ポルックス・テュンダ24歳、夏。~噂の人物〜
「参ったな…」
下級貴族が住まう区画の端の端、変装して訪れたコメルシー邸は、暫く見ないうちに驚くほど警備が厳重になっていた。しかも、遠目に見て耳を傾ける限りでは、賑やかな子供の声は聴こえても、彼女たち親子3人の所在は確認することは出来ない。
「これでは接触すら叶わない、か」
自身の欲求を国王の御意思に変えて、或いは的外れに推し量って、重鎮や声の大きな連中がそれぞれ勝手に動いて散々やらかしたせいで、コメルシー家の面々の国に対する心象はかなり悪い。それに加えて、夏至祭の直前に起きた王都邸の襲撃事件の顛末もある。
充分な証拠が揃わなかったために“平民の”トムとピー、それに“移民の”犯罪者集団がたまたま同じ日に裕福な貴族家を狙ったものとされ、捕縛された全員が碌な聴取もされず絞首刑に処された。明らかに組織的で強い害意を持った犯行を「ただの物取り」で、「黒幕は居ない」として強引に幕引きを図ったのだ。ここまでされて国を敬うなど出来よう筈もない。
それなのに。
『早急に、だが穏便に、連絡を取りたい』
近衛隊の隊長から内密に下された任務に、ずきずきと頭が痛む。
隊長は先日の研究発表会で、前侍医局長殿とその亡き愛息子らしき男から、大いに殺気を向けられたそうだ。らしき、というのは、顔も体つきもまったく確認は出来なかったが、陛下がこれまで誰にも告げたことのない大昔の出来事を言い当てたそうで、また、隊長曰く“唐突で不敬なる”物言いも、従弟である彼を置いて他には居るまいというのが、陛下のご判断である。
『国の未来が掛かっているのだ、頼むぞ』
それがどうして殺気を向けられたのかを訊けば、事故のような出来事があって、メイドに扮した「ピンクちゃん」を怖がらせてしまったため、という。
あああ、もう、最悪の一言に尽きる。他の誰を怒らせてもまだ懐柔策はあろうけれど、あの母娘に手を出したら終わりだ。母親の方は物理的に解決しようとするし、夫もそれを全力で手助けするだろう。その2人の娘に至っては、弁明も謝罪も何一つ届かない。本人の意思とは無関係に周囲が寄ってたかって囲い込み世俗から遠ざけられ、本人もそれを受け入れてしまう。
「――――ッ?!!」
ざわりと肌が粟立ち反射的に身をよじる。頭で考えるより早く体が動いたのは幸いだ。そうでなくては、確実に片足の機能を失う一撃を喰らっていただろう。
「やれやれ。白昼堂々の物盗りを見逃すとは、王都警固も弛んでいやがる」
口調こそ飄々としているが、背にした壁に深く刺さる鋭いナイフが、ギロリとこちらを睨み付ける暗く冷たい瞳が、彼の怒りを雄弁に語る。
「待て、私は」
「またどっかの、平民だろう?」
プーシェ家は元より子息を切り捨てるつもりであったらしく、事件後の聴取には「その者は当家と無関係」「息子は自らの軽はずみな行いを恥じて毒を呷り死んだ」と言い、前もって用意したであろう棺と顔の判らぬ死体をみせたと聞いている。実際に襲撃した人間も王都近郊で移民狩りにあった者たちの寄せ集めで、証言があやふやだった為に首謀者の特定に至らず、故に、プーシェ家は襲撃事件に関しては無関係とされたのだった。
そうだ。コメルシー家以外にも、襲撃者を返り討ちにした第三部隊員も、そのことに怒りを抱えていて当然だ。彼らにとっては苦楽を共にした仲間の家族で、苦境を支えてくれた恩人でもあるのだから。
「違ッ――――!」
流れるような動作で新たなナイフを構えるカリソンの姿から炎のように立ち昇る色は怒りでも憎しみでも侮蔑でもなく。氷越しに見る青空のように澄んだ、研ぎ澄まされた蒼。生まれて初めて見る色彩だった。
「桃色の!」
賭けた。カリソンの理性と心に。
感情の昂ぶりに任せたのならば命はないが、彼女達への深い情けがあれば、きっと。
「可憐な野薔薇と夜に舞う金色の蝶の在り処を国中広く探す者が居る!」
体裁を気に掛ける余裕もなく声も裏返るままに任せた叫びに、カリソンの動きが止まる。
「偽りでは、ないな?」
「誓って」
「証拠は」
「論ずるより一見するが早い。招待状を手配する」
「望みは」
「私の…。我々の、主の言葉を伝えて欲しい。『邂逅を果たせしこと、望外の喜びであった。汝に天地の祝福を注ぐ』と」
カリソンの眉がピクリと動いたのを見れば、正しく理解したことだろう。太陽神の子孫たる陛下から発せられる祝福の御言葉の意味。それは、神の代理として祝福を授け、王家と同等の地位を認めることに他ならず、つまりは互いを対等な身分であると伝えたのだ。
「それだけか?」
意味を正しく理解していても顔色一つ、感情の揺らぎすら見せず。それは、我々の主の性格を嫌というほど知っているであろう、カリソンらしいと言えばらしい。けれど。
促されて胃がキュウっと縮み上がり、キリキリ絞られる心地がする。けれど、伝えなくては。穏便に、早急に。穏便に、早急に。穏便に。穏便に。穏便に。
「もしも、万が一、本人が、本人の意思が大前提で、無理強いの意図はまったく無くて、もう一つ。『息女に良縁を望むなら力の及ぶ限り何なりと叶えよう』と」
口の中がカラカラに乾き、声を発する度に喉が痛い。
ああもう!王侯貴族の常識に照らしての親切心だろうけれど、ヘルギさんに対する最大級の宣戦布告だ!あの父親の愛娘に対する並々ならぬ執着心なんてひと目でわかったろうに!護衛役を務めた隊長だって思い出してドン引いていたくらいの溺愛ぶりだってのに!
教育という名目で生まれてすぐに引き離され、公的な行事以外では子供と殆ど顔を合わせなかったせいか、親子の一般的な距離感がまったく掴めていない陛下がうっかり周囲に漏らして、周囲が忖度してまたコメルシー家を巻き込む前に。何をさておいても、早急に、穏便に、できればマドレーヌ嬢だけの耳に入って本人の口から「良縁お断り」されなくてはならないという、精神的苦痛を伴う割に虚しさだけが残る任務。それが、傅かれて育った人間特有の、視野の狭さ。空気の読めなさ。傲慢さ。そうしたもので引き起こされている。
「随分とアクロバティックな自殺方法を選ぶもんだな」
「同感です」
「あの人、偶にすげー阿呆になるけど、何なん?」
「狂っ…、お家独特の生育環境としか」
流石のカリソンも想像の遥か斜め上を行く提案に、陛下本人の言と確信したか、ナイフをさっと胸に仕舞う。そうして、顔を思いきり手で覆い、長く深い溜め息を吐いた。
「わかった。後は俺が引き継いだ」
「感謝します。そして心から、ご無事を祈ります」
「そっちも。家族の命が惜しけりゃ馬鹿な真似は止せと、鶏からの忠告だと、そう伝えてくれ」
「鶏?」
「そ。3歩歩いて忘れる前に、さっさと物騒な用事を済ましちまうからよ」




