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モニカ14歳、夏。~東国からの訪問者〜

 ―褐色の肌の美貌の王子様が、お妃様を探しに王国へ来訪している。



 そのお噂が流れ始めたのは、いつのことでしたでしょうか。夢のような、演劇のような、わたくしには遠い遠い、ご縁のないものでしたので定かではございません。わたくしだけではなく、わたくしと親しい友人は、およそ同じように考えていたと思います。

 それでも、物語として、ただ無責任に盛り上がる話題として、複数の筋から耳に入って来たのでございます。



 *****



 伯爵位を賜ったことで、コシチェ家の周囲はたいへんに慌ただしくなりました。

 格が上がれば身なりや振る舞いや、使用人の数だって、相応のものに変えねばなりません。男爵から子爵ならば、そうは大きく変わらないのでしょうけれども、伯爵家以上になりますと、王族との謁見の機会もございます。ですので、夏季休暇は義弟共々、それぞれ家庭教師から伯爵家にふさわしい礼法などを教わりながら、お養母様の采配で他家に出掛けたり、お茶会を催したり、縁を繋いだり繋がりを強化したり、時には終わりを感じたり、する日々を送っております。


「皆、肩の力を抜いて、楽に過ごして?」


「ありがとうございます、デライト侯爵夫人」


 それでも伝統貴族と呼ばれる歴史の長い家だけあって上の方々からの覚えもめでたく、デライト侯爵夫人にも可愛がっていただいております。デライト侯爵といえば、伝統貴族の多くを纏め上げる派閥の長で、次期宰相を嘱望される若き侯爵。血も涙もない冷徹な政治家。女神に祝福されし英雄。妻を心から愛し愛される愛妻家。そんな、様々なお噂で語られる御仁です。その妻である夫人に目を掛けていただけることは、家にとってもわたくし自身にとっても、得難い誉れでございます。


「良いのよ。この会は、わたくしの我儘にお付き合いいただいているのですもの」


「まあ!わたくし達は皆、夫人の考案されたお料理があまりにも素晴らしいもので、この会にご招待いただくのを女神様に祈っているほどなのです」


 ええ、ええ。そんな建前もございますが、いいえ、それも本心の一つではあるのですけれど、偽らざる本音を言えば、この会を心待ちにする最も大きな理由が「おいしくて体にも良い品をいただける」なのですから、ちょっぴりお恥ずかしい。


 未婚女性のみを招待して不定期に催されるこの会では、これまでに見たことのないお品がいただけるのです。夫人は、公私共に多忙な夫の身を案じ、長年にわたりデライト家で腕をふるってきた料理長を説得して、家族が美しく健やかで居られる料理を考案なさり。そして以前はふくよかであらせられた侯爵が、健康的に引き締まった、女性の目を惹きつけるお姿にお変わりになったのですから、その効は疑いようもございません。


「まあ、嬉しいことを仰って。ふふっ、でしたら尚更、長話も野暮というものね。これから暑くなれば、食事も億劫になるでしょう?」


 運ばれて来たのは、カッティングの美しいガラスの器でございました。さっと張られた薄い金色の蜜の中の真白の小さな粒は、さながら海底に煌めく真珠のように見え。その涼やかな装いに心がときめき、スプーンで掬って甘く爽やかな蜜と共に味わえば、柔らかなのに歯を弾くような不思議な食感が致します。初めての感覚に、気づけばすっかり平らげてしまったのでした。それは、わたくしばかりではなく。


「わたくしったら、はしたないところをお見せして」


「あら。お口にあって、良かったわ」


「ですが、淑女がこの様な振る舞いをしては、殿方に叱られてしまいますわ。お優しいデライト夫人ですからそう仰ってくださいますけれど」


「美しさを保つために食事をお控えになる方も居るようですけれど、それを良しとする向きもありますけれど、それでは母として、女主人として立たねばならない時に耐えきれるものかしら。――わたくしは、そう、思うわ」


「やはり、夫人はお優しいのですわね」


 ゆったりとした衣服に見を包み膨らんだお腹を柔らかく撫でる手付きに眼差しに、とてもお強くお優しい、“母”の愛が感ぜられました。そうして、この時の会話はとても不自然だったのだと、後になって思い返して気づいたのです。




 数日の後。

 褐色の肌を持つ麗しき殿方が、とある夜会に若い女性を伴って現れたと、噂が立ちました。それは、この会でデライト夫人とお親しげに言葉を交わしていた、侯爵家のご令嬢であったというのです。ご令嬢は王立学院習得科を卒業済みで、年齢のことがなければ王子殿下の妃として認められたであろう優秀な女性だそうです。侯爵令嬢ですので、年齢の上でもご身分の上でも釣り合いも取れておりましょう。それ自体は、喜ばしいものです。


 けれど、時を同じくして、喜ばしくはない、噂もまた広まったのでした。



「デライト侯爵夫人は、あわよくば夫に成り代わる腹積もりがあるらしい」



 それはまるで、夫人が最愛の夫を害して家の実権をすべて握ろうとしているかのような。お2人が如何に互いを思いやっておられるかを知らない人間が好き勝手に流した、根も葉もない、妄想です。

 けれど、ご夫妻の間に亀裂を生じさせたい人々にとっては、それで充分なのです。誰が何の目的で言い出したものでも、ご自分の利になるのであれば、利用するのが多くの貴族なのでございます。



「モニカ。我がコシチェ家は変わらずデライト家の門下に属し、ご支持の意を、変わらず示してゆく」


「畏まりました、お養父様」


「心身が健やかであらねば、母として、妻として、子を守り夫を支えることは叶いません。それは貴族でも平民であっても同じこと。夫人は、当然の心構えをお示しくだすったに過ぎません」


「はい、お養母様」


 デライト家の噂を聞き付けた養両親は、小指の爪の先ほどの迷いもなく、そう言い切りました。

 コシチェ家は伝統貴族。伝統とは、経験の継承です。より良い選択の末に掴み取った“今”の積み重ねです。ただ漫然と過ごしてきた訳では無いのです。一時の感情で動くべき時、そうでない時、しっかりと見据えて進むのが、コシチェ家の、在るべき姿なのです。

 それに、何より。


 自室に戻り、机の抽斗にそっと触れる。

 そこに収まっているのは、大切な人からの手紙だ。親愛なる学友。憧れの君。導きの女神。多くの学院生にとってそうした存在であった彼女は、大人達の身勝手な思惑によって別れの挨拶もできずに去っていった。それでも文通はまだ続いていて、穏やかに日常を過ごしていると、したためてある。



「デライト侯爵は、マドレーヌ様の後見ですもの。揺るぎないお立場を守っていただかなくては」


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