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フュルギエ50歳、晩夏。〜厄落とし〜

「悪霊退散なんて、知らない人もいるんだからね?」


「でも魔除けの意味なんだろう?じゃあ今夜の乾杯にぴったりじゃないか」


「アクリョー!」

「タイサーン!」


「このギョーザ・ケーキすごいね。芸術品の域に達している」


「マディが作った土台にスヴァさんが切ったチーズやハムやトマトだのをヘルギさんが盛り付けたやつか。赤とピンクと黄色の薔薇にフリルって、どうやったらこうなるんだかな」


「これはトマトのスープですか、珍しい。うん、実に妙なる味わいです」


 テーブルを囲む皆が笑顔で、会話が弾む、絵に描いたような温かな家庭。絵に描いたような幸福。此の世に生を受けてから一度も体験したことが無かっただろう未知なる状況に身を置く事となった弟シグムントは身を固くしている。

 そもそも、彼は環境の変化に耐え難い精神的苦痛を覚える人間だ。そんな弟が、父親が命じたとはいえ、馴染みのない場所で時間を過ごす事が出来るものか。兄として、また、面倒な家の後嗣を押し付けてしまった罪悪感もあり、つい目をやってしまう。



 ―ハムとチーズのサンドイッチ―



 彼の手元にだけあるその皿に、心配は少しだけ、薄れた。


 *****



「あちらのサンドイッチは、お嬢様が用意してくださいました」


 テーブルを埋め尽くす料理を少しずつ取り分け父や甥に給仕する中年男に見覚えがあった。正しくは、彼の中に嘗ての面影を見た。


「息災でしたか」


「お久しぶりでございます」


 彼はヘルゲートの助手となるべくスュトラッチ家で雇われたが、主人となるべき本人がごく限られた人間しか側に置かなかった為に兄のシグムント付きになった、あの少年だ。


「マドレーヌさんが?」


「はい。常日頃召し上がっているものとは差異はあろうけれど、馴染みのあるものならば旦那様も安心して召し上がれるのではないかと仰って」


 バターを塗ったパンにハムとチーズを挟んだシンプルなサンドイッチは、シグムントの王立学院入学を見据えて父が教え込んだ“家以外の場所で食べられる安全な品”だ。ありとあらゆる事に強い拘りを持つ彼は食事に関しても神経質で、一時は白い色の食べ物しか食べられない時期もあった。そこで、行く先々に在るであろう材料を組み合わせたハムとチーズのサンドイッチを食べるよう父は体に教え込んだのだった。それこそ、他に何も与えず倒れる寸前になるまで徹底的に。

 それ以外にも、父が上の弟に施した教育は、凄まじかった。他人の心の機微を解さない彼に、考えられる全てのパターンを丸暗記させて社会に順応しているような振る舞いを身に付けさせ、その他の事は助手に任せて何一つ気にしなくて良い環境を整える。そうして、相手の気持ちが解らなくても相手の顔の表情で“正解”の答えや振る舞いが出来るよう躾けた。



 ―ええい気味が悪い!(わらわ)に近づくでないわ!



 既にこの世に居ない女の声が蘇る。違うとは解っていても、頭と体が覚えている、あの声。


「マドレーヌさんは、シグムントの事を何か?」


「強いて言うならば、御母堂様と『いろんな人がいるな』『面白いよね』と」


「面白い…」


 血を分けた実の母親が不気味だと異常だと罵り嫌悪したそれらを「そういう人もいる」くらいの軽さで受け止める者もいる。それを見せたくて、手の込んだ手紙で呼び出したのだろうか、あの父は。何年経っても心を見せない御仁で、真意を掴ませない御仁で。


「おじい様、その黄色い生地は小麦粉ととうもろこし粉を混ぜて焼いたもので、お好みの具材とお好みのソースを包んで召し上がってみてください!新作です」


「なるほど、とうもろこしですか。これはこれは珍しいものばかりをいただいて、若返ったような心地がしますねぇ」


「若返るとか迷惑。老人なら老人らしくさっさとこの世から退場しなよ」


「まったく君という人は。可愛い孫たちに囲まれ孫娘の手料理を味わうという、幸福な老人に水を差すとは」


 我々3人の、かけがえのない父親だ。



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