第19話 仲介人は、最後まで上品に言い逃れる
サヴィル夫人の屋敷は、王都の西側でも妙に静かな通りにあった。
大きすぎない。
けれど、小さくもない。
未亡人が一人で住むには少し立派で、客を迎えるにはちょうどいい。そういう“中途半端に感じがいい家”というのは、だいたい持ち主の性格がよく出る。
「趣味がいいですね」
馬車の窓から外を見ながら私が言うと、向かいのエレノア嬢が淡々と返す。
「ええ。そういう人だもの」
「褒めてます?」
「全然」
でしょうね。
ヴァルシエ邸へ戻った私たちは、小帳面の内容を確認するや否や、その足でサヴィル夫人の屋敷へ向かうことになった。
理由は単純だ。
相手も急いでいるからだ。
商人へ口止め。
控えの整理。
仲介の言い換え。
この手の人間は、追い詰められるほど筆と口が滑らかになる。ならば、整う前に踏み込むしかない。
同乗しているのは、私、エレノア嬢、アルヴァン。
今回はベルナールはいない。正直、あいつがいたほうが気楽なのだが、だからといって毎回地獄へ連行するのもさすがに悪い。
「一つだけ確認を」
私は向かいの公爵令嬢に言う。
「何かしら」
「今回は、どこまで私が喋っていいんです」
「全部」
「広いなあ」
「必要なら、途中で私が止めるわ」
「それは安心材料なのかどうか判断が難しいですね」
エレノア嬢は少しだけ目を細めた。
「あなた、こういう場のほうがやりやすいでしょう?」
「好きではないです」
「好きかどうかは聞いていないわ」
それもそうだ。
馬車が止まる。
アルヴァンが先に降り、扉が開く。
サヴィル夫人は、予想どおり自ら応接間へ出てきた。
四十代半ば。
黒髪を艶やかにまとめ、喪に服した未亡人らしい色を選んでいるのに、少しも地味には見えない。目元の線がやわらかく、笑えば相手が安心する顔だ。安心した瞬間に財布も予定も持っていかれそうな種類の人間でもある。
「まあ、エレノア様」
夫人は優雅に礼を取る。
「突然のご訪問、光栄ですわ」
「突然でごめんなさい」
エレノア嬢が返す。
「でも、急いだほうが良い話でしたので」
最初から温度が低い。
たいへん結構である。
夫人の視線が私へ滑る。
次にアルヴァン。
そしてもう一度私へ戻る。
「そちらは?」
「文書局のアシュレイ」
エレノア嬢が言う。
「今、少しだけ記録の整理を手伝ってもらっているの」
少しだけ、では済んでいない気がするが、その辺りは流す。
「まあ、文官の方まで」
サヴィル夫人は微笑んだ。
「ずいぶんと大がかりなお話ですのね」
「ええ」
エレノア嬢は椅子へ座る。
「大がかりですわ」
応接間はよく整っていた。
香りはきつくない。調度も上品。壁の絵も主張しすぎない。人に警戒心を持たせないための部屋として、ひどくよくできている。
だが私の目には、その机上の書状箱の縁に薄い黒が見えた。
濃くはない。
でも新しい。ついさっき何かを出し入れした色だ。
やはり、まだ整理の最中らしい。
「本題から入ってもよろしいですか」
エレノア嬢が言う。
「もちろん」
サヴィル夫人の笑みは崩れない。
「ルヴァンセル子爵家とエルムローズ侯爵家の縁談について、少々気になることが出てきましたの」
「まあ」
夫人は細く息をつく。
「何か行き違いでも?」
「行き違い、ですか」
私が思わず口を挟むと、夫人の目がこちらへ向いた。
「ええ。縁談にはよくあることでしょう?」
「よくあるなら、三件続けては困りますね」
夫人の笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「三件?」
「ミラベル・フォルナー子爵令嬢」
私は一つ目を置く。
「次に、ダリア・セルウィン伯爵令嬢」
二つ目。
「そして、リディア・エルムローズ侯爵令嬢」
三つ目。
「どれも、あなたが仲介に入った」
部屋が静かになる。
夫人はすぐには返さない。
返さないが、うろたえもしない。こういう人間は厄介だ。
「それが何か?」
ようやく出てきた声は、まだ十分にやわらかい。
「何かしらの一致があると?」
「ありますよ」
私は小帳面の写しを一枚、机の上へ滑らせた。
「非公式贈答の注文。真珠、薄紫、青石。全部、あなた付きの女中名義」
「宝飾の手配程度、縁談仲介なら珍しくありませんわ」
「正式帳簿に載せず?」
「気の利いた贈り物をしたい方は、えてしてそういうものです」
言い逃れとしては上品だ。だが足りない。
「じゃあ、修理返却は」
私は次の写しを置く。
「青石髪飾り一式。留め具歪み。石欠け一。客人使用後。口外無用」
サヴィル夫人の指先が、ごくわずかに止まる。
「何のことかしら」
「あなたが払った修理代の話です」
「帳簿が間違っているのでは?」
「商人にとって帳簿は命だそうです」
私が言うと、夫人はようやくはっきりと私を見た。
感じのいい笑顔の奥に、少しだけ硬いものが見える。
「文官の方というのは」
彼女は言う。
「こうも無粋なのですね」
「褒め言葉として」
「違いますわ」
「知っています」
そこでエレノア嬢が静かに言った。
「サヴィル夫人」
「はい」
「今はまだ、あなたが“気の利いた仲介人”で済む段階にして差し上げていますの」
温度が落ちる。
「ですが、このままですと“同じ手口で令嬢を複数の縁談へ送り込んだ人”として扱うしかなくなる」
夫人の目元が、少しだけ冷えた。
「物騒なお話ですこと」
「現に、エルムローズ侯爵令嬢のもとには細工入りの箱が届きました」
「まあ」
その驚き方は上手い。
だがもう遅い。
「そして、その前の二件でも、夜の客室と破損した飾りと外科医の往診がある」
私が続ける。
「ここまで揃ってなお、“行き違い”で通しますか」
長い沈黙。
それからサヴィル夫人は、ゆっくりと笑った。
「若い方は怖いわね」
その言葉は、もはや親しみではなく牽制だった。
「少し紙を見ただけで、すぐに物事を悪く読みたがる」
「悪く書いてあるので」
私が返すと、夫人はとうとう溜め息をついた。
「本当に扱いにくい」
「最近よく言われます」
横でアルヴァンがわずかに咳払いした。
たぶん“遊ぶな”という意味だ。わかってはいる。
「サヴィル夫人」
エレノア嬢が改めて口を開く。
「あなたに二つだけ道を差し上げるわ」
「道?」
「一つ。今ここで、ルヴァンセル家との関わりをきれいに切る」
「そして、もう一つは?」
「切らないで沈む」
部屋の空気が、そこで綺麗に凍った。
私は少しだけ目を閉じたくなった。
言い方が本当に強い。だが間違ってはいない。
サヴィル夫人はしばらく無言だった。
そして、指先で茶杯の縁をなぞる。
「……どこまで掴んでいらっしゃるの」
ようやく、本題へ来た。
「知りたい?」
エレノア嬢が言う。
「ええ。交渉のために」
「交渉するつもりがあるのね」
「ええ、もちろん。私、沈むのは嫌いですもの」
その返しで、この人が最後まで完全には崩れないことがわかる。
だが、崩れなくても線は切れる。切らせればいい。
「ミラベル・フォルナー子爵令嬢」
私は名前を出す。
「ダリア・セルウィン伯爵令嬢」
次。
「エマ・クロウ」
最後の名を置いた瞬間、サヴィル夫人の目が動いた。
決まりだ。
「……侍女の名まで」
「ええ」
「なら、ずいぶん深いところまで」
「深くしたのはそちらでしょう」
私が言うと、夫人は小さく笑った。
「違いないわ」
そこで彼女はようやく、背もたれへ体を預けた。
降参ではない。
だが、“これ以上は軽く扱えない”と理解した姿勢ではある。
「私は、最初から全てを知っていたわけではありません」
彼女が言う。
「そうでしょうね」
「嫌な言い方をするのね」
「仕事ですので」
夫人はわずかに肩をすくめる。
「最初の一件は、本当に普通の仲介でした」
「ミラベル嬢」
「ええ。先方の条件も悪くなかった。家格も金も、そして表向きの評判も」
「でも壊れた」
「ええ。急に、ね」
夫人は茶杯へ視線を落とす。
「最初は、令嬢側が神経質なのだと思ったわ。泣いて、怯えて、でも決定的なことは何も言わない。なら、よくある“相性の問題”でしょう?」
相性。
便利な言葉だ。
「二件目で、おかしいと気づいた」
夫人は言う。
「同じような贈り方。似たような急ぎ方。しかも、今度は途中で傷が見えた」
「それでも切らなかった」
「ええ」
夫人はあっさり認めた。
「だって、その時点ではまだ、私が抜けても止まらないと思ったもの」
それはつまり、自分の利益も天秤にかけたということだ。
嫌いではない。正直な人間は扱いやすい。
「では今回は?」
エレノア嬢が問う。
「リディア嬢の件では、どこまで知っていたの」
「箱に何が入るかまでは知らないわ」
「でも、急がせた」
「ええ」
「どうして」
夫人は、そこで初めて少しだけ疲れた顔をした。
「……ルヴァンセル家が焦っていたからよ」
「理由は」
「王太子殿下の周辺が、最近やけに婚姻の質を見ている、と聞いたの」
私は少しだけ顔を上げた。
「質?」
「ただ家格が釣り合えばいい、では済まなくなりつつある。妙な噂が一つでもあれば、将来の席順に響く」
なるほど。
だから向こうは、リディア嬢を早く“前向きな縁談相手”の形へ押し込みたかったのか。
「そして、ヴァルシエ家が箱を拾った」
エレノア嬢の声が冷える。
「ええ。だからもう駄目だと思った」
「それで商会へ口を出したのね」
「ええ。だって、まだ私まで沈みたくなかったもの」
たいへん正直で結構。
「では、切りなさい」
エレノア嬢が言う。
「今ここで」
「どうやって?」
「ルヴァンセル家に、自分はもう降りると伝える」
「向こうが納得すると?」
「納得させるの」
「私が?」
「ええ。あなたが」
夫人は小さく笑った。
「公爵令嬢というのは、本当に人使いが荒いのね」
「仲介人にだけは言われたくありません」
その返しに、夫人の笑みが少しだけ深くなる。
「……いいでしょう」
とうとう出た。
「ただし条件があるわ」
「言って」
「私の名は、最初には出さないで」
予想どおりだ。
「代わりに、私は二つ差し出す」
「何を」
「一つ。前の二件で、ルヴァンセル側が“夜の確認”を求めたときの文面控え」
私は思わず身を乗り出しかけた。
「残してるのか」
「ええ。全部は燃やさない主義なの」
この人も同類か。少しだけ気が合いそうで嫌だなと思う。
「もう一つは?」
エレノア嬢が問う。
「ミラベル嬢の家が引いた本当の理由」
部屋が静まり返る。
「知っているの」
「半分だけ。けれど、その半分で十分に効くわ」
サヴィル夫人は、そこで初めて私を真っ直ぐ見た。
「文官殿」
「はい」
「あなた、ミラベル嬢の家へ行くつもりでしょう」
「ええ」
「なら、先にこの紙を持って行きなさい。向こうも、最初の一言が合えば口を割るはず」
そう言って、夫人は奥の書状箱から一枚の控えを出した。
私はそれを受け取る。
薄い紙。
文面は短い。
婚約前の相互理解のため、夜のうちに令嬢のみでご挨拶を――
やはりだ。
形を変えているだけで、やっていることは同じだ。
「……十分だな」
思わず呟くと、夫人が苦笑した。
「でしょう?」
「ええ。非常に」
エレノア嬢が立ち上がる。
「では、サヴィル夫人」
「はい」
「あなたは今日から、ルヴァンセル家とは距離を置きなさい」
「ええ」
「もしそれを破ったら」
「沈む、でしょう?」
「ええ」
夫人は優雅に一礼した。
「心得ますわ、公爵令嬢」
その礼は綺麗だった。
綺麗だが、完全に無害になったわけではない。こういう人は、最後まで自分の浮く道を探す。
だからこちらも急ぐしかない。
屋敷を出るとき、私の頭の奥でまた小さく痛みが走った。
今度は手元の紙だ。
サヴィル夫人から渡された控えの文字列、その最後の一文だけが黒く滲んで見える。
令嬢のみで。
前兆は、やはりそこに集中している。
こいつらは最初から一貫している。
“二人きり”の形を作りたがる。
箱も、紙も、会食も、そのための道具にすぎない。
「アシュレイ」
馬車へ向かう途中、エレノア嬢が呼ぶ。
「はい」
「顔がまた嫌そうよ」
「ええ。嫌なので」
「何が見えたの」
私は紙を軽く持ち上げた。
「向こう、やっぱり最初から同じことしかしてません」
「同じこと?」
「令嬢を、一人にする」
エレノア嬢の表情から温度が落ちる。
「……ええ」
「だから、次もそこを潰すべきです」
「次、とは」
「ミラベル嬢の家です」
私は言う。
「前の一件が、どこで壊れたか。そこが取れれば、侯爵家の返書を止めるだけじゃなく、縁談そのものを潰せる」
アルヴァンが短く頷く。
「急ぎますか」
「ええ」
私は馬車へ乗り込みながら、ようやく一つ大きく息を吐いた。
評判を人質にとれば、商人はよく喋る。
仲介人も、最後には自分の都合で口を開く。
問題は次だ。
前の令嬢が、どこまで話してくれるか。
そこだけは、紙よりずっと難しい。




