第6話 父の最後の配信
病院の個室。
白い壁を背景に、直人はスマートフォンの前へ座った。
顔はやせ、頬がこけていた。
いつものスーツではなく、病衣を着ている。
撮影を担当する結衣の手は震えていた。
「やめるなら、今です」
「始めてくれ」
「一度投稿したら、消しても広がります」
「それでいい」
結衣が録画ボタンを押した。
直人はカメラへ頭を下げた。
「水野直人です。今日は皆さんに、話していなかったことをお伝えします」
何度も言葉に詰まりながら、直人は語った。
自分がステージ4のがんであること。
手術ができず、治療を続けていること。
妻を五年前に亡くしたこと。
十五歳の一人娘がいること。
娘に病気を隠していること。
「私は、特技もありません。話すことも苦手です。動画で皆さんを楽しませられるような人間ではありませんでした」
直人は一度、息を整えた。
「それでもインフルエンサーになりたいと思ったのは、娘に何かを残したかったからです」
亡き妻が歌手を目指していたこと。
娘もシンガーソングライターを目指していること。
仮面をつけて、歌を投稿していること。
近く、デビューをかけた最終審査があること。
直人は娘のアカウント名を初めて公表した。
「娘は、私がSNSを始めた理由を知りません。私の動画を恥ずかしいと言いました。けれど、娘は何も悪くありません。恥ずかしいことばかりしてきた父親ですから、当然です」
直人は小さく笑った。
「娘に、私の病気を知らせるつもりはありませんでした。最後まで普通の父親でいたかった。でも、もう時間がありません」
声がかすれた。
結衣はカメラの後ろで泣いていた。
「お願いがあります。娘の歌を聞いてください。応援してほしいとは言いません。良いと思ったら、もう一度聞いてください。心に残ったら、誰かに伝えてください」
直人は頭を下げた。
「私は、娘の夢をかなえることはできません。ただ、夢へ続く道に、小さな灯りを置くことならできると思いました」
直人は顔を上げた。
「凛。もし見ているなら、父さんは、お前の歌が好きだ」
最後の言葉を言ったあと、直人はしばらく動けなかった。
録画が終わる。
結衣は画面を止めた。
「本当に投稿しますか?」
「ああ」
動画が公開されたのは、午後六時だった。
一時間で十万回。
三時間で百万回。
直人のフォロワーは、一晩で三十万人を超えた。
コメント欄には、応援の言葉があふれた。
〈ずっと笑って見ていました。こんな理由があったなんて〉
〈娘さんの歌、必ず聞きます〉
〈あなたは立派なお父さんです〉
同じ頃、凛は自宅で最終審査の曲を練習していた。
父からは「出張で数日帰れない」とメッセージが届いていた。
会社員の父が、なぜ急に出張なのか。
不審には思ったが、まだ怒りが残っていた凛は返信しなかった。
夜八時。
玄関のインターホンが鳴った。
扉を開けると、結衣が立っていた。
目が赤く腫れている。
「凛ちゃん。お父さんのことで、話があります」
「父なら出張です」
「違うの」
結衣はリビングへ入り、スマートフォンを差し出した。
画面には病衣姿の直人が映っていた。
凛は最初、何が起きているのかわからなかった。
動画が進むにつれ、顔から血の気が引いた。
ステージ4。
手術はできない。
娘に残したかった。
凛の歌が好きだ。
「嘘……」
凛はスマートフォンを落とした。
「嘘だよ」
結衣は何も言わなかった。
「だって、昨日まで普通だった。ご飯も作ってた。会社にも行ってた」
「ずっと治療を続けていたの」
「私、知らない」
「知られないようにしていたから」
「私、お父さんに……」
凛の脳裏に、自分が投げつけた言葉がよみがえった。
いい年をして恥ずかしい。
くだらない。
お母さんも恥ずかしがる。
「私、ひどいことを言った」
凛は床へ座り込んだ。
「何も知らないで、お父さんのことを……」
結衣は凛の肩を抱いた。
「お父さんは、怒っていないよ」
「会いたい」
「今は病院にいる」
「連れていって」
凛は靴もきちんと履かず、家を飛び出した。
病院へ着くと、面会時間は終わっていた。
結衣が事情を説明し、短い時間だけ許可された。
個室の扉を開ける。
直人は眠っていた。
腕には点滴がつながっている。
痩せた父の顔を見た瞬間、凛は足を止めた。
知らなかった。
何も見ていなかった。
自分の夢を見てくれないと責めながら、自分こそ父を見ていなかった。
「お父さん」
凛が手を握る。
直人のまぶたがわずかに動いた。
「凛……」
「ごめんなさい」
「どうして、ここに」
「動画、見た」
直人は目を閉じた。
「見せたくなかった」
「どうして言ってくれなかったの?」
「怖がらせたくなかった」
「もう怖いよ」
凛は父の手へ額を押しつけた。
「お父さんがいなくなる方が、ずっと怖い」
直人は弱々しく凛の頭をなでた。
「明日、最終審査だろう」
「出ない。ここにいる」
「出なさい」
「嫌だ」
「凛」
直人は力を振り絞り、娘の目を見た。
「母さんの曲を、完成させたんだろう」
凛は驚いた。
「どうして知ってるの?」
「毎晩、聞こえていた」
直人は微笑んだ。
「父さんに、聞かせてくれ」
凛は首を振った。
「明日、一緒に聞いて」
直人は答えなかった。
モニターの音だけが、静かな病室に響く。
看護師が面会終了を告げに来た。
凛は何度も振り返りながら病室を出た。
扉が閉まる直前、直人が小さく口を動かした。
「行っておいで」
翌朝。
最終審査まで、あと三時間。
結衣のスマートフォンに病院から電話がかかってきた。
直人の容体が、急変したという知らせだった。




