ナウル・デライト26歳、夏。~鳥を呼ぶ笛〜
「そうだ。室長、王都で、鳥の大群が何処かに飛来したりなんか、してないですよね…?」
国の安全に関わる重大な案件も、この一家にかかれば家庭内のちょっとした揉め事みたいな小さな出来事のように錯覚してしまう。そんな、脱力感を伴った安心感に浸っていると、偉大なる医家が輩出した優秀な医師達を叱り飛ばした医者の卵が言いにくそうに切り出した。
「また、何かを見たのか?」
医者だが巫女であり預言者の顔も持つ。現在発生している毒麦も蝗害も、この少女からもたらされたものだった。
「いえ。両親から貰った鳥笛を、ガレットとデロワがルゥくんに貸しちゃって」
「鳥笛?」
「アント伯邸で吹いたろう?鳥と、何故か野犬まで集まったが」
「!!!!アレか!!!!!」
それは忘れもしない光景だった。
鋭い牙と爪と嘴が、空と地上から武装した男達に襲い掛かり、無慈悲に蹂躙していた。その悲鳴は耳の奥に、その惨劇は瞼の裏に未だに焼き付いている。
「貸す時にちゃんと『ぐるっと見ても周りに人や家がいないところで吹くんだよ』って約束したとは言ってるんですけど」
「ルゥもやんちゃだからな。効果を較べたくなってもおかしくない」
「較べる?」
「以前ルゥくんと町で会ったときに、わたしが作ったのをあげたんです。万が一の時に吹いて助けを呼べるようにって」
聞けば、それは子供の身の安全の為の開発品。
突然の事態に悲鳴を上げられない時でも、体力の限界を迎えた時でも、笛ならばふぅと息を吹き込めば異変が起きていることを遠くまで知らせられる。金でも銀でもない、ありふれたただの木の製品ならば奪われる心配もないだろう。常に危険と隣り合わせな公爵家の幼き嫡男にとって、心強い御守りとなろう。
「我が子らにも、是非とも持たせたい品だな」
「スヴァさんとヘルギさんも同じように思ったんだろうな。マディのは見るからに木だが、あれはもはや芸術の域に達している」
「母さんが基幹部分を作って、父さんが仕上げと彩色をしてくれた一点物です」
素っ気ない娘の作品とは異なり、芸術に造詣の深いヘルギの手による、白をベースに赤と紫と黄色で彩られた、本物そっくりの愛らしい小鳥の笛。
嬉しくて試しに吹いたら何処から来たのか、村を埋め尽くす勢いで大小あらゆる鳥が飛来して、フン害やら食害やらでエライ目にあった。
そんな曰く付きの話を聞きながら、ナウルは、張り詰めていた緊張の糸が、急激に弛むのを感じていた。
「2人が言うには、ルゥくんのお家は村よりももっとずぅっと広くて人の居ないところだって言うから、母さんと父さんの鳥笛の凄さを見せたかったんだって」
全身から力が抜けてゆく。支えを失った体は容易に椅子に飲み込まれる。
「鳥は、昆虫を捕食する、な?」
「肉食や雑食の種だとそうですね」
「犬も、昆虫を捕食する、か?」
「基本的に目の前にチョロチョロしていれば何でも捕まえて食べるぞー」
逃げて怯えきった犬の代わりに金色に輝く夫の頭をわしゃわしゃ撫で回し、スヴァーヴァが答えた。
『こちらが借りを返そうとすれば、返せぬ恩が返ってくる』
ラデュレの声が蘇る。
嗚呼、西国ミケーネの要人との交流会が開かれたあの日。もっと大きな借りを、恩義を、我々はとうに受け取っていたのだ。
「はは、ははは。はははははは」
「侯爵?!」
「ナウル?!」
「如何された?!」
「ヘルギ??」
「ヘルギさん??」
「ぼくまだ何もしてないよ」
「まだじゃなくってやっちゃダメ!」
「対症療法薬の用意を致しましょう」
強く張っていた緊張の糸がぷつりと切れ、安堵感と共に堪え難い笑いが心の奥底から込み上げるのを天を仰いで受け入れるナウルに、周囲がざわざわ騒ぎ出す。
「済まない。問題は何も…、というよりも寧ろ重大な問題の解決の道筋を見た、ところだ」




