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第2話 贈答記録は嘘をつかない

 贈答記録というものは、華やかに見えて中身は地味だ。


 どこそこの夫人から花。

 どこそこの令息から菓子。

 どこそこの商会から香油。

 そういうものが延々と並ぶ。書いている側も受け取る側も、たぶん途中で飽きる。


 だが、人は飽きるところで手を抜く。

 そして手を抜いた記録は、たいていあとから裏切らない。


「表記揺れ、ですか」


 アルヴァンが机の向こうから問う。


「ええ」


 私は帳面の該当箇所を指で示した。


「ここは“ロシュフォール宝飾店”。三日後のこちらは“ロシュフォール宝飾舗”。同じ相手なら、普通は家ごとに呼び方を統一します」


「記録係が違ったのではなく?」


「その可能性もあります。でも」


 私は隣に積まれた別冊を開いた。


「同日の花と菓子は全部統一されてる。揺れているのがこの宝飾関係だけなら、むしろこっちを疑うべきです」


 エレノア嬢は私の向かいで頬杖をつき、帳面を覗き込んでいた。

 こうして見ると、本当に普通に執務をしているだけなのだが、普通の貴族令嬢はこんな至近距離で下級文官の手元を覗き込まない気がする。


「つまり?」


 彼女が問う。


「同じ店を装った別口が混ざっているか、あるいは受領時に誰かが名前を書き換えたか」


「どちらが濃いの」


「今のところは前者です」


 私は帳面をもう一頁めくる。


「同じ“ロシュフォール”名義でも、受領窓口が違うんですよ。片方は正門、片方は使用人通用口。上等な宝飾を正式に届けるなら、普通は正門側の扱いに寄せます」


 アルヴァンが低く唸る。


「通用口で、宝飾名義」


「ええ。贈答そのものじゃなく、“宝飾関連の何か”を入れるための名札だったんでしょうね」


「手入れ布や箱のような?」


「そういうことです」


 私は記録の端へ細く印をつけた。


「昨夜だけ急に仕掛けたんじゃない。もっと前から、経路確認と持ち込み確認をしている」


 部屋が静かになる。


 この静けさは嫌いではない。

 紙の話をしているときの静けさは、だいたい皆が同じ場所を見ている。


「……何日分くらい遡れそうかしら」


 エレノア嬢が言った。


「最低でもひと月」


「ずいぶん長いわね」


「相手が用心深いなら、もっとです。ただ」


「ただ?」


「昨夜の失敗を見る限り、最後の詰めで急いだ形跡がある。経路作りは丁寧でも、実行役は別かもしれません」


 アルヴァンが腕を組む。


「計画した者と、手を動かした者が違うと」


「王宮では珍しくないでしょう」


「珍しくはありませんな」


 そこに感心したような響きが混ざっていたので、私は少しだけ顔を上げた。

 この家令、ようやく私を“ただの厄介者”から一段階だけ格上げしたらしい。ありがたいような、ありがたくないような。


「では、どうするの」


 エレノア嬢が訊く。


 私は新しい紙を一枚引き寄せ、項目を三つ書いた。


「まず、表記揺れの洗い出し」


 一本目に線を引く。


「次に、贈答品の受領経路と受領人の突き合わせ」


 二本目。


「最後に、品そのものではなく“品に付随するもの”――箱、布、紐、包み紙、保証札みたいな類を拾います」


 三本目の線を引いたところで、エレノア嬢が少し首を傾げた。


「本体ではなく?」


「本体は目立つので」


 私は帳面を閉じた。


「高価なものは目を引くし、贈り手も覚えている。だから細工しにくい。でも箱や布なら、あとから紛れ込ませても意外と気づかれません」


「……耳飾りの箱みたいに」


「ええ」


 そこでエレノア嬢は黙った。

 昨夜の白布と紙片を思い出したのかもしれない。


 少しだけ空気が張ったので、私は話題をずらすことにした。


「あと、できれば侍女頭を呼んでいただけますか」


 アルヴァンの眉が動く。


「何のために」


「侍女の“持ち場癖”を聞きたいんです」


「持ち場癖?」


「人には無意識の動線があります。右側に箱を置く、包みは必ず結び直す、贈答は一度並べ替える。そういう癖を知っていれば、誰の手を経たか絞れることがある」


 エレノア嬢が少しだけ感心したような顔をした。


「そんなことまで見るの」


「見ないと、紙だけでは届かないことがあるので」


「あなた」


 彼女は静かに言った。


「本当に、文書局に置いておいてよかった人材だったのかしら」


「そこは私も少し疑ってます」


「自覚はあるのね」


「ときどき」


 すると彼女の口元がわずかに緩んだ。

 この人、最近ちょっと笑う頻度が増えていないだろうか。気のせいならありがたいが、気のせいではない気もする。


 アルヴァンが侍女頭を呼びに出ていく。

 扉が閉まると、部屋には私とエレノア嬢だけが残った。


 静かだ。


 さっきまで紙の音がしていたぶん、妙に静かに感じる。


「……何かしら」


 先に口を開いたのは彼女だった。


「いえ」


「何か言いたそうな顔をしているわ」


「そんな器用な顔はしていないつもりですが」


「残念ね。今のはよくわかった」


 困るな。

 貴族の観察眼はときどき無駄に鋭い。


「一つだけ確認したいことが」


「どうぞ」


「私、十日後には戻れますよね」


 エレノア嬢は数秒、本気で考える顔をした。


 その時点で嫌だった。


「努力はするわ」


「その言い方、昨日どこかで聞きました」


「気のせいではなく?」


「たぶん気のせいじゃないですね」


「なら、きっと既視感ではなく現実ね」


 さらりと言う。

 本当にこの人、逃げ道を潰すのがうまい。


「ご安心なさい」


「安心できる材料をいただけますか」


「あなたが十分に仕事を終えれば、文書局へお返しするつもりよ」


「終わらなければ?」


「必要なだけ延ばすわ」


「やっぱり」


 私は額を押さえたくなるのをこらえた。


「そんな顔をしないで」


「こういう顔にもなりますよ」


「不本意?」


「だいぶ」


「そう」


 エレノア嬢はそこで、少しだけ声の温度を落とした。


「でも、あなたをここへ呼んだのは、便利だからだけではないと申し上げたでしょう」


「ええ。聞きました」


「なら、少しは信用なさい」


 その言い方が、少しだけ予想外だった。


 信用。

 囲うでも、使うでもなく、信用しろと言う。


 私は帳面から目を離し、彼女を見る。


「……何をです?」


「少なくとも、私があなたを不利益のためには引っ張っていないことを」


 静かな声だった。


 私は少しだけ困った。

 こういう正面からの言葉には、皮肉が使いにくい。


「それは、まあ」


「まあ?」


「半分くらいは」


「また半分」


「全部にすると足元をすくわれる気がするので」


 すると彼女は、ごく小さく笑った。


「用心深いのか鈍いのか、たまにわからなくなるわね」


「私もです」


「でしょうね」


 助かった。

 少し会話が元に戻った。


 そのとき、扉が叩かれ、侍女頭が入ってきた。

 三十代半ばほどの、きっちりした雰囲気の女性で、名をヘレンというらしい。目元が厳しい。現場を回している人間の顔だ。


「お呼びでしょうか、お嬢様」


「ええ。アシュレイの質問に答えてちょうだい」


 侍女頭の視線がこちらへ向く。

 あからさまではないが、歓迎はされていない顔だ。まあ、突然入り込んだ文官などそんなものだろう。


「ご協力感謝します」


「内容によります」


「健全ですね」


「何とでも」


 強い。

 この屋敷、アルヴァンのような男性陣だけでなく、女性陣の圧も全体的に高くないだろうか。


「では単刀直入に。贈答品を受けたあと、侍女の皆さんはどう整理しますか」


「相手と品によります」


「一般論で結構です」


「まず外装を確認。汚れや破れがあれば控えに注記。次に品目ごとに一時卓へ分け、可燃物と香り物は別にします」


「箱や包み紙は?」


「通常はその場でまとめます。後で必要になるものだけ残す」


「残す判断は誰が」


「私か、当番の上位侍女です」


 私は頷いた。


「では、耳飾りの箱が昨夜まで残っていたのは、自然ですか」


「……家蔵品かぞうひんなら自然です。使用後も戻しますので」


「では逆に、手入れ布のような消耗品の包みは」


「普通は残しません」


 そこだな、と思った。


 私は贈答控えの該当欄を指した。


「昨夜の手入れ布は、受領後すぐ仕分けに回ったはずですね」


「ええ」


「包みは残っていない?」


「いません」


 “いません”。

 厳しい侍女頭でも、少し気が急くと主語がずれる。人間らしくて結構だ。


「失礼、残っていない“はず”ですね」


「……はい」


 ヘレンの目つきが、ほんの少しだけ変わった。

 質問の意図が読め始めた顔だ。


「誰かがその包みをわざと残したか、別の包みと取り違えさせた可能性があります」


 私が言うと、侍女頭は短く息を吐いた。


「つまり、私の下に手を入れた者がいると」


「今のところは」


「どこまでわかっているのです」


「まだ入口です」


「入口」


「ええ。ですが」


 私は紙を引き寄せ、簡単な線で屋敷内の流れを書いた。


「贈答は門から入り、仕分け卓を通り、各侍女の持ち場へ流れる。この途中で、本物と偽物が一度でも交差すれば足ります」


「……交差」


 ヘレンは図を見る。

 こういう人は飲み込みが早くて助かる。


「昨夜の耳飾りは、侍女が完全に単独で持っていた時間より、“持っていたと思わされていた時間”のほうが危ない」


 ヘレンがすぐに言った。


「裾のほつれ、ですか」


「ええ」


「あれは、ミレイユの視線と手を耳飾りの箱から外させるための言葉だった」


「おそらく」


「……なら」


 侍女頭の声が低くなる。


「うちの流れを知っている者です」


 それは重要だった。


 外からの敵なら持ち込みだけで済む。

 だが“どこで手が離れるか”まで読んでいるなら、内側の習慣を知っている。


「使用人の中に裏切りが?」


 エレノア嬢が問う。


 私は首を振った。


「それもありますが、もっと単純に“元使用人”かもしれません」


「辞めた者?」


 ヘレンが言う。


「はい。侍女見習い、洗濯係、下働き。今はもういないけれど、動線だけ覚えている人間」


 侍女頭の目が見開かれた。

 思い当たる節がある顔だった。


「……三月前に一人、下働きの娘を辞めさせています」


「理由は」


「盗み未遂。ただし品は大したものではなく、追い出すだけで済ませました」


「名は」


「マルタ」


 私はベルナールが言っていた筆圧の“マ”を思い出した。


 マル、まで見えていた。

 そこから先は潰れていたが、マルタなら十分にあり得る。


「髪色は」


「栗色です」


「ほら来た」


 思わず言ってしまってから、私は咳払いした。

 品がないな、と思ったがもう遅い。


 エレノア嬢がじっと私を見る。


「今、何と?」


「いえ。筋が繋がったのでつい」


「そう」


 その“そう”は少し呆れていたが、完全に咎める響きではなかった。


 私は机上の紙へ、新しく名前を書く。


 マルタ。

 その横に、ベルトラン男爵夫人名義。

 さらに、宝飾商名の揺れ。


 点が三つ。

 まだ線ではない。だが、かなり近い。


「アルヴァン」


 エレノア嬢が言う。


「その下働きの行方を」


「すぐに」


「表向きはどうでもいい話として探して」


「承知しました」


 家令が下がる。


 部屋に残った紙の上で、私はもう一度名前の並びを見る。

 やっぱりこれは、昨夜だけの事件ではない。相手は準備していた。そして準備が長い案件は、たいてい別の場所にも手を入れている。


「……まだありますね」


 私が呟くと、エレノア嬢がすぐに反応した。


「何が」


「昨夜の件と似た“入口だけの小さな違和感”が、たぶん他にも」


「根拠は?」


「ここまで準備して、耳飾り一つで終わるとは思えないので」


 私は贈答控えを次の束へと移した。


「侯爵家、伯爵家、あるいはあなた以外の令嬢。誰かにも似た導線を試しているかもしれません」


 その瞬間、エレノア嬢の目の色が変わった。


「……つまり、私だけではない?」


「可能性は高いです」


「そう」


 その短い返事の中に、冷たいものが混じった。

 自分だけが狙われたのではないと知ったから安心した、という顔ではない。むしろ逆だ。


 この人はたぶん、“同じ手が他へ向いている”ことを嫌がっている。


 理由まではまだわからない。

 だが、そのわずかな変化は記憶に留めておくべきものに思えた。


「なら」


 エレノア嬢が静かに言う。


「あなた、もっと忙しくなるわね」


「できれば明るい予言は避けていただきたいんですが」


「事実よ」


「事実が一番つらいなあ」


 すると、彼女は本当に少しだけ楽しそうに笑った。


「安心なさい」


「何を根拠に」


「逃がさないもの」


 だめだ。

 この人、言い方が一貫して怖い。


 私は帳面へ視線を落とした。

 紙は嘘をつかない。

 だが、人間はその紙に、いくらでも嘘を書き足す。


 だから見つける。

 誰が、どこで、何のために。


 そしてできれば、その過程で私の平穏もどこかから発掘されないものだろうか。かなり切実にそう思う。

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