フルン26歳、晩夏。〜鷲の姫〜
「気をつけなさいよ。あの万年白昼夢女、今は夢想の聖女サマね。学院当時から貴方に熱を上げて『彼の事なら何でも知ってる』『心が通じ合ってる』なんて、殿下の居ないところで言っていたらしいわ」
「ああ、手紙がよく来ていたようだね。寮監に伝えて手紙も贈り物も全てぼくの元に届く前に処分して貰っていたから、内容はさっぱり知らないけれど」
キエフルシ公爵夫人もぼくも、視線を合わせることなく言葉を交わす。
窓の向こうでは大勢が慌ただしく動いている。カリソンを連れてきた鷲への御礼の品を獲ってくると言って中庭に降り立った少女は、姿無き不穏分子のたくらみを一瞬のうちに粉々に打ち砕いてみせた。けれど決してそれを誇ったりはしない。王立学院で暴れ馬を止めた時も、蜂の巣を見つけた時だってそうだ。彼女にとって重要なのは、身近にある危険が排除される事。それを為すのが自分でも他人でも構わないし、技能を持つ人間がやるのが当然と思っている節もある。
「あんな表情をするなんてね」
その声は、からかうでも呆れるでもない、純然たる驚きに満ちている。彼女の言う表情が何のことか、考えずとも判った。起きて尚夢の中にいる女の憐れな境遇を聞き我が事のように心を痛めていた愛しい人を自分から手を伸ばして抱き締めた時のことを言っているのだろう。
「てっきり」
「何だい?」
「男女の情が生まれないゆえに安心して甘えているのだと思っていたのだけれど」
「それは、うん、もしかしたら初めのうちは少なからずあったのかも知れない」
フルン・スュトラッチという人間は、中身がぽっかり空いた張りぼてみたいな人間だったけれど、その素晴らしい外見は大いに人を惹きつけた。女達が豪華な装飾品みたいにこぞって手に入れたがり、男達が嫉妬と羨望を胸に抱いて近づいてくる。その間を付かず離れず、ふらふらと渡り歩いてきたのが嘗てのぼくだ。だから、欲どころか他の男に対するのと同様の警戒心すら抱いた少女に興味を唆られたし、少しずつ距離を縮めていってもそうした結末を考えずに済むのは、とても楽だし居心地が良かった。
「因果なものね」
「こればかりは、どうもね」
そのうちに段々と傍にいるだけでは満足出来なくなって、あれほど嫌だった欲や身を焼く程の焦燥感が自分の中にもあるのだと認めるに至った。焦燥感。そうだ、頬を朱に染めて菫色の大きな瞳を潤ませたのに肉欲を抱いたし、それが自分以外に向けられるのが到底我慢ならなかった。
「見なさい。あの子、鷲にも人気があるようよ」
大きな鷲も加わって毒蛇の駆除に当たっているのを、彼女は噴水の縁に座って楽しそうに見守っている。以前は確かに冷たく乾いていた筈の女神像が艶かしくきらきら輝くのは水が流れている為だと、少しの間は理解できなかった。
「彼女は、皆のお姫様だから」
「鷲の姫君ね、ふふっ面白いわ」
鷲どころか仲の良い神々にとっても、寵愛深く本当ならば風にも当たらせたくない掌中の珠なのだけれど、本人は気づかない。
「そろそろ終わった頃だろうから、ラデュレ最愛のお姫様も中庭に出てみるかい?」




