第73話:残像の領域
先鋒戦、瞬がもぎ取った泥臭い「一本」の余熱が、まだ試合場に立ち込めていた。
次鋒・凛が開始線に立つ。対峙する虎皇館の次鋒は、先鋒が崩された「計算外の熱」を即座に消し去るような、氷のように冷ややかな目を凛に向ける。
(瞬が繋いでくれた……。次は、私の番)
「始め!」
審判の声と同時に、凛の姿が陽炎のように揺れる。
彼女の持ち味である、摩擦を感じさせない極限の足さばき。円を描き、相手の視界の外側へと滑り込む。
だが、虎皇館の次鋒は動かない。凛がどれほど高速で旋回しようとも、相手の剣先は常に凛の喉元を射抜き続けている。
(……見てる。私の動きに反応しない……!)
凛は戦慄した。虎皇館の次鋒は、凛の動きを「追って」はいない。凛の歩幅、重心の移動、踏み込みの予兆――その軌道上に先回りして剣を置いているのだ。
「足さばきだけで、虎皇館には通用しない」
新免が、冷ややかに呟く。
凛が右へ、左へ、ステップを踏む。しかし、いざ打突の間合いに入ろうとすれば、必ずそこに相手の剣先が鋭く突き刺さる。
(リズム……。一定の速さじゃダメなんだ。相手の呼吸を、乱す!)
凛は、あえて速度を落とした。
ゆったりとした、拍子抜けするような動き。虎皇館の次鋒の剣先に、一瞬の「淀み」が生じる。予測できない不自然な減速。
――そこだ。
凛の左足が、床を爆発させる。
0から100へ。物理的なトップスピードではない。相手の意識が「緩んだ」瞬間に、最高速を叩き込む。
「面ぇぇいっ!」
凛の体が、一直線の閃光となった。予測していたタイミングよりも、コンマ数秒早い。
虎皇館の次鋒が、初めて大きく仰け反り、竹刀を振り上げた。
乾いた音が響く。凛の面が、相手の面布団を僅かに捉える。だが、相手も辛うじて竹刀を当て、有効打突を避けた。
「……惜しい!」
大吾が身を乗り出す。
「あいつの予測を、凛の『リズム』が上回ったぞ!」
佐伯が、確信する。
凛はすぐに反転して構え直す。相手の無機質だった瞳に、初めて「焦り」の影が差した。
計算できないのは、熱量だけではない。少女が刻む、不規則な鼓動もまた、王者の理論を狂わせる劇薬だった。
凛の瞳が、獲物を狙うように、さらに鋭く細まる。




