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第14話 疲れの兆し

 エルドを離れてから、空の色が変わり始めた。


雲が増え、陽射しは柔らかく遮られている。

暑くも寒くもない。

歩くには、ちょうどいいはずの気候だった。


それでもルーミアは、無意識に呼吸を深くしていた。



「……少し、間が空くね」


言葉は自然に出る。

声も、まだ乱れていない。


ノエルは隣を歩きながら、ちらりと彼女を見る。


「疲れたか」


「……ううん。たぶん……違う」


否定は、すぐに出た。

体が重いわけではない。

足取りも、いつもと変わらない。


ただ、考え続けている感覚が、頭の奥に残っている。


どこで使うか。

どこで使わないか。

使ったら、何が起きるか。


それらを一つずつ選び取ることが、思っていた以上に、静かに負荷をかけていた。




 街道の先に、小さな村が見えてくる。


セルマという名の農地に囲まれた集落だった。


畑は耕され、人影もある。

完全に色を失ってはいない。


「……ここも進行は浅い」


そう答えたが、胸の奥に小さな引っかかりが残った。



村に入ると、畑仕事をしていた男性が声をかけてくる。


「旅の方か。今日は、雨が来るかもしれん」


「ありがとうございます」


挨拶は問題なくできる。

判断もできている。


だが、その男性の背後に伸びる色糸を見た瞬間、一瞬だけ思考が止まった。


ーーこれは、編むべきか?


問いが以前よりも早く浮かぶ。


答えはすぐには出ない。


色糸は細く、だが切れてはいない。

関係は揺れているが、破綻はしていない。


「……今日は、様子見でいい」


自分に言い聞かせるように、そう結論づける。


判断は間違っていない。


それでもーー

決めたあとに、小さな疲労が残った。


ノエルは、それ以上何も言わない。



宿代わりの家で休ませてもらい、簡素な食事を取る。


味は悪くない。

空腹も満たされる。


なのにルーミアは、箸を置くのがいつもより早かった。


「……もう、いい?」


ノエルが尋ねる。


「うん。十分……」


食べられないわけではない。

ただ、満たされた感覚が早く来る。


それが妙に気になった。



夜、寝床に横になり天井を見つめる。


今日は、魔法を使っていない。

詠唱もしていない。


それでも、

頭の中では、色糸が何度も浮かんでは消える。


ーーここで編んだら。

ーーここで使わなかったら。


考えること自体が、少しだけ億劫になっている。


「……疲れてるのかな」


小さく呟く。


返事は、ない。


答えを出すほどの違和感ではない。

でも見過ごせるほど、軽くもない。


それが兆しだということだけは、はっきりしていた。


セルマの夜は早かった。


雲が低く垂れ込み、夕暮れの光はあっという間に失われる。


遠くで雷鳴が転がり、雨の気配が空気に混じっていた。


「……降りそうだね」


ルーミアが言うと、ノエルは頷く。


「今夜か明け方だな」



村人たちは手早く戸を閉め、家の中へと引き上げていく。


その様子を見ていると、この場所が“慣れている”ことが分かった。


不安はある。

だが、対処の仕方も身についている。



夕食を終えた頃、一人の男性が、遠慮がちに声をかけてきた。


「……少し、相談があるんだ」


年は三十代ほど。

農具を抱え、困ったように帽子を手にしている。


色糸が見えた。


細く、くすんだ色。

焦りと諦めが、絡まりきれずに揺れている。


「……何でしょう」


声は普段どおりに出た。

判断もできる。


男性はマレクと言った。マレクは語る。


収穫量が減っていること。

若い者が町へ出ていくこと。

自分が、残るべきか迷っていること。


「皆、それぞれ事情がある。引き止めるつもりはない……でも、このままじゃ畑も村も……」


言葉の端々に、責任感が滲んでいる。


ルーミアは、話を聞きながら考える。


ーーこれは、大きな問題じゃない。

ーーでも放っておくと、じわじわと冷えていく。


編める。

ごく、軽く。


ほんの少し、“今は続けていい”という感覚を渡すだけなら。


「……少しだけ、お手伝いできるかもしれません」


自分でも、声が少し低くなったのを感じた。


男性は目を見開く。


「本当か」


ルーミアは深く息を吸う。


「──色糸魔法(クロマ・ウィーブ)


詠唱は、問題なく口をついた。


だがーー

色糸を捉える瞬間、わずかな“ずれ”が生じた。


焦点が、一瞬だけ合わない。


「……」


目を凝らし、無理に結び直す。


糸は集まり、畑の隅に置かれていた古い麻袋に、淡く編み込まれていく。


成功だ。


色はわずかに戻る。

男性の表情も、ほんの少し軽くなる。



「……ああ」


深く息を吐き、肩の力が抜けた様子だった。


「……まだ、やれる気がする」


その言葉を聞いた瞬間、

ルーミアの胸に、小さな違和感が走る。


ーー“気がする”。


それだけだ。

保証ではない。

未来でもない。


それでも、今を越えるためには十分な言葉。


「……よかったです」


そう答えながら、ルーミアは、足元が少し不安定になるのを感じた。


立っていられないほどではない。

目眩でもない。


ただ、集中を解いた瞬間に力が抜ける。


ノエルが、さりげなく近づく。


「休もう」


命令ではない。

提案に近い。


「……うん」


素直に頷いたことに、自分で少し驚く。


男性は、何度も礼を言って去っていった。


部屋に戻り、椅子に腰を下ろすと、思った以上に深く息を吐いていた。


「……今の……ちょっと時間かかった」


独り言のつもりだった。


「気づいた?」


ノエルの声は、静かだ。


「色糸を掴むのに、一瞬迷った」


否定できない。


「……失敗は、してないよね」

「してない」


即答だった。


「でも……余分な力を使った」


その指摘は正確だった。

無理をした自覚はない。


それでも、“丁寧に選ぶ”ことに、以前より集中力を要している。




「……疲れてるのかな」


今度は、はっきりと口に出た。

ノエルは少しだけ考えてから言う。


「疲労というより……摩耗」


摩耗。

削れていく感覚。

消耗ではなく、少しずつ擦り減る。


ルーミアは目を閉じた。


まだ使える。

まだ成功する。


それは事実だ。


けれど、同じやり方ではいられない。

その予感が、はっきりと形を持ち始めていた。


 夜半、雨が降り出した。


最初は静かに、屋根を撫でるような音だった。

やがて粒は大きくなり、セルマの村を包み込む。



ルーミアは目を覚ました。


身体が痛むわけではない。

寒さでもない。

ただ、眠りが浅かった。


起き上がろうとして、一瞬だけ動きを止める。


「……」


理由のない、ためらい。

無理をすれば立てる。


でも、今すぐ動く必要はないと、身体のどこかが告げている。



ゆっくりと息を吸い、天井を見つめる。

雨音に混じって人の声が聞こえた。


外だ。


ルーミアは上着を羽織り、静かに戸を開ける。


村の広場に、数人の人影が集まっていた。


畑の一角が、雨で崩れかけているらしい。

水が流れ込み、明日の作業に影響が出そうだ。


「……どうする」

「今夜のうちに溝を掘らないと」


焦りが声に混じっている。

色糸が揺れていた。


切れてはいない。けれど、急激に冷えている。



ーー編めば。


その考えが、自然に浮かぶ。


今なら、小さく整えるだけでいい。

今日一日を越えさせる程度なら。


「……」


一歩踏み出しかけて、また止まる。


昼間の感触が、はっきりと思い出された。


焦点のずれ。

集中を解いた瞬間の、力の抜け方。


「……今は……」


声に出さず、自分に言い聞かせる。



代わりにノエルが前に出た。


「人を分けて。水路側と畑側に」


短い指示だった。


「溝は、今ある道具で十分。深く掘る必要はない」


村人たちは一瞬戸惑ったが、すぐに動き出す。

雨の中、土を掻き、水の流れを変える。


完璧ではない。

だが、最悪は避けられる。


色糸は自然と落ち着いていった。


ルーミアは、その様子を見つめながら、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。


ーー使わなくてよかった。


そう思った直後、別の感情が浮かぶ。


ーー使わなくて、済んだ。


その違い。

今の自分にとって、とても重要な気がした。



作業が終わり、人々は家に戻っていく。

雨はまだ続いていた。



ノエルがルーミアの隣に立つ。


「判断は正しかった」


評価ではなく、確認だった。


「……でも」


ルーミアは、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「前なら……たぶん、迷わなかった」


「そうだね」


否定はない。


「……迷うようになった」


それは、衰えなのだろうか。

それとも、変化だろうか。


ノエルは、しばらく雨を見てから言った。


「慎重になっただけよ」


「……それって……」


「悪いことじゃない」


即答だった。


ルーミアは、胸元のペンダントに触れる。


今日は、一度も詠唱していない。

それでも、頭は少し重い。


身体を休めれば、明日はまた動けるだろう。

食事も取れる。

眠れる。


けれどーー

今日感じた“迷い”は、休んでも消えない。


それが、はっきりと分かってしまった。


「……疲れが溜まってるのかな」


問いかけるように呟く。


ノエルは、すぐには答えなかった。

代わりに短く言う。


「よくない兆しなのかも」


否定も、断定もしない言葉。


ルーミアは、その意味を噛みしめる。


まだ使える。

まだ成功する。


でも同じ感覚では、もう使えない。



雨の中、村の灯りが、一つ、また一つと消えていく。


色は、まだ残っている。

けれど確実に薄くなっている。


その流れの中で、ルーミアは歩き続ける。


疲れを否定せず、恐れすぎず。

ただ、兆しを抱えたまま。

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