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第12話:硝子の輪郭

 明鏡館に差し込む午後の光は、古い木床に染み込んだ汗の匂いを白く浮かび上がらせていた。

 守屋が加わった稽古は、これまでにない熱を帯びている。

 だが、その熱から数ミリだけ浮き上がった場所に、成瀬凛はいた。

 凛にとって、剣道とは常に「証明」の儀式だった。

 幼い頃から、彼女の周囲には常に透明な壁があった。

「さすが成瀬先生の娘」「血筋には勝てない」。

 その言葉は賞賛の形をしていたが、実体は凛という個人の努力を無効化する、薄ら寒いレッテルだった。

(私は、ここにいるのに)

 自分を規定するのは、意志ではなく属性。

 いつしか凛の心は、自分を摩耗させないための氷の殻に覆われていった。

     *

 稽古が終わり、凛は一人、道場の隅の鏡の前で動きを確認していた。そこへ、外部の保護者が挨拶にやってくる。

「凛ちゃん、今日も鋭いわね。やっぱりお父様の背中を追っていれば、間違いはないものね」

 悪意のない言葉。それが凛の胸を、かすかに逆撫でする。

「ありがとうございます」

 凛は、訓練された人形のような微笑を返した。

 鏡の中の自分は、父の剣道を忠実に模倣している。

 だが、その中に「成瀬凛」の居場所はあるのだろうか。

「凛、大吾の言ってること通訳してくれ」

 不意に、背後から無遠慮な声が降ってきた。瞬だった。

「通訳?」

「大吾に技を教えてもらっても、『グッ』とか『パッ』とか意味わかんねぇんだよ」

 瞬が指差す先では、大吾と守屋が奇妙な会話で盛り上がっていた。

「相手がこうなった時に『パッ』とやるんでしょ!」

「そうだ守屋、わかってるな! ガハハ!」

「それならさらにそこで『ヒュッ』として『ドン』とすれば……」

「おおっ、それいいな! さすがだ!」

「……なんであれで会話が成立するのよ」

 呆れる凛に、瞬が真っ直ぐな視線を向けた。

「凛、お前教えるの上手いんだから、俺に説明してくれよ」

 外部の言葉に逆撫でされていた心が、不意に揺れた。凛はつい、照れ隠しを口にする。

「は? なんで私が……。成瀬先生に聞けばいいでしょ」

「成瀬先生より、お前の方が説明うまいから分かりやすいんだよ」

 ――トクン、と。

 凛の胸が、わずかに熱く鼓動した。

「私の方が……?」

 先生の娘だから、ではない。

 教え方が上手い「成瀬凛」そのものを、瞬は必要としている。

「説明なら私がしよう。あれは理合いによって相手が居着いた瞬間に、しのぎで擦り込んでいた竹刀を――」

 そこへ佐伯が眼鏡を光らせて割り込んできたが、瞬が即座に遮る。

「余計わかんねぇよ! 凛、早く行くぞ!」

「ちょっと、引っ張らないでよ……! もう、しょうがないわね」

 口では不満をこぼしながらも。

 翻った凛の顔には、鏡の中の人形のような微笑ではない、年相応の柔らかな笑顔が自然に浮かんでいた。

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