第9話:交わる剣と心
翌朝、午前五時。
鶏の声さえまだ響かない静寂の中、明鏡館の床板を叩く音が響いた。
瞬が道場の扉を開けると、そこにはすでに面を傍らに置き、正座して待つ守屋の姿があった。
遥は、少し離れた板間で黙って見守っている。昨夜の緊張感は、一晩経って消えるどころか、さらに研ぎ澄まされていた。
瞬は無言で守屋の正面に座り、防具を着けた。二人が面を着けて向かい合う。
「手加減しないよ」
「手加減なんてしたら、一生許さねぇからな」
面金越しに視線がぶつかる。
「見届人は俺がする。試合ではない。お互いに気が済むまでやれ。……はじめ!!」
康介の合図と共に、道場の空気が一変した。
先に動いたのは守屋だった。その踏み込みは凄まじく速い。最短距離で相手を射抜く、虎皇館の足さばきだ。
(速い……!)
瞬の身体が、一瞬、恐怖で硬直した。守屋の白い胴着が、あの鷹司を思い出させる。
次の瞬間には、守屋の竹刀が瞬の面を完璧に打ち抜いていた。
だが、瞬は止まらない。雑念を振り払い、泥臭く追いかける。
振り向きざまを狙い打つが、守屋は既に防御姿勢を完成させていた。それに構わず、瞬は守屋の竹刀ごと上から叩き割るような一撃を放つ。
シャリン、と鋭い音が響く。
瞬の強烈な打撃を最小限の動きで受け流し、守屋が鋭く踏み込んだ。
「胴――!!」
パーーンッ、と乾いた音が道場に反響する。
瞬の胴は真っ二つに切り裂かれたかのような衝撃に襲われた。
さらに守屋の技は続く。瞬が頭を捻って面をかわした刹那、守屋の剣先は既に瞬の小手を打ち落としていた。
(……強い。これが、王者虎皇館のレギュラーか……!)
次々と流れるように繰り出される技。瞬の心は折れかける。
その時、脳裏に明鏡館の仲間たちの顔が浮かんだ。
大吾の豪快な笑い。佐伯の冷静な分析。凛のさりげない優しさ。そして、康介のあの問いかけ。
(逃げるのか……)
「に、げ、て……たまるかぁ!!」
瞬の身体が弾けた。
守屋のスピードを、執念が上回る。瞬の面を守屋がギリギリでかわすが、瞬はその勢いのまま体当たりを食らわせた。
「くっ!? なんてしぶとい……!」
バランスを崩した守屋に、瞬の引き面が迫る。
康介の瞳が光る。
(守屋の強さが、瞬を引き上げている……!)
お互いに一歩も引かない、死力を尽くした打ち合い。
二人の体力が限界を迎えたその時、瞬の気迫がわずかに守屋を上回った。
脳天を叩き割るような、真っ直ぐな、明鏡館の面。
「メェェェェン!!」
崩れ落ちる守屋。
「止め!! それまで!!」
康介の声が静寂を呼び戻す。二人が道場中央で構え直し、お互いに下がって礼をした。
「「ありがとうございました」」
その言葉に、遥が息を呑んだ。
始まりの礼の時、二人の喉からは一言も音が出なかった。
けれど今、二人は全てを脱ぎ捨てて戦い抜き、お互いを認め合った。
相手に感謝する、最高の言葉が自然に溢れ出していた。
「ガハハハ! やっと終わったか! 次は俺の番だ!」
静寂をぶち破るような大吾の豪快な声。
驚いて振り向くと、そこには鼻息を荒くした大吾、呆れ顔の佐伯、そして不敵に微笑む凛の姿があった。
「面白そうなことしてるじゃない。見てるだけなんて無理よ」
「虎皇館のレギュラーと稽古できる機会なんて滅多にないからね。たっぷりと分析させてもらうよ」
そこからは、嵐のような稽古だった。
大吾の蹂躙。佐伯の精密機械。凛の華麗な陽炎。
稽古が終わった瞬間、守屋はその場に崩れ落ちた。
「……もう、指一本動かない……」
瞬との全力の勝負の直後に、三人を相手にしたのだ。
エリートのプライドも、虎皇館の面影も、今の守屋には残っていない。
ただ、心地よい疲労だけが全身を包んでいた。
「なかなかやるじゃねぇか。根性あるぜ!」
「さすが虎皇館のレギュラー。データにない粘りだね」
「ふふ、最後はあたしの勝ちだけどね。お疲れ様」
大吾に背中を叩かれ、守屋は弱々しく笑った。
「ひどいよ……瞬くんと全力でやった後に、よってたかって……」
道場に、全員の爆笑が響き渡った。
守屋は床に転がったまま、高い天井を見上げた。
(今まで、稽古でボロボロになったことは数え切れない。辛くて、苦しくて、吐きそうなことばかりだった……。なのに、なぜ今は、こんなに気持ちがいいんだろう……)
その視界に、一人の少年が入り込む。
瞬が守屋の手を掴み、力強く引き起こした。
「瞬……くん」
「瞬でいいよ。それから……」
瞬の顔に、曇りのない笑顔が浮かぶ。
「虎皇館のレギュラーって呼び方も、もうやめないとな。だってこれからは……」
「明鏡館の……仲間だから」




