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第16話 ほどけた糸の町

 町に入った瞬間、ルーミアは、足取りがわずかに鈍くなるのを感じた。

理由は、はっきりしている。


色糸が多すぎた。


切れているわけではない。

絡まり合っているわけでもない。

ただ、どれも途中で止まっている。



「……ここ」


小さく呟いた声は、風にさらわれて消えた。



町の名は、ヴァイス。

かつては織物で栄えた土地だと、街道で聞いていた。


低い建物が並び、軒先には古い布が干されている。

染め直されることもなく、かといって捨てられることもない。



「……止まってる」


隣を歩くノエルが、短く言った。


「終わってはいない。でも、進んでもいない」


その言葉は、この町そのものを表していた。



ルーミアは、胸の奥に微かな違和感を覚える。


疲れている。

それは、否定しようのない事実だった。


色糸魔法を使うたび、感情が削れていく。


その自覚は、セルマを越えた時点で、もう確かなものになっている。


だから、ここでは使わない。そう決めていた。



宿を探す途中、何人もの人とすれ違った。


誰も、助けを求めてはいない。

声を荒げる者もいない。


だが、色糸は見えている。



「……ねえ、ノエル」


「なに」


「この町の人たち……苦しんでないように見える」


「そうね」


「でも……幸せそうでもない」


ノエルは、少し考えてから答えた。


「“どうしたらいいか分からない”って状態が、一番長く続く」


その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。

それは、今の自分にも重なっていた。


宿は町の中央にあった。

古いが、手入れはされている。


「二泊ほど、お願いします」


受付に声をかけると、年配の女性が顔を上げた。


「……旅の方?」


「はい」


一瞬、視線がルーミアに留まる。


期待でも、警戒でもない。

ただ何かを量るような目。


「……部屋、空いてますよ」


鍵を受け取った時、胸の奥が少しだけ重くなった。

色糸が、宿の中にも張り巡らされている。


誰かに向けたものではない。


町そのものに、“まだ続けたい”という感情が滞留している。




部屋に入ると、簡素な机と椅子、窓から見える通り。


「……何もしなくていい町、かもしれないね」


ルーミアが言うと、ノエルは即答しなかった。


「……それは、今のあんたにとって楽かもしれない」


「うん」


色糸魔法を使わずに済む。


削れない。

誰かの人生を、編み直さなくていい。


それは、確かに“楽”だった。


「でも」


言葉が続かない。


色糸は見えてしまう。


使わなくても。

関わらなくても。


「……しばらく、ここにいよう」


自分でも驚くほど自然に、その言葉が出た。


ノエルは否定しなかった。


「いいよ」


短い返事。


それが、この町での滞在を現実のものにした。


立ち止まる。

それは、逃げでも決断でもない。

ただ、今の自分が選べる唯一の行動だった。


色糸は相変わらず、見えている。


けれど、まだ編む気にはなれなかった。


翌朝、町は変わらず静かだった。

鐘の音は鳴らず、通りに人影はあるものの、足取りはどこか緩い。


ルーミアは宿を出て、あてもなく歩き始めた。



「……何もしないって、意外と難しいね」


ノエルは、少し後ろを歩きながら答える。


「人は、“何かをしない理由”を考え始めちゃうから」


その言葉に小さく息を吐く。


身体は少し楽だった。

眠れたし、頭も痛くない。


でも、胸の奥にある薄さは、戻っていない。



「……疲れ、取れてない」


ぽつりと零れた言葉に、ノエルは視線を向けた。


「回復する類の疲れじゃない」


「……分かってる」


色糸魔法を使うことで、感情が削れる。

それは、休めば戻るものではない。


削れた部分は、そのまま、空白として残る。




通りの角で、一軒の店が目に留まった。


古い木の看板。

少し傾いた文字で、<仕立て屋>と書かれている。


布を打つ音が、規則正しく聞こえた。


「……仕立て屋」


その言葉に胸がわずかに反応する。


理由は、すぐに分かった。


父の背中。

針と糸。

布の匂い。


ーー懐かしい。


扉の前で、一瞬だけ躊躇してから中を覗いた。


「……いらっしゃい」


落ち着いた声。


作業台の向こうで、一人の男性が顔を上げた。


年は、二十代後半だろうか。

派手さはないが、無駄のない所作。


「……旅の方ですか」


「……はい。町を、少し……」


言葉が曖昧になる。


目的が自分でもはっきりしていなかった。


「そうですか」


男性は、それ以上深く聞かなかった。


「見ていくだけでも構いませんよ」


その距離感が、不思議と心地よかった。



棚に並ぶ衣服はどれも実用的だ。

誰かの日常を、静かに支える服。


「……綺麗ですね」


思わず、そう言う。


「ありがとうございます」


彼は少しだけ笑った。


「直す服がある限り、ここは続けられますから」


その言葉は、強がりではなかった。


続ける理由を静かに受け入れている声音。



「あの……お名前」


「イーリス・フェンです」

「……ルーミア」


それだけ告げる。


色糸の魔導士だとは、言わなかった。

ここでは、その肩書きが必要ない気がした。



店を出ると、胸の奥がほんの少しだけ軽くなっている。


「……何もしてないのに」


「それが、今のあんたには必要なんでしょ」


ノエルの言葉に反論できなかった。


色糸は、相変わらず見えている。

でもーー編まなくても息ができる場所がある。


その事実が静かに、ルーミアの中に染み込んでいく。


夕方、ヴァイスの通りは昼よりも人が増えていた。


といっても、賑わいとはほど遠い。

皆同じ方向へ歩き、同じ速度で足を運んでいるだけだ。


仕事を終え、家へ戻る。

それだけの流れ。



「……一日、何もしなかったね」


ルーミアの声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


「町としては普通よ」


ノエルは、通りの先を見ながら言う。


「特別なことは起きない。それを、良しとする場所もある」


それは否定ではない。

この町の在り方を、そのまま言葉にしただけだ。




宿へ戻る途中、再び仕立て屋の前を通った。


扉は開いている。

中から灯りが漏れていた。


「……まだ、やってる」


無意識に足が止まる。


中を覗くと、イーリスが一人、作業台に向かっていた。

針が布を通る音が、静かな町に溶け込んでいる。



「……こんばんは」


声をかけると、彼は顔を上げた。


「ああ……こんばんは」


昼よりも少しだけ疲れた表情。

それでも、笑顔は崩れていない。


「遅くまで……」

「いつものことです」


そう言って作業の手を止める。



「旅の方は……もう慣れましたか」


その問いは、軽い雑談のはずだった。

けれど、胸の奥が小さく軋む。


「……慣れた、というより」


言葉を探す。


「……止まってる、感じです」


イーリスは、少し考えてから頷いた。


「この町は、そういう場所です」


否定もしない。

誇りもしない。


「楽ですか」


問いは唐突だった。


「……楽、ではあります」


嘘ではない。


色糸魔法を使っていない。

感情は、削れていない。


それなのに、胸の奥にある空白は埋まっていない。


「……でも」


言葉が自然と続く。


「……戻ってない感じもします」


何が、と言わなくても、イーリスは察したようだった。



「……回復というより」


彼は、慎重に言葉を選ぶ。


「置いたまま、なんじゃないですか」


その一言が静かに深く刺さる。


置いたまま。


休んだ。止まった。

それでも、元に戻ったわけではない。


「……そう、かもしれません」


ルーミアは自分の手を見る。


震えてはいない。

力も入る。


けれど感情の手応えが、薄い。

削れたものは、休んでも戻らない。



「……それでも」


イーリスは作業台に手を置いた。


「ここにいると、少しは……楽になる人もいます」



それは救いの言葉だった。


同時に、留まる理由にもなる言葉。



「……そうですね」


そう答えながら、胸の奥が僅かに重くなる。


店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。

通りの灯りが静かに揺れている。


「……休んだのに」


宿への帰り道、ぽつりと零す。


「……楽になった、気はする」

「でも戻ってはいない」


ノエルの言葉は、厳しくも正確だった。


「色糸魔法の代償は、すり減るものじゃない」


「……削れてるに近い、ね」


自分で言って、胸の奥が少し冷える。

削れたものは補充できない。


「……ここにいれば、これ以上削れない」


「そう」


「でも」


歩きながら空を見上げる。


「……削れたまま、生きることになる」


ノエルは否定しなかった。

それが、一つの生き方であることも事実だからだ。




宿の部屋に戻り、椅子に腰を下ろす。


今日一日、何もしていない。


なのに、胸の奥に小さな疲労が残っている。


色糸魔法を使ったからではない。

「どう生きるか」を考え続けたからだ。


この町は、何もしなくていい。


でも、何もしない選択をずっと続けるには、覚悟が要る。



ルーミアは、窓の外を見つめた。


色糸は、今も見えている。

それはここにいても消えない。



ヴァイスの町が、ここではっきりと姿を現す。


休める場所は、逃げ場とは限らない。

立ち止まることは、解決ではない。


この町でルーミアは、もう少しだけ、“普通の人生”に近づいていく。

その先にあるものを、まだ知らないまま。

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