第5話:嵐の前の静寂
激しい稽古が終わった後の道場。
夕闇が迫る窓の外とは対照的に、板張りの空間には熱を帯びた、むせ返るような汗の匂いが居座っていた。
瞬は道場の床にへたり込み、肩を激しく上下させていた。喉の奥が鉄の味を帯びるほど、今日の稽古も過酷だった。
「はぁ……はぁ……なぁ、佐伯。なんで成瀬先生は、俺に素振りと基本打ちばっかりやらせるんだ? 試合形式はいつも少しだけだしよ」
不満げな瞬の問いに、佐伯は一ミリの狂いもなく袴のヒダを整えながら、視線も上げずに答えた。
「君の動きには無駄が多すぎる。数式にゴミが混ざっているようなものだ。洗練された論理的な美しさがない」
「美しさで勝てるなら苦労しねーよ。もっとこう……一発で勝てるド派手な技を教えてくれてもいいのによ」
瞬がぼやく。その隣で、手ぬぐいを丁寧に畳んでいた凛が、冷ややかな視線を向けた。
「あんた、わからないの? 基本ができていない証拠よ。……ほら、その小手貸しなさい。紐がほつれているわよ」
「えっ、あ、ああ……」
凛は瞬の小手を手に取ると、手慣れた様子で紐を結び直し始めた。
口は相変わらず尖っているが、指先の動きには驚くほど細やかな気遣いが宿っている。
瞬は差し出された自分の小手を眺め、少し照れくさそうに呟いた。
「……ありがとう。って、 お前だって、今日は俺の返し胴食らっただろ!」
「……っ! あれは、たまたまよ! もう二度と、あんなの打たせないから!」
顔を真っ赤にして言い返す凛。その瑞々しい感情の爆発に、瞬は思わずたじろいだ。
そこへ、巨大な影が瞬の視界を遮った。大吾がニカッと笑いながら、二人の間に割って入る。
「技なら俺が教えてやるぞ、瞬。いいか、構えたらシュッとしてグッとして、最後はドカンだ」
「……全然わからねぇよ! 大吾、あんた理論派の佐伯とよく一緒に剣道できるな!」
「っはは! 佐伯の理屈を俺の『ドカン』で形にするのが明鏡館の形なんだよ。お前もそのうちわかる」
そんな騒がしいやり取りを、道場の隅で成瀬康介が静かに見つめていた。
(……仲良くなったもんだ。だが、そろそろ明確な目標がいるな。あと一人増えれば、団体戦に出られるんだが……)
康介がそう心中で呟いた、その直後だった。
――ガラガラ。
道場の重い引き戸が開き、買い物袋を下げた遥が現れる。
だが、いつもなら「来たわよー!」と響くはずの快活な声がない。
「成瀬先輩。……ちょっと、来て」
瞬の母・遥が、かつての先輩である康介を、ひどく神妙なトーンで呼んだ。
その背後。
陽炎のように揺れる、泥だらけの影。
遥のその表情だけで、康介は事態の異常さを察し、静かに立ち上がった。




