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ダコワーズ18歳、夏。~メイドの覚悟〜

 濡れた髪をタオルで挟んで乾かしながら櫛を通していると、朱色を帯びた肌や鮮やかな桃色の髪から、野薔薇の淡い香りが広がる。この時間が堪らなく好きだ。


「ありがとう、ダクス」


 ぱっちりと大きい菫色の眼が柔らかに細められ、血色の良い唇は紅を差さずとも薔薇のように鮮やかで、そこから放たれる言葉は常に優美な調べとなって心を震わせる。


「いいえ、お嬢様。お礼など」

「もう、違うわ。“姉さん”でしょう?」


 ただの平民の身分でも貴族の家で行儀見習いをした経歴があれば、即戦力として雇われやすくなる。だからメイド教育をして欲しいと伝えれば、仕えることを渋々ながら頷いてくれた。未婚女性が働ける職場なんてごくごく僅かで、その中でも最も待遇の良いのがメイドだ。そうした現実を理解している男爵夫妻からの口添えもあったお陰で。けれど、「お嬢様」と呼ぶのだけは、どうしても許してくれない。


「お嬢様。本日はグルン家のルピス夫人が御出でになる予定です」


「ルピスさんか。だったら、邪魔にならないよう後ろに纏めて欲しいな」


「かしこまりました」


 ゆるく波打つ長い髪が、マーサさんの手で編み上げられ、結われていく。生糸のように細くふわふわの髪が低い位置できっちり一つに纏まっていくのが、残念で仕方ない。

 もっと高く結い上げたなら、きっと、ティアラがよく似合うだろう。柔らかな髪を後ろに垂らしたなら、きっと、色とりどりの宝石を散りばめたくなるだろう。


 触ればぷるんと弾力があり吸い付くように滑らかな、傷ひとつない白い肌だって、薄く化粧を施せば、神々しいまでに輝くと知っている。けれど、常の日は化粧はしない。白くてよく伸びるクリームを塗って終わりだ。


 艶々と光る小さな爪も、鮮やかな色を差したなら、どれほど可憐だろう。


 服だって、村とは全く違う。王都の姉さんはまるで影みたいに、目立ちたくないみたいに、濃紺や深緑色や、地味な暗い色ばかりを身に着けている。せっかくの愛らしさが台無しだ。


 けれど、今は何も言えない。

 姉さんの装いに意見ができるのは、使用人の中では侍女の身分だけだから。


「それでは、行って参ります」


「ありがとう。気をつけてね」


 買い出しに行くのも勉強だからと無理を言って、街に出る。生家にいた頃もよく通った通りを、その頃とは違うお仕着せと心で、歩く。

 この街には綺麗なドレスも、高価な宝石も、貴婦人が噂する蕩けるような菓子も、なんだってある。金色の髪しか持たない妹が泣いて癇癪を起こして暴れてまで強請ったそれらを、何でも持っている姉は何一つ欲しない。姉が欲しいのは、ぶどうとナッツ。この時期になれば広く出回り、庶民でも容易に手に入れることのできる、安価なものだ。



 ―誰かのものになんて、ならなくていい。



 先日参加した研究発表会で、体の大きな男がいきなり大声を上げて、姉を脅かした。それで、落ち着くまでは一緒に暮らす人間以外は男性禁止の厳命が下されていて、幼馴染や格上の家であってもお断りを貫いている。

 表向きの理由である「体調不良」も、男性への恐怖心も、健康な子を産む義務のある貴族女性には不適格とされるもの。このまま家から出ずにいれば、きっと。ずっとずっと、一緒に居られる。


「あ」


 夕刻、店じまい間近な露店に、大きな体を見つけた。


「これと、これも。あれば、生の葉も」


 店先に並んだぶどうを太い指と鋭い眼光で一つひとつ吟味しているのはコメルシー男爵家のご嫡男。


「ダルドワーズさん」


「ダクス。マディのお使いか、悪いな」


 彼の手には既に紙袋が幾つもあって、更にぶどうとぶどうの葉を詰めた袋も受け取る。それらが誰の為の買い物かは、すぐにわかった。


「どうせ、ぶどうやらナッツやらだろう?買ってあるから、帰るぞ。暗くなるとこの辺りも治安が悪くなるからな」


 彼は、生まれてからずっと一緒に、本当の兄妹のように育った、姉さんの義理の兄。妹を溺愛する彼の庇護下に居れば、きっと。


「姉さんの、専属侍女はまだ決まっていないのですよね?」


「ん?ああ、まだ指示するのに不慣れだからな」


 雇用者と使用人は、幾ら仲が良くても、超えてはならない一線がある。互いの立場を知らしめ、適切な距離感を守らせるのは雇用する側の負う義務でもある。同じ家で暮らす皆を家族と思うような優しい姉では、思い違いで増長する者も出て来よう。それを阻止するのは、側仕えの役目だ。


「どのように、選ばれるのですか?」


「母さんとマーサが認めた人間の中から、マディと相性の良さそうな人間を選ぶだろうな」


「そうなのですね」



 ―ならば、やるしかない。救われたこの命のすべてを賭けて、愛する女性(ひと)のために。




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