メティヴィエ・キエフルシ27歳、夏。~噂の人物〜
夫不在のうちは夜会へは出席できない。社交の機会が陽の高い時間に限られる現状にあって、噂好きを招いてのお茶会は、重要な情報収集の場である。
「お聞きになりまして?」
今日の話題は、愛人を邸に住まわせている、とある伯爵子息について。曰く、愛人ではなく領地が隣り合う縁で古くから仲良くしている“妹のような”幼馴染で、体が弱く領地から出て来られない彼女を哀れに思い、王都に招いたという。が、淑女教育の始まる前の幼子ならばまだしも、相手は成人済みの貴族令嬢。しかも、「体が弱いのだから」と言ってお姫様のように扱うし、「王都に慣れていないから」と言って妻を差し置きあちこち連れ回している。
妻妾同居なんて、夫は常識知らずだし愛人は恥知らず。そんな人間が他の面はマトモなんて筈もなく、先日はその幼馴染を夜会にまで連れ出し、“夫妻”を招待した主催者の不興を買った。しかも、「せめて形だけでも使用人にして欲しい」という妻の温情も「彼女を馬鹿にしているのか?」と激怒し謝らせたと自慢げに語っていたというから、まだ子のない夫妻だけに離縁もそう遠くはないだろうし、離縁まではしなくとも妻の生家からの援助は見込めまい。愛人を囲う家も持てない“甲斐性なし”のラベルがべったり貼られた息子を、父である現伯爵がどうするか。妻のある男の家に堂々と上がり込む“寡廉鮮恥な”娘を育てた父男爵は、妻の生家や世間にどう償うつもりか。などが、このところ人々を楽しませているらしい。
こうした噂を仕入れるのは、万が一にも家がゴタゴタに巻き込まれないようにするため。この伯爵子息の件にしても、彼が次代になるのであれば、今後の付き合いを考え直す家も現れる。そんな中でキエフルシ家が変わらず付き合い続けたりすれば、脇の甘さを他家に付け込まれるだろう。
「それにしても。ルリジューズ様はご立派ですわ」
「ええ。領民も、一層励まれますでしょうね」
「さすが、キエフルシ公爵家ですわ」
当主ラデュレと嫡男ルリジューズは、長雨によって農作業が滞っていた領民をねぎらうため領地へ赴いた、ことになっている。本来ならばメティヴィエも共に領地に行くのだが、キエフルシ家は王子の婚約者を預かる身。護衛の負担も考えて、メティヴィエは義妹と共に王都に残った、というのが外向きの説明だ。真実は、この社交シーズンに完全に王都不在となる不利益を避けたのと、情報収集が目的であった。特に、蝗害の噂が何処かから漏れていないか、注意深く探らせている。そんな裏事情を知らない世間一般では、まだ幼いルリジューズが次期当主の責務をよく理解して母親抜きで領地に赴いた話は、美談として語られている。
が。数日前にラデュレから届いた手紙には、まだ幼い彼の愛らしい一面もまた、記されていた。
「それでもまだ、年相応に幼いところもありますのよ」
棒持て追う人々を嘲笑うかのように暗褐色のバッタが群れを成して何もかもを喰い尽くす農地で、ルリジューズは美しい小鳥の模型を胸から出した。そうして、思い切り息を吹き入れた刹那。空が鳥の大群に覆い尽くされて夜の如く闇に閉ざされ、地上には犬や狸や狐や兎や、何処かから這い出したものか蛇までもが蠢き回り、あれほど脅威であった虫を一昼夜のうちに残らず喰らい尽くした。
が、救世主たるルリジューズ本人は、突如現れた獣や蛇の大群にすっかり怯えて父にしがみつき、父もその功績に免じて、渋る使用人を説き伏せて共に寝たそうだ。
「まあ!ご謙遜なさって」
「わたくしの息子にも見習わせたいわ」
「どうお育てになれば、ルリジューズ様のように優れたお方になるのかしら」
「そうね。興味の引く事柄があれば、叶う限りさせているわ」
殆ど同じ質問を、赤髪の女神にしたことがある。曰く、何も特別なことなぞしておらず、本人が「すごーい!」「マディもやりたい!」を事あるごとに全方位に放ちまくり、それに各人が全力で応えたためにああなったらしい。げに恐ろしき人誑しぶりであるし、知識の幅がやたらめったら広いのも道理だ。
その話を聞き、改めて息子の動向に目を光らせていると、「やってんなコイツ」という場面がちょくちょく。どうやら「可愛くおねだりをすると要求が通りやすい」事に味を占めたらしい。幸い、武芸も座学も以前に増して熱心になったので、教師陣には「危険の及ばぬ範囲ならば」要望に応えるよう伝え、本人にも「いいぞ、もっとやれ」と言ってある。行動的で活発なルリジューズには、上から抑えつけるように学ばせるのではなく、自発的に学ぶ意欲が起こるよう誘導するのが適しているようだ。
「お若いのにたいへんに広い知見をお持ちでいらっしゃるわ」
「ええ。夫人のように深いご見識のあるお方が女主人として立っておられれば、安泰ですわね」
「そうですわね。もしも、あの家にもキエフルシ夫人のようなお方がいらしたら、あのような不敬なる考えを持つだなんて、とてもなさらなかったでしょうに」
それまで、ただ静かにうんうんと頷いていた夫人が、ぽつりと呟いた。思わずと言ったふうに、失言に見せかけてはいるが、明らかに狙ったものだ。どうやらこの夫人は、他家は仕入れてはいないだろう醜聞を、この日に合わせて温めて来たようだった。彼女の思惑は見事に嵌り、他の夫人たちが途端に目を輝かせる。その反応に満足したらしい夫人は、お茶で唇を湿らせて、抑えた声で言う。
「王国が、毒を持つ麦によって滅びると。高貴なる人間はそれを知りつつも隠蔽していると、言い回る者たちが居りますのよ」




