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父がバズった日、私は父を嫌いになった ――亡き妻と娘の夢をつないだ、無口な係長の最後の挑戦  作者: asnt2026


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第2話 無口な係長と、一万回の失敗

直人の動画は、まったく伸びなかった。


流行のダンスは再生三十二回。


巨大な風船を割る動画は十九回。


目隠しをして飲み物の味を当てる企画では、すべて「麦茶」と答え、再生五十六回。


「係長、普通にやってもダメです」


昼休みの会議室で、結衣は厳しい顔をしていた。


直人はコンビニのおにぎりを食べながら、静かにうなずいた。


「普通以外に、どうすればいい」


「もっと感情を出してください。驚く、喜ぶ、悔しがる」


「驚いている」


「眉毛が一ミリ動いただけです」


「かなり動かしたつもりだ」


結衣は頭を抱えた。


企画を考えるのは結衣。


撮影と編集も結衣。


出演するのが直人だった。


二人は仕事が終わったあと、会社近くの公園や貸しスタジオで撮影した。


バスケットボールのフリースローを百回連続で挑戦する企画では、一度も入らなかった。


縄跳びの二重跳びに挑戦した動画では、開始三秒で縄が頭に引っかかった。


早口言葉では、一つ目の「生麦生米生卵」で噛んだ。


それでも直人は、結衣に言われたことを一度も拒まなかった。


「もう一回お願いします」


「わかった」


「係長、今日は顔色が悪いです。やめますか?」


「大丈夫だ」


失敗しても、転んでも、息を切らしても続けた。


結衣には、そこまで必死になる理由がわからなかった。


直人は目立つことが嫌いだった。


会社の飲み会でも端に座り、二次会には一度も参加しない。会議で部下の成果を褒めることはあっても、自分の手柄を話すことはなかった。


そんな人が、なぜ笑われるような動画を投稿するのか。


「係長。何か、理由があるんですよね?」


「理由?」


「インフルエンサーになりたい理由です」


直人の手が止まった。


「今は、話せない」


「娘さんにも?」


「ああ」


結衣はそれ以上聞けなかった。


ある金曜日。


二人は「激辛ラーメンを無表情で食べ切れるか」という動画を撮影した。


直人は一口食べても顔色を変えなかった。


二口目も、三口目も同じだった。


結衣はカメラの後ろで興奮した。


「すごいです、係長! 本当に辛くないんですか?」


「かなり辛い」


「全然そう見えません」


直人は無表情のまま食べ続けた。


だが、半分を過ぎたところで箸を置いた。


額には汗が浮かび、呼吸が浅くなっている。


「どうしました?」


「少し、腹が痛い」


「辛い物のせいですよ。もうやめましょう」


「いや、最後まで――」


直人が立ち上がろうとした瞬間、体が大きく揺れた。


結衣が腕をつかむ。


「係長!」


直人は数秒間目を閉じ、やがて何事もなかったように椅子へ座り直した。


「寝不足だ」


「病院へ行った方がいいです」


「もう行っている」


結衣は聞き返した。


「え?」


「定期的に診てもらっている。問題ない」


直人はそう言ったが、目を合わせなかった。


動画は、直人が途中で箸を止めたところまで編集された。


結衣はタイトルをつけた。


『無口な上司に激辛を食べさせたら、最後まで顔が変わらなかった』


翌朝。


再生回数は三百を超えた。


昼には二千。


夜には一万回を超えていた。


直人の無表情と、時折映る結衣の慌てた声が面白いと話題になった。


コメントには、


〈このおじさん、じわじわくる〉


〈何をしても真顔なの好き〉


〈上司と部下の関係が良さそう〉


と書かれていた。


結衣は電話口で叫んだ。


「係長、バズりました!」


「バズるとは、何回からなんだ」


「一万回なら、初バズ認定でいいです!」


直人はスマートフォンの数字を見つめた。


フォロワーは五十三人。


その小さな数字に、直人は初めて笑った。


同じ頃、凛は学校で友人の香帆からスマートフォンを差し出されていた。


「ねえ、この人、凛のお父さんに似てない?」


画面には、激辛ラーメンを無表情で食べる直人が映っていた。


教室では何人かの生徒が笑っている。


「この人、面白いよね」


「真顔すぎる」


「凛のお父さんでしょ?」


凛は喉が詰まるような感覚を覚えた。


「違うよ」


「でも、そっくりじゃない?」


「父は、こんなことしないから」


凛は強く否定した。


家に帰ると、直人はリビングで動画を編集していた。


「今日、学校で動画を見せられた」


直人の指が止まった。


「そうか」


「お父さんかって聞かれた」


「何と答えた」


「違うって言った」


直人はしばらく黙っていた。


「すまなかった」


その謝り方が、凛には腹立たしかった。


やめるとも、理由を話すとも言わない。


「何がしたいの?」


「まだ、うまく説明できない」


「恥ずかしいんだけど」


「そうだな」


「そうだな、じゃないよ」


凛は自分の部屋へ入り、扉を強く閉めた。


その夜。


直人は凛が眠ったあと、廊下に落ちていた一枚の紙を拾った。


そこには、動画投稿用の歌詞が書かれていた。


紙の端には、小さく「RINNE」と記されている。


直人はスマートフォンでその名前を検索した。


白い仮面をつけ、ギターを抱えた少女の動画が現れた。


顔は隠れている。


だが、直人にはすぐにわかった。


母と同じギター。


母と同じ、少し息の混じる歌声。


「凛……」


直人は、娘が夢を追い始めていたことを初めて知った。


そして、その動画の下には、一件の新しいコメントが付いていた。


〈芸能事務所の者です。一度、お話をさせていただけませんか〉

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