↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
父がバズった日、私は父を嫌いになった ――亡き妻と娘の夢をつないだ、無口な係長の最後の挑戦  作者: asnt2026


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/8

第5話 母が残した十四小節

直人は、美咲の動画を何度も再生した。


十四小節の短い曲。


歌詞は途中までしかない。


――あなたが迷う夜には

――遠い窓から灯りをともす

――名前を呼べなくなっても

――この歌だけは、そばにいる


美咲の声は弱っていた。


それでも、路上で歌っていた頃と同じ温かさがあった。


動画の最後に残した言葉。


『この曲の続きを――』


誰に託そうとしていたのか。


直人にはわかっていた。


自分ではない。


音楽を受け継いだ凛に、続きを作ってほしかったのだ。


翌朝。


凛は直人と目を合わせず、学校へ行った。


直人も何も言えなかった。


謝りたかった。


応援していると伝えたかった。


病気のことも、SNSを始めた理由も、すべて話してしまいたかった。


だが口を開けば、凛の未来から笑顔を奪ってしまう気がした。


直人は美咲の動画データを小さなUSBメモリーに移した。


封筒へ入れ、表に一言だけ書いた。


『母さんから、凛へ』


その夜、凛が入浴している間に、通学用のカバンへそっと入れた。


一方、直人のSNSは急激に伸び始めていた。


結衣が投稿した一本の動画が、百万回以上再生されたのだ。


企画は単純だった。


『無口な係長に、部下から手紙を読んでみた』


結衣が用意したのは、フォロワーから届いたメッセージだった。


〈仕事で失敗して落ち込んでいます〉


〈家族とうまく話せません〉


〈夢を諦めるか迷っています〉


直人はカメラの前で、一つずつ真剣に答えた。


「失敗しても、働き続けているなら、それだけで十分立派だと思います」


「大切な人ほど、うまく話せないことがあります。話せないなら、隣にいるだけでもいいと思います」


「諦めることが悪いとは思いません。ただ、まだ諦められないなら、もう少し続けてもいいと思います」


派手な言葉ではなかった。


話し方もぎこちなかった。


それでも、直人の言葉には不思議な重みがあった。


〈この人の声、落ち着く〉


〈ふざけた動画の人だと思っていたのに泣いた〉


〈こんな上司が欲しかった〉


フォロワーは五万人を超えた。


結衣は喜びながらも、直人の体調が目に見えて悪化していることに気づいていた。


「係長、もう撮影を休みましょう」


「十万人まで、あと半分だ」


「数字より命の方が大事です」


「俺の命は、数字ほど長く残らない」


結衣は何も言えなくなった。


「佐倉さん」


「はい」


「頼みがある」


直人は一冊のノートを差し出した。


アカウントの引き継ぎ方法。


パスワード。


投稿した動画の権利。


収益の管理方法。


凛に渡してほしい言葉。


すべてが几帳面な字で書かれていた。


「もし俺が急に動けなくなったら、これを凛に渡してほしい」


「自分で渡してください」


「そのつもりだ」


「絶対ですよ」


直人は返事をしなかった。


その頃、凛は学校の音楽室で封筒を開いていた。


USBメモリーをパソコンへ差し込む。


画面に母の姿が映った。


『凛に、いつか歌ってほしい曲を作っています』


凛は息をのんだ。


五年ぶりに聞く母の声だった。


動画の中の母は痩せていた。


それでも笑っていた。


十四小節の歌が流れる。


凛の目から涙がこぼれた。


母が自分のために残した曲。


完成しなかった曲。


凛は何度も聞き返した。


そして、ノートを開いた。


母が残した歌詞の続きを書き始めた。


――あなたが一人になる朝も

――見えない手で背中を押す

――遠く離れてしまっても

――あなたの歌で、また会える


書いては消し、歌っては直した。


凛は初めて、父と母への思いを一つの歌にしようとした。


父とはまだ口をきいていない。


だが、母の動画をカバンへ入れたのが父だということはわかっていた。


最終審査まで、あと一週間。


審査方法は、自作曲のライブ配信。


同時視聴者数、視聴維持率、審査員評価、視聴者投票を合わせて一人が選ばれる。


凛は仮面をつけたまま歌うつもりだった。


顔を見せる勇気は、まだなかった。


最終審査三日前。


直人のフォロワーは九万八千人を超えた。


結衣は、最後に軽い撮影だけをしようと提案した。


公園のベンチに座り、これまでの失敗を振り返る企画だった。


「最初のダンス、覚えていますか?」


「忘れたい」


「激辛ラーメンは?」


「もう二度と食べない」


「一番大変だった企画は?」


直人は少し考えた。


「娘に、嫌われることだ」


結衣がカメラを下ろした。


「係長……」


その瞬間、直人の体が前へ崩れた。


スマートフォンが地面へ落ちる。


「係長!」


結衣が駆け寄った。


直人は意識を失っていた。


救急車のサイレンが近づいてくる。


搬送された病院で、医師は結衣に告げた。


「ご家族へ連絡してください。病状は、かなり進行しています」


翌朝。


直人は病室で目を覚ました。


ベッドの横には結衣が座っている。


「娘さんに連絡します」


「まだだ」


「もう隠せません」


直人は酸素マスクを外そうとした。


「最後の動画を撮りたい」


「無理です」


「頼む」


直人はスマートフォンを握った。


フォロワー数は、十万人を超えていた。


「これで、凛に残せる」


直人はカメラを見つめた。


「次の動画で、全部話す」


それが、直人が投稿する最後の動画になるはずだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。