第29話:深淵の入り口
「――面ッ!」
乾いた音が道場に響き、瞬の身体が大きくのけ反る。
打ったのは、眼鏡の奥で冷徹に間合いを測る佐伯だった。
「……理屈がわかっても、身体が止まってたら意味ないですよ」
佐伯の淡々とした言葉に、瞬は肩で息をしながら立ち上がる。
分かっている。頭の中では完璧にシミュレーションしているはずだ。
ここで攻め、相手を誘い、打たせる――。
だが、いざ佐伯の鋭い剣先が目の前をかすめると、脳内に「恐怖」というノイズが走り、せっかくの理合いが霧散してしまう。
「瞬、それが『知っている』と『できる』の差だ」
康介が腕を組んで見下ろす。
「誘いの練習は後だ。まずは、先に仕掛けて相手を崩す練習からだ」
「誘いは後……? どういうことですか?」
「今のままじゃ、相手はお前の攻めを脅威に感じていない。だから『誘い』がただの『隙』にしかならないんだ。まずは相手に『打たれるかもしれない』と思わせる強烈な攻めを身につけろ」
康介の言葉が、瞬の脳に突き刺さる。
「相手が恐怖を感じて初めて、お前の見せる隙が『窮地を脱する光』に見える。そこに食いついてきた瞬間を捉えるのが、本当の誘いだ」
教わった「理」は、知れば知るほど底が深かった。理解が進むほどに、自分の未熟さが残酷なまでに浮き彫りになる。
(俺に……できるようになるのか……?)
これまでは、がむしゃらに動けば何かが変わると思っていた。だが、正解が見えてしまった今、一歩でも間違えればそれは「無意味な動作」になる。
出口の見えない暗闇よりも、遠くに灯るかすかな光の方が、今の瞬には残酷に思えた。
自分の身体が、重い泥沼に深くはまっていく感じがした。
苦しみの、本当の始まりだった。
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