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父がバズった日、私は父を嫌いになった ――亡き妻と娘の夢をつないだ、無口な係長の最後の挑戦  作者: asnt2026


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3/8

第3話 仮面の歌姫と、道化の父

凛は、事務所から届いたメッセージを何度も読み返した。


人気シンガーソングライターの桐谷玲奈が所属する大手音楽事務所。


子どもの頃、父と母に連れられて玲奈のライブを見たことがある。


武道館の二階席。


ステージに立つ玲奈は、小さな星のように見えた。


美咲は隣で歌を口ずさみ、直人は慣れないペンライトを左右に振っていた。


あの日は、三人で過ごした最後の夏だった。


その事務所が、新人発掘オーディションを開催している。


応募者は約千人。


書類、歌唱動画、オンライン面接、実技審査を経て、最後に一人だけが選ばれる。


凛は応募を決めた。


父には言わなかった。


直人のSNSは、少しずつ注目を集め始めていた。


アカウント名は結衣がつけた。


『無口な係長、やってみた。』


課長に許可を取り、会社名が映らないことや、勤務時間外に撮影することを条件に活動を続けた。


「今日は、流行中のダンスを一時間で覚えます」


「前にも踊った」


「あれは踊ったうちに入りません」


「厳しいな」


「フォロワー千人を目指すんですよね?」


「ああ」


直人は毎日、仕事のあとに撮影した。


若者向けの振り付けを覚え、巨大プリン作りに挑戦し、街中の階段を何往復できるか試した。


どんな企画でも、直人は真顔だった。


転んでも真顔。


失敗しても真顔。


巨大プリンが床に落ちても、床を拭きながら真顔。


その姿がかえって面白いと評判になった。


一か月でフォロワーは三千人を超えた。


だが家では、直人と凛の会話が減っていった。


夕食の時間になっても、直人が撮影から帰らない日が増えた。


冷蔵庫には、スーパーの総菜や冷凍食品が並ぶようになった。


「最近、遅いね」


「撮影が長引いた」


「仕事じゃないんでしょ」


「そうだな」


「じゃあ、早く帰ってきたら?」


「すまない」


いつも謝るだけだった。


凛には、その謝罪が自分との生活よりSNSを選んでいるように聞こえた。


母がいなくなってから、父は何よりも凛を優先してきた。


授業参観にも来た。


不器用ながら弁当も作った。


凛が熱を出した夜は、一晩中そばにいた。


その父が今は、知らない誰かに笑ってもらうために走り回っている。


ある晩、直人が玄関で靴を脱ぐと、凛が立っていた。


「今日、何してたの?」


「公園の鉄棒で、逆上がりに挑戦した」


「できた?」


「四十二回目でできた」


直人の手には豆ができ、皮がむけていた。


「そこまでして、何になるの?」


「見てくれる人が増える」


「だから、増やしてどうするの?」


直人は答えなかった。


凛はその沈黙に耐えられなかった。


「お母さんが見たら、どう思うかな」


直人の顔がわずかにゆがんだ。


凛は言いすぎたと思った。


だが、謝れなかった。


「凛には、わからなくていい」


直人は静かに言った。


「何それ」


凛は部屋へ戻った。


直人は廊下に立ったまま、しばらく動かなかった。


翌週。


結衣が考えた企画は、真冬の公園で薄着になり、百回連続で縄跳びをするものだった。


「係長、本当に大丈夫ですか?」


「大丈夫だ」


「最近、かなり痩せましたよ」


「食事を減らしている」


「なぜですか」


「健康のためだ」


嘘だった。


食べると腹の奥が痛んだ。


抗がん剤の副作用で吐き気が続く日もあった。


医師には無理をするなと言われている。


それでも直人には、休んでいる時間がなかった。


撮影が始まった。


二十回。


四十回。


六十回。


直人の息が荒くなる。


八十一回目で足がもつれた。


地面に膝をつき、動かなくなった。


「係長?」


結衣が駆け寄る。


直人の顔は青白かった。


「救急車を呼びます」


「必要ない」


「必要あります!」


結衣がスマートフォンを取り出すと、直人はその腕をつかんだ。


「娘には、知られたくない」


「何をですか」


直人はポケットから薬を取り出した。


薬袋には、県立がん医療センターの名前が印刷されている。


結衣の表情が凍った。


「係長……これは」


直人は地面に座り込んだまま、消え入りそうな声で言った。


「ステージ4だそうだ」


結衣は言葉を失った。


風の音だけが、二人の間を通り抜けた。


「手術はできない。あとどれくらいあるかも、はっきりしない」


「それなのに、こんなことをしていたんですか?」


「だから、している」


直人は震える手でスマートフォンを握った。


画面には、フォロワー数が表示されている。


三千二百八十一人。


「俺がいなくなったあと、凛に残せるものを作りたい」


それが、直人がインフルエンサーを目指した本当の理由だった。

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