第53話:父の背中
「瞬。掛かってきなさい」
裕一の声は、家で見せる穏やかなものとは別人のように低く、重かった。
道場の中央に立つ父は、淀みのない泉のように静かだ。康介が「剛」なら、裕一は「静」。対峙した瞬間に、柔らかな風が吹き抜けるような錯覚に陥る。
「……お願いします」
三日間の疲労で身体は重いはずなのに、視界は驚くほど澄んでいた。
(父さんは強いのか? わからない……)
瞬は、思考を抑えて前に動いた。康介に叩き込まれた「攻め」。壁のように全身で圧をかけながら、一歩前へ。
(……動かない!?)
微動だにしない父の静寂に瞬が戸惑った、その瞬間だった。
――ッパァァァン!
乾いた、澄み渡る音が道場に響く。
裕一の竹刀が、瞬の面を真っ向から捉えていた。瞬の竹刀は、構えた位置から動いていない。
「なんてスムーズな体重移動なんだ……」
守屋が驚愕し、佐伯が即座に分析する。
「瞬発力で跳ねていないから『起こり』が無い。あれでは反射神経が反応する隙すらありません」
静止する二人。やがて裕一がゆっくりと竹刀を解き、面の中で目を細めた。
「……強くなったな、瞬」
その一言に、瞬の目から熱いものが溢れ出した。
打ち負かしたわけではない。だが、渾身の『攻め』を、父は認めてくれた。
「いい攻めだ。成瀬、……感謝する」
康介は不敵に笑いながら言う。
「わかるか? 時間はたっぷりある。しっかり味わえ!」
その言葉を合図に、静寂は熱狂へと変わった。父という巨大な壁に挑む、最後の稽古が始まる。




