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第11話 編み直せないもの

 岬町グレイシアを出て三日目の朝、空は澄んでいた。


夜露を含んだ土の匂いと、乾ききらない布の匂いが混ざり合い、朝の街道に静かに広がっている。


街道をさらに進むと、人の往来が増え始めた。

石造りの建物が並び、露店の声が途切れずに響く。


交易町カラン。

この地方では比較的大きな町だ。


人は多い。

活気もある。


けれど、ルーミアの視界にはどこか、ちぐはぐな色糸が映っていた。


人と人を結ぶはずの糸が、絡まる寸前で止まり、それぞれ別の方向へ引かれている。


「……ここ、少し変だね」


岬町での一件で、丸一日寝込んだルーミアの声は、まだ少し掠れていた。


「人が多い町ほど、そうなるさ」

ノエルは淡々と言う。


「関係が多い分、ほどけたままの糸も増える」


 宿に入ると、昼前だというのに客は多かった。

その中で、一組の男女がこちらを見ている。

やがて、女性のほうが近づいてきた。


「もしかして……あなたが、色を戻せる人?」

迷いのない声だった。


「戻す、というより……一時的に整えるだけです」

正確に伝える。


「まさか会えるなんて!」


彼女の瞳は、濁っていなかった。


背後に立つ男性の色糸が見える。


濁った赤と沈んだ青。

けれど完全に断たれてはいない。

強く、強く引き合っている。


ーー諦めていない。


そう分かった。


「……お話、聞かせてもらえますか」


女性は頷き、息を整える。


「店を……畳むことにしたの」


商売は失敗した。

借り入れもある。


でも彼女の声は、折れていなかった。

諦めてしまう人が多いこの世界で、彼女は確かに闘っていた。


「終わりにしたいわけじゃない。もう一度、小さくてもいいから、やり直したいの」


隣で男性が、拳を握る。


「……俺は、やめた方がいいと思ってる」


初めて口を開いた。


「これ以上、彼女を巻き込みたくない」


黙っていたのは無関心ではない。

言えば、ぶつかると分かっていたからだ。


ルーミアは、二人の糸を見る。


まだ、温度がある。

ーー編める。


そう思った瞬間、胸の奥がひりついた。


編んだら、何が強まる?


「……色糸魔法(クロマ・ウィーブ)


詠唱は、はっきりと。


色糸が二人の間を結び直す。

布に編み込まれ、感情が、一瞬だけ、輪郭を取り戻す。


女性の目が揺れる。


「あ……」


男性も息を呑む。


「……そうだ。俺は……」


記憶ではない。

感情の芯が戻る。


「私は……あなたと一緒にやりたいの」


その言葉は、怒りではなかった。


「俺だって……守りたい」

男性の声は低い。


一瞬、空気がやわらぐ。


ーー成功した。


そう思った、その次の瞬間。


「だからって!」

女性の声が鋭く響く。


「守るって言って、全部一人で決めないで!」


宿の空気が凍った。


色糸は確かに機能している。


互いの想いは戻った。

誤解も、曖昧さも、消えた。


だからこそ。


「……俺は、君に苦労させたくない」


「私は、苦労を分け合いたいの!」


声がぶつかる。


さっきまで引き合っていた糸が、今度は違う方向へ引かれる。


断ち切ろうとしているのではない。

進みたい方向が違うだけだ。


「もう一度やるなら、小さく始めればいい。私も働く」


「借金はどうする。失敗したら?」


「失敗したら、また考える!」


周囲の客が視線を逸らす。


男性の声が震える。


「……俺は、もう君に頭を下げさせたくない」


女性が、息を詰める。


「それを、私に決めさせてよ」


理解している。

愛も、気遣いも。


でも選択の方向が違う。


ルーミアは指先を握りしめる。


ーーもう一度編めば変わる?


今度は、もっと深く。


だが胸の奥で、静かな予感が囁く。


編んでも、選択は変わらない。

想いを戻すことと、未来を揃えることは違う。


そのとき、ノエルが一歩前に出た。


「ここは宿よ」


よく通る声。


「続きは外でやって」


拒めない調子。


二人は息を荒くしたまま、外へ出ていった。


残された空気は、張りつめている。


「……私」


ルーミアは言葉を探す。


助けたかった。

壊したかったわけじゃない。


「失敗だと思う?」


ノエルが問う。


「……分からない」


「魔法は成功してる」

淡々と。


「ただ、戻った感情が、ぶつかっただけ」


それが余計に重い。


 しばらくして、二人は戻ってきた。目は赤いが、涙はない。


「……すみませんでした」

女性が頭を下げる。


「場を荒らして」

男性も続く。


「……ありがとうございました」


小さな声だった。


感謝は、確かにある。でも答えは出ていない。


二人は並んで宿を出ていく。

距離はある。だが、離れてはいない。


色糸は、まだ繋がっている。

ただ、同じ方向を向いていないだけだ。


ルーミアはその背中を見送る。


「……編み直せないんですね」


思わず零れた。


「人も、関係もね」


ノエルの声は静かだった。


慰めではない。事実だ。


 宿を出て、町外れへ向かう。

カランの喧騒は、一本路地を外れるだけで遠のく。


草の色は、まだ残っている。


「……色は、あるね」


「まだね。ここは進行中区域だし」


進行中。


壊れてはいない。

けれど整ってもいない。


「……編んだものって、戻せないんだね」


「戻るように見えるだけ。同じ形にはならない」


ルーミアは指先を見る。


確かに感触はあった。温度もあった。


でも、未来までは編めない。


「……だったら、使わない方がいいのかな」


迷いの言葉。


「決めるのは、いつでも自分」

ノエルは立ち止まる。


「でも今すぐ決めなくていい」


その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。


町を振り返る。

カランは活気に満ちている。


諦めている町ではない。

進もうとして、ぶつかっている町だ。


色糸魔法は、感情を戻す。


でも選択までは決められない。

編んだものは、編み直せない。



まだ糸は切れていない。


ルーミアは歩き出す。


答えを持たないまま。迷いを抱えたまま。

選ぶ重さだけが、少し増えていた。


この旅は、その重みと共に続いていく。

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