第11話:仁義
夜。虎皇館の巨大な門の前に、成瀬康介は立っていた。
指導者という重い看板を背負った足取りは、粘りつくような重さを伴っていた。
稽古終わりの道場は、静まり返っている。
その奥、正面の最上座に、一人の男が座していた。大河内だ。
彼は面を外しながらも、防具を身に纏ったまま不動の姿勢を保っている。その姿は、人の温もりを排した漆黒の彫刻のようだった。
康介は、入り口で深く頭を下げた。
「お久しぶりです、大河内先輩。……守屋は、うちで預かることにします」
静寂を割る、低い報告。
大河内は康介を見なかった。視線さえ合わせず、剥き出しの竹刀を拭いながら、乾いた声で切り捨てる。
「好きにしろ。あれはもう終わった」
康介はその言葉を受け流せず、一歩踏み出した。
「……大河内先輩。随分と変わられましたね。大学時代のあなたは、もっと、剣そのものを尊んでいたはずだ」
大河内を見つめる康介の瞳には、かつての憧憬と、今の深い落胆が混ざり合っていた。
大河内が、ようやく動きを止めた。冷酷な視線が康介を射抜く。
「成瀬。勝たなければ、何も残らない……負けた者の言葉に、誰が耳を貸す」
大河内の声には、かつて彼自身が敗者として舐めた泥の味が、呪いのようにこびりついていた。
「勝った者の影で血を吐く努力をしても、存在しないも同じなんだよ」
それは、勝利という唯一の酸素を吸い続けるための、あまりに歪な生存本能だった。
「……俺は、そうは思いません」
康介は拳を握り、岩のような重厚さで言い返した。
大河内は鼻で笑うと、再び視線を竹刀へと戻した。
「勝手にしろ。そんなゴミを拾うのが趣味ならな」
康介は、それ以上言葉を重ねることはしなかった。
踵を返した康介の視界の端に、遠く、暗がりの中で一人居残り稽古に励む鷹司の姿が映り込んだ。
一分の狂いもない、機械的な素振り。
その光景は、康介の胸に、底知れぬ寒気を残した。




