第8話:後悔
板チョコの甘さが口の中から消える頃、守屋は重い口を開いた。
「……あの大会の時……成瀬先生が初めて僕を褒めてくれたんです。結果以外のことを……真っ直ぐ試合をしたことを」
康介は何も言わず、ただ静かに頷いた。守屋は防具袋の紐を、指が白くなるほど強く握りしめる。
「もう、あそこには居たくない……。でも、親に何て言えばいいか。ここに来たら迷惑をかけるってことも、分かっています……」
自分を裁くような守屋の言葉。傍らで聞いていた遥の表情が曇った。
「……入口にいた男の子、瞬のことなんだけどね」
遥は、喉元まで出かかった鋭い言葉を飲み込み、静かに語り始めた。
「瞬はね、あなたたちの道場と試合をして、剣道が嫌いになったの。もうやめたいって……夢でうなされるほどに」
守屋が、不意を突かれたように顔を上げる。
「でも、あの子は成瀬先生に出会って、ようやく前に進めた。……そしてあなたも、成瀬先生に出会った。……先生なら、瞬とあなたを、救えるかもしれないわね」
遥はそれだけ言うと、逃げるように師範室を出た。廊下の闇に隠れ、壁に手をついて強く拳を握る。
「……私が、連れて来ちゃった……」
息子への申し訳なさと、やり場のない憤りが胸を焼いていた。
*
夜の道場。
「……なんだよ」
瞬の冷たい声が、静寂を切り裂いた。床に膝をついたままの守屋が、震えながら顔を上げる。
「……お前がどんなに辛い思いをしたか知らないけどさ、悪いけどお前たちが俺にしたこと、消えるわけじゃないんだ」
瞬は言葉を絞り出した。守屋自身が悪いわけではないことは分かっていた。だが、彼をどう受け入れればいいのか、心の整理がつかない。
「……分かってる。君の相手は、鷹司だったね」
鷹司。
その名を聞いた瞬間、瞬の背筋に凍り付くような悪寒が走った。
「あいつは、大河内先生が作り上げた怪物だ。負けた奴は、鷹司に稽古で徹底的に叩き潰される。……僕も、怖かったんだ」
瞬は言い返す言葉を失った。
憎むべき敵だと思っていた少年もまた、自分と同じ化け物の影に怯えていたのだ。
「……あそこに居た僕が……ここに来るべきじゃなかったね」
守屋は力なく立ち上がり、背を向けた。
そのまま道場を出て行こうとした、その時。
「ちょっと待てよ……」
瞬が呼び止めた。自分自身の恐怖を振り払うように口を開く。
「明日……俺と勝負しろ」
守屋の肩が大きく震えた。何かを言いかけ、喉を鳴らし、やがて深く、深く頭を下げた。
瞬はそれを見届けることなく、踵を返して道場を去った。
窓の外では、雨上がりの冷たい月が、二人を等しく照らしていた。




