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父がバズった日、私は父を嫌いになった ――亡き妻と娘の夢をつないだ、無口な係長の最後の挑戦  作者: asnt2026


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第4話 母のギターを知る人

「娘さんに、病気のことを話してください」


撮影を中止した公園で、結衣は直人に言った。


「できない」


「なぜですか」


「妻が亡くなったとき、凛は十歳だった」


直人は遠くの遊具を見つめた。


「学校では泣かなかった。葬儀でも泣かなかった。夜中に一人で、妻のギターを抱いて泣いていた。あの姿を、もう一度見るのが怖い」


「でも、隠したままでは――」


「俺が死ぬことだけを考えて、凛に毎日を過ごしてほしくない」


直人は妻の保険金に手をつけず、凛名義の口座に残していた。


大学へ進学しても、しばらく生活には困らない。


しかし直人が心配しているのは、お金だけではなかった。


引っ込み思案で、人に助けを求めることが苦手な娘。


音楽の道を目指しても、つながりも、経験も、支えてくれる大人もいない。


「フォロワーのいるアカウントを凛に残したい。仕事や音楽活動に使えるようにしたい」


「それで十万人ですか」


「ああ」


「簡単じゃありません」


「わかっている」


「今のペースでは、体がもちません」


「それでもやる」


結衣は唇をかんだ。


直人が自分のために必死なのではないことを、知ってしまった。


それから結衣は、体を酷使する企画をやめた。


直人の日常や、会社員としての不器用さを生かした動画へ切り替えた。


若者言葉を覚える。


娘に嫌われないLINEの文章を考える。


流行のスイーツを真剣に食べ比べる。


「部下から言われた無茶ぶりを、無口な係長が本気でやる」という構成が支持され、フォロワーは一万人、二万人と増えていった。


一方、凛はオーディションを勝ち進んでいた。


仮面をつけたまま参加することを事務所も認めた。


歌唱力だけでなく、凛の作る曲には独特の寂しさがあった。


審査員からは、


「十五歳とは思えない」


「言葉の裏に物語がある」


と評価された。


ついに最終審査へ進む五人が発表された。


説明会の日。


凛は母のギターを背負い、事務所を訪れた。


広いスタジオに入ると、そこに桐谷玲奈がいた。


長い黒髪と、凛と同じように少し息の混じる歌声。


凛が何年も憧れてきた人だった。


玲奈は、最終審査の特別審査員を務めるという。


説明会が終わり、凛が帰ろうとしたとき、玲奈が近づいてきた。


「そのギター、少し見せてもらってもいい?」


凛は緊張しながらギターを差し出した。


玲奈はボディの裏側を確認した。


そこには、小さな花と「M」の文字が彫られている。


玲奈の指が止まった。


「このギター、どうしたの?」


「母の形見です」


「お母さんの名前は?」


「水野美咲です」


玲奈の顔から血の気が引いた。


「美咲……?」


玲奈はギターを抱きしめるように持った。


「あなた、美咲の娘なの?」


凛は驚いてうなずいた。


玲奈は椅子へ腰を下ろし、しばらく何も話せなかった。


やがて、震える声で語り始めた。


大学時代、美咲と玲奈は「M&R」というデュオを組んでいた。


駅前や商店街で、毎週のように歌った。


客が一人も立ち止まらない日もあった。


雨で機材が濡れ、二人で泣きながら帰ったこともある。


玲奈が作曲し、美咲が歌詞を書くことが多かった。


美咲は人を立ち止まらせる歌声を持っていた。


玲奈は華やかで、度胸があった。


正反対だったが、二人でなら夢へ進めると信じていた。


ある冬の日。


美咲が高熱を出し、玲奈は一人で路上に立った。


その日に限って、音楽事務所のスカウトが通りかかった。


「ソロならデビューさせられる」


そう告げられた玲奈は、迷った。


美咲に電話すると、彼女は笑って言った。


「行って。玲奈が先に行って、私が追いつくから」


玲奈はデビューした。


美咲は路上ライブを続けた。


だが、二人の距離は少しずつ開いていった。


玲奈は多忙になり、美咲は結婚し、やがて連絡は途絶えた。


「私がデビューしてから、美咲に会ったのは一度だけだった」


玲奈は目を伏せた。


「武道館のライブに来てくれた。旦那さんと、小さな女の子を連れて」


凛は記憶の中の武道館を思い出した。


母が泣きながら歌っていた理由を、そのとき初めて知った。


「母は、五年前に亡くなりました」


玲奈は両手で口元を覆った。


「知らなかった……」


長い沈黙のあと、玲奈は凛をまっすぐ見た。


「凛ちゃん。あなたには才能があると思う。でも、才能だけでは届かない世界なの」


「わかっています」


「努力しても、報われない人の方が多い。きっかけと、運と、人とのつながりが必要になる」


凛は母のギターを握った。


「それでも、私は歌いたいです」


家に帰り、凛は直人に玲奈との出来事を話した。


直人は驚いたが、すぐに険しい顔になった。


「芸能界は厳しい。高校を卒業してからでも遅くない」


「どうして応援してくれないの?」


「応援していないわけじゃない」


「お母さんの夢でもあったんだよ」


「だからこそ、簡単に考えてほしくない」


「簡単になんて考えてない!」


直人は、凛が何度も歌を撮り直していることを知っていた。


夜遅くまで作詞をしていることも知っている。


だが病気のことを隠している直人には、凛を一人で厳しい世界へ送り出すことが怖かった。


「歌だけで生きていける人は、ほんの一握りだ」


その言葉が、凛の胸をえぐった。


「私の努力も見ていないくせに」


「見ている」


「見てないよ!」


凛は直人のスマートフォンを指さした。


「毎日、くだらない動画ばかり撮ってる人に言われたくない!」


直人の顔がこわばった。


「いい年をして踊って、転んで、笑われて。お父さんの方が、よっぽど何も考えてないじゃない!」


「凛」


「お母さんが生きていたら、絶対に恥ずかしがってる!」


凛が部屋へ走っていく。


扉が激しく閉まった。


直人は一人、リビングに残された。


胸の痛みよりも、凛の言葉の方が痛かった。


その夜。


直人は押し入れの奥から、古いスマートフォンを取り出した。


亡くなった美咲が使っていたものだった。


五年間、一度も電源を入れられなかった。


震える指で充電器をつなぐ。


しばらくすると、画面が淡く光った。


写真、メッセージ、音声、動画。


生まれたばかりの凛。


初めて歩いた日。


三人で行った海。


武道館で笑う美咲。


直人は泣きながら、一つずつ再生した。


そして、最後の方に残されていた一本の動画に気づいた。


病室のベッドに座る美咲が、ギターを抱えていた。


『凛に、いつか歌ってほしい曲を作っています』


美咲はカメラへ向かって微笑んだ。


『でも、最後まで作れるかわからないから――』


そこで映像が揺れた。


美咲は、短い旋律を歌い始めた。


たった十四小節。


歌詞も途中で終わっていた。


直人は息をするのも忘れて、その歌を聞いた。


動画の最後、美咲はカメラへ顔を近づけた。


『直人さん。もし私がいなくなったら、この曲の続きを――』


そこで、映像は途切れていた。

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