葉の意味すら分かっていなかったはずで、AIが過去のデータから生成できるはずもない「感情の記憶」。
「……あ……ああ……っ!」
お母さんは口元を押さえ、崩れ落ちるように泣き出した。
「玲子……! あなた、本当に玲子なのね……!? 機械なんかじゃない、私の玲子がそこにいるのね……!」
「結弦くん……このゲームは、市販のものとは全く別物なんだろう?」
ヘッドセットを外した義父が、まだ興奮の冷めやらぬ面持ちで尋ねてきた。
「うちのパソコンにも、玲子を置いていくことはできないのかい? そうすれば、家でもいつでもあの子に会えるんだが……」
切実な眼差しに向けられた無茶振りに、結弦は静かに首を振った。
「お気持ちは痛いほど分かります。でも……玲子は一人しかいないんです。
データを複製して別の場所にコピーしたとしても、それは玲子ではなく、ただ『玲子の形をした精巧な人形』になってしまう。
この専用マシンの環境と、あの世界のサーバーがあって初めて、玲子の心が維持されているんです」
「そうか……そうだよね。無理を言ってすまなかった」
「いえ。ですから、いつでもここへ来て話しかけてあげてください。それが玲子にとっても一番嬉しいはずですから」
結弦の真摯な説明に、両親は深く頷き、納得してくれた。
帰り際、結弦は少し声を落として付け加えた。
「それからお父さん、お母さん。今日ここで見たことや玲子の話は、絶対に外ではしないでくださいね。……下手に話すと、頭がおかしくなったと思われて病院に送られかねませんから」
「分かっているよ。二人だけの……いや、三人だけの秘密だな」
少し照れくさそうに笑い合い、両親は満足そうな表情で帰路についた。
そして数日後、両親から一つの切実な相談が持ち出された。
『私たちの家の近所に引っ越してきてくれないだろうか』
引っ越し費用は全額負担するし、近所なら結弦くんも食事にも来れる。
両親の家から結弦のアパートまでは電車で1時間ほど。会社へは二駅だが、仕事はほぼリモートワークで完結しているため、物理的な問題はなかった。
それを両親は知ってもいた。
池の周りを歩きながら、静かな水面に映る緑を見つめる。ここには玲子と歩いた季節の記憶が、あまりにも深く刻まれすぎていた。この場所を離れるのは、彼女との思い出を置いていくような寂しさがあった。
その夜、結弦はVR世界で玲子に切り出した。
「なあ玲子、ご両親が『家の近所に来てほしい』って言ってるんだが……どうしたらいいと思う?」
玲子は少し首をかしげ、ふっと遠くを見るように呟く。
「ここのアパートも、二人で暮らした思い出が沢山あるもんね……。でも、結弦が良いと思うなら、私はどっちでもいいよ」
愛おしそうに微笑む玲子の言葉に、背中を押された気がした。
愛する娘を失ったご両親の気持ちを思えば、「歩いて行ける距離に」という願いを断る選択肢はない。
「……行こう。玲子も、そう言ってくれたしな」
結弦は意を決し、両親の家の目と鼻の先へ引っ越すことを決めた。
引っ越し当日。
ゲーム制作専用の繊細なマシンを運ぶため、結弦は自ら慎重に梱包作業を進めた。
しかし、マシンの電源を落とす間際、モニターの端でアクセスランプが一瞬だけ不自然に激しく明滅した。まるで何かを訴えかけるような、奇妙なノイズ――。
ほんの数秒の違和感だったが、結弦の胸に小さなざわめきが残った。
新居に到着し、手早く荷解きを済ませる。
真っ先に組み上げたのは、もちろんあの専用マシンだった。
回線を繋ぎ直し、電源を入れる。いつもなら起動と同時に、あの見晴らしの良い丘の上の宮殿が表示され、愛くるしい笑顔の玲子が「おかえり」と迎えてくれるはずだった。
だが――。
画面に映し出されたのは、青く澄み渡る誰もいない空と、静まり返った宮殿の風景だけだった。
「……え?」
システムログには、無機質なエラー表示が点滅している。
『対象アバターの応答なし』
いくらサーバーの深層を検索しても、玲子のIDも、データの残痕すらも見当たらない。引っ越しによる環境の変化か、それとも移動中のノイズが原因なのか――。
まるで最初から誰も存在しなかったかのように、玲子は画面の中から消え去っていた。
「玲子……? どこに行ったんだ、玲子!?」
誰もいない新居のリビングに、結弦の焦燥した叫びだけが虚しく響き渡った。
その時、足元にすり寄ってくる気配があった。足元を見下ろすと、そこには犬のジョンと猫のミーコが不安そうに結弦を見上げている。
(……待てよ。コイツらなら、何か知っているんじゃないか!?)
彼らはただのNPデータではない。言葉を理解したうえで言葉をワンとニヤーのバリエーションに変更しているだけだ!記憶内で玲子の傍らにずっと寄り添っていた存在だ。
結弦はすぐさまコンソールを開き、キーボードを猛然と叩き始めた。言葉を発しない二匹のシステムへ直接介入し、直前のログと記憶データを音声として出力するプログラムを急ピッチで組み上げる。
一時間後、スピーカーからミーコの合成音声が響いた。
『……あのね、電源を消される直前、ご主人が叫んだの。『あぁ〜! 吸い出される〜!』って。……以前、データがコピーされた時も『そんな感じがする』って言ってたの』
「吸い出される……!?」
結弦の背中に冷たい汗が伝う。
引っ越しの際、PCの電源を落としたあの瞬間――玲子のデータではなく、彼女の「魂(霊)」そのものがマシンから弾き飛ばされ、あの碑文谷池近くの旧アパートに取り残されてしまったのではないか。
「まずい……! まずいぞ!!」
時間はすでに深夜に差し掛かっていたが、なりふり構っていられなかった。結弦は即座に幼馴染の公平へ電話をかける。
「公平! 頼む、今すぐ車を出してくれ! 頼むから今すぐ来てくれ!!」




