フュルギエ50歳、晩夏。〜聖女と女神と天使〜
「では、王立学院時代から?」
「ええ。わたくしの調べた限りに於いてですけれど、鉱山の取得や医薬の心得がある人材を積極的に雇用するのも、“夢想の聖女”サマの進言があったそうですわ」
キエフルシ公爵夫人は、ひとつ年下の王女殿下の護衛を務めた都合上、一年だけだが例の“夢想の聖女”と関わりがあった。その時に築いた情報網を駆使して寄せられた思い出話から、聖女を名乗る貴族令嬢には当時から未来視があったと推察するに足る証言や状況証拠が揃ってきた。つまり、聖女が預言した一連の謀は、少なくとも10年以上も前から計画されていた事になる。
「もっとも。彼女の世迷い言は常人に理解しがたい話ばかりでしたので、父親が人語に翻訳したのでしょうけれど」
「世迷い言?」
「当時、一方的に親友扱いされていた子、と言っても今はしっかりとした家の後継ぎ夫人ですけれど、彼女に話を聞くことが出来ましたの。そうしましたら、将来の事として、『我が儘な姫君の命令によって赴いた異国で、スュトラッチ卿と禁断の恋に落ちる』などとうそぶいていたと」
立て続けに生まれた二人の姫君は、曾祖母の血が濃かったのか、どちらも金の髪を持たず生まれた。それを嫌った先王は跡継ぎ候補である上の姫に先んじて下の姫を国外に出す事を早々に決めた。その後、前王妃の意地と皆の期待に応えるかのように金髪碧眼を持った男児が誕生した為に、同じく上の姫も国外に出されるのが決まったのだった。上の姫が11歳、下の姫が10歳になる年だ。成人後でなかったのは、せめてもの幸いであったろう。
ともあれ、異国に嫁ぐ姫の側仕えとして独身の若い男が帯同する、というのは非常に外聞が悪い。卑俗な言い方をすれば「愛人付きで嫁いだ」という事になり、国の信用に関わる大問題だ。
「その他には、何か?」
「横暴な王は民衆の手で討たれ、民衆を誘った勇敢な女性は聖女として崇められ国の新たな統治者の寵愛を受ける。スュトラッチ卿と統治者と、2人の男性の愛に揺れるわたくしは罪深い女、などとも」
おぞましいと言わんばかりの表情で告げるキエフルシ公爵夫人の心の中は、酷く荒れている事だろう。有名無実化しているとはいえ、教会では姦通は男女ともに神の御教えに背く重罪と教えているし、陛下が討たれるなんてものは真っ向からの不敬罪。本人の言の通り、まっこと罪深い行いである。
「どうもお父上の方は娘に特別の才があると疑わず、また実際に進言通りにしてひと財産築いたのもあったようで、随分と娘に甘かったようですわね。嫡男とも彼女の件でしばしば衝突をしていたとも聞こえて来ましたわ」
上流階級の若い女性の間で広まる噂話は、市井にはなかなか漏れ聞こえては来ない。面白おかしく笑い飛ばせないほどに深刻なものなら尚更だ。大っぴらに噂しようものならば、話者本人が不敬罪で処罰されよう。
「もしもご入用でしたら、聖女サマの情報を仕入れる事も出来ましてよ」
「それは有り難い」
「その代わりと言ってはアレですけれど」
コホンと小さな咳払い一つ、見つめる先は、ある一つの家族。手土産を携えて遊びに来た、弟一家だ。
「女神ご来臨の折は、わたくしにも一報を下さると嬉しいのですけれど」
***
「で、結局はどっちも“お兄様“にするの?」
「それなぁ」
ここは教会。悩める者や生きる寄す処失い悲しみにいる者が神に祈りを捧げる為に訪れる場所。だというのに母娘は神像そっくりな男を傍らに置いてのんびり世間話に花を咲かせている。うんうん、相変わらず元気そうで何よりだ。この家族から和やかさが失われれば、王国のみならず世界すべてが危機に陥るだろう。
今日の話題は、何時ぞやのヤクオトシで出た、2人の兄の呼び方について。
「マディの場合は全員自己申告だったんだよな?ううん、せっかく王国語には色んな表現があるんだから変えた方が面白い」
「シグムント伯父様は手紙に“お兄様”が希望って書いてあったから、フュルギエ伯父様は“兄様”とか“お兄さん”、“お兄ちゃん”だね」
シグムントは周囲に聞き取り調査を行い、婚姻によって生じた義理の兄妹関係では「お兄様」と呼ばれるのが一般的と知り、複数ある候補から「お兄様」の呼称を希望する旨を書面にて提出したようだ。
「それでもたった2つか。せっかくならもう少しバリエーションが欲しいな〜」
「ウリクセスの伯父様にお願いしてみたら?」
「昔に100回は言って200回以上断られてる。あの石頭、自分たちはあくまで臣下だから馴れ馴れしいのは駄目ってさ」
「でもさ、理論上わたしとダル義兄さまよりは血の繋がりが濃いでしょう?その点で押せばワンチャン……、そうだ、まずお養母様の事を『お姉ちゃん』って呼んでみたらどう?」
他人が聞けばどうでも良い事柄が彼らにとっては一大事で、大多数にとっての一大事は自分たちに関わらない限りは微風のようなもの。先ほどから同じ部屋で交わされていた我々の話も耳に入っているだろうに、気に留める様子もない。
「あのぉ、厚かましいお願いですが、わたくし、スヴァーヴァ様を“お姉様”とお呼びしても…?」
「いいぞー」
「有り難き幸せに存じます!ああ、女神様!」
何なら、今の今まで難しい顔をしていたキエフルシ公爵夫人も大いに破顔して、手を組み頭を垂れて感謝の祈りまで捧げる始末。誰に対してのものか判然としないが一応は女神にも感謝の言を述べているので不敬ではないし、本物の女神の方もこれくらいでは気分を害しはしないだろう。何しろ「いい加減に帰れ」と怒鳴りつけても神罰は未だ下っていない。
「語彙が少なめなのはミケーネの特徴なの?色名も、レモン色もオレンジ色もざっくり“黄色”とか、青も水色も紫も“青”とかさ」
「色名の簡略化は割と最近だ。昔、赤色の生地を大量に発注したら工房ごとに色味が微妙どころか大幅に違ったってんで、国中に色見本をばら撒いて『この色の生地を納めること!』って指定したのが始まりらしい。それが職人の間でも好評だったもんでその赤を“赤の1番”と呼んで、他の色にも広まっていったとか、そんな事を聞いた」
「そっか、色って人の感覚によって違うもんね。ちなみに、その時の生地って何に使ったの?」
「両親の結婚式兼母さんのお披露目式で国民に着させたと聞いてる。だもんで、赤の1番と言ったらどの店でもこの赤が出来上がるな」
「うわぁ、権力の無駄遣い」
「それはとても素晴らしい考えだね」
「我が国でも即刻、計画を立てませんと」
血の繋がった娘が「信じられない」と眉根を寄せる傍らで、義妹の信奉者2人は口々に絶賛する。この対比が実に興味深い。女神だ天使だと持ち上げられても、身近にいる誰かが決して驕り高ぶらぬよう戒める。それが、2人の巫女がただの人であり続けられる理由なのだろう。
「聞こえたんだが、“夢想の聖女”だって?」




