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カリソン33歳、夏。~きょうだいの絆~

「そういえば、ダルの階級は大尉なんだよな。うんうん、毎回毎回、ちゃんと休みに帰ってくるために頑張ってたものな!」


 朝陽みたいに真っ赤な髪と瞳をした小柄なその女性は、突然の来訪者が去るなり誇らしげな笑顔を浮かべ、自身よりもずっと大きな弟分の頭を撫でようと爪先から指先までピンと伸ばし、弟分は膝と腰を屈めて受け入れる。


「ちなみにカリソンは少佐な」


「おおー。叩き上げでそこまで出世するなんて、さすがダルが見込んだだけはあるな!よし、今夜はみんなで飲むか」


「マジか、長い夜になるな。カリソン、今夜は泊まってくよな?」


「あ、いや。俺は…」


「そうしろ、そうしろ。食事はみんなで摂った方が確実に楽しい」


 国王直属の密偵だと勘付かれていたとも知らず、ましてや互いに“知っていることを知っている”状況になっても、問い詰めるでも腫れ物に触るでも弁明を求めるでも説明するでもなく、何事もなかったかのように会話が進んでいく。


「ああ、勿論2人も。マリーもポルミエも、賑やかなのが好きだしな」


「スヴァさん。ポルックスは独身だから良いけど、ナウルのところは」


「そうだったな。特に身重なら、できればずっと傍に居たいものだよな」


 2人は平然と言うが、それは“男は強くあれ”を是とするこの国では、こと貴族社会では、殆ど有り得ない夫婦の有り様だ。身重の妻や生まれた子のために人を遣わせ環境を整える事はあっても、家長が妻や子に傅くのは“あってはならない”のである。


「ヘルギさんみたいに、ベタっと張り付いてるのもどうかと思うけどな」


「ポルミエだって、時間を作ってはマリーの傍で寝起きして仕事もしてたんだぞ?」


 それが、話を聞けば。

 軍人よりも厳つい顔と逞しい体つきのポルミエ・コメルシー男爵はダルドワーズを妊娠中のマリー夫人の側に少しでも長く居られるよう仕事を家に持ち帰り、少しでも体調が悪くなればマッサージをしたり、吐き気の合間に摘めるものを用意したり、水を飲ませたりと、使用人任せにせず甲斐甲斐しく世話を焼いたという。そんな幼馴染夫妻をずっと見てきて、自身の夫はそれに輪をかけた心配性で過保護な性質の人間で。だから、この家族の中では、夫は妻を、妻は夫を一途に愛して思い遣るのが当然なのだ。


「…俺の父親は、そんなんじゃ無かったな。身重の妻や子供なんて面倒くさいって様子だったよ」


 親父は小金が入れば酒代にして飲んだくれて母親や子供に暴力を振るう、どうしようもない男だった。典型的な貧乏子だくさんの家で、少し上の姉が庇ったせいで間引き損なった子供らしい。そんな家だから食うのもひと苦労だったが、狭いながらも土地があったから、そこで食料になるものを育てて、何とか食いつないでいた。

 それが、ある時、見知らぬ男達が家に押し入って来て、俺や姉や、その他の何人かを担いで荷馬車に放り込んだ。それが人買いで、親に売られたのだと、子供ながらに理解して、不思議と悲愴感はなかった。ただ、俺の手をギュッと握って、自分のほうが震えてるのに「怖いことなんてない。大丈夫」と言いながら空いた手で頭を撫でてくれた姉のことは、今でも不意に思い出す。そう、例えば今のような時に。


「そうかあ、カリソンは偉いなあ。自分の父さんが出来なかったことを、奥さんや子供達にはしてるんだもんな」


 彼女は弟分のダルドワーズにしてやったのと同じように、右手を迷わず此方に向け、その自然な動作に思わず同じく腰と膝を曲げて頭を突き出してしまう。姉とまったく違う、苦労知らずの屈託のない笑顔だけれども、不思議と温もりはよく似ていた。


「俺、出来てるかな?」


「もちろん」


 ただでさえ乏しい食事も上の兄達にぶん取られる日々で、姉と一緒に食い物を探して野山を這いずり回ったりしたのが良かったのか。歳の割に体格が良かった俺は、闘技場に売られた。闘犬の代わりに人を闘わせる非合法な見世物だ。どこぞの貴族が胴元になっていたらしく、そこへ潜入捜査しに来ていた男が、後に、俺の父親代わりになった。だから、父親の真似事が多少なりともサマになっているなら、そいつのお陰なんだろうな。


「じゃあ、俺は運が良いんだな。手本になる人間と巡り会えて」


 そいつは任務に失敗して、名もなき人間として、この世から居なくなった。その跡を継いで密偵になったのは、生きていく為に偶然と必然とが固く捩られた縄を掴んでしまったからだ。


「じゃあ俺も、ダダールさんやカリソンと出会えて、運が良いな」


「それなら、わたしはマリーだなあ」


「ヘルギさんにとってはスヴァさんだよな、確実に」


「そうかあ?甘やかすだけのわたしよりも、根気強く道理を説いて叱ってくれるポルミエやマリーやダルの方が、ヘルギの為になってるって」


「マディ?」


「そう。うちの娘、たまに親に冷たい」


「あー、俺の妹が悪いことしたな。本人に悪気はないんだが」


「知ってる。わたしの娘だぞ」


「知ってる。俺の妹でもある」


 ダラダラ繰り広げられる茶番の、一番下にずっと流れ続けているのは俺に対する労りであり、この家族から逃げ出そうとする俺への、一種の牽制でもあるんだろう。言葉にしないことこそが最も伝えたい想いであることは往々にしてある事だけれど、この家族の場合は顕著だ。それは頭が良いとか察しがいいとか以上に、常日頃から腹の中を見せ合い、互いの思考パターンを理解して来た積み重ねの賜物。ダルドワーズは「あの親子3人のノリにはついていけない」なんて言うけれど、何の相談もなく始まった雑談から相手の意図を正確に拾い上げるなんて芸当は、姉と弟の長い歴史があればこそだ。



「さて、監視役殿。宰相補佐殿」


 多忙を極める人間に、ただ漫然と時を過ごさせるのは大いなる損失だ。向き直り説明しようと吸った息は、ナウル・デライトによって声にならずに消えた。その代わりのように彼は、大きく長い溜め息を吐く。


「この家族が話を端からまるきり何一つ聞こうとしないのだ、この場で不用意に説明なぞは求めない」


 考えてみれば、この若き侯爵は、この家族の末姫が見出した人間だ。何をどうしたものか、人生何周目かと聞きたくなるくらいには聡いその少女は、無意識か意識的にか、相手の思想や能力によって会話の難易度や進め方を変える癖がある。ぶっちゃけて言えば、馬鹿な相手にはそれなりの当たり障りのない言葉しか返さない。何故なら、時間の無駄だから。

 それが出会ってからの僅かな期間で、すっかり痩せるほどの無理難題を言い付けられたのだから、能力の高さは保証済み。ついでに、もう一つも。


「それに、彼らが身内と認識している人間ならば、何であれ私はさっさと手を引くから傾聴の意味もないのだ。美しく聡明な妻と、3人の愛しい子供達を置いて逝く気はなくてな」


「おやおや。まさかお貴族様の口から惚気を聞く時代が来るとは」


 “男は強くあれ。女は貞淑であれ”は、貴族社会に深く根を下ろす思想だ。その教えの元で、強い男は弱者を蹂躙し、弱者はじっと堪えて生きている。


「家族を愛すればこそ、己も強く在れる。また、夫と妻が心を通わせ愛し合う家庭ならば、貞淑でない女は育つまい」


 この、高位貴族らしからぬ思想。これこそ、兄弟の契りを交わした男の、大事な大事な妹が、彼を気に入った理由の一つでもあるのだろう。


 仕方ない。



「後日時間を作って欲しい。今回の件について、情報共有しておかないか」



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