ナウル・デライト26歳、夏。~夜会は踊る~
楽団の奏でる優雅な旋律に混じって響めきが広がる。その中心に居るのは、隆々たる筋肉でクーク夫人を軽やかに支え雄々しく踊るダダールだ。
「滅多に踊る機会も無き身分ゆえ、少々の無作法はお目溢し頂きたい」
「いいえ、とてもお上手でいらっしゃいますわ」
「ならば全ては講師であるマリー夫人と素晴らしき貴婦人クーク夫人の導きのお陰。ああ、ダンス・レッスンの相手役に指名してくれる小さな姫君にも感謝をせねば」
「あら?奥方様には感謝の想いはございませんこと?」
「ルピスには…」
曲に合わせてくるりとターンを決めると凛々しく勇猛な顔に笑みが浮かび、クーク夫人が小さいながら声が漏れるほどの笑いで返せば、人々の驚愕は更に大きくなる。踊る2人が交わす言葉は他者からは判らない。けれど元帥の妻と部隊長が親しい間柄で、夫である元帥も彼を深く信頼している事実は、今夜この場にいる全ての人間に伝わった事だろう。
「………」
「何か、あるのか?」
驚きに染まる会場で、ただ1人、その硬い表情を一瞬だけ動かしたダルドワーズに小声で問うた。
「夜会で無事に踊れる事に、クーク夫人と俺の母とマディに感謝を。妻には、対面での許可を得ず妻以外の女性と踊っている事に心からの謝罪を」
「「まあ!」」
動き回る人間の唇を遠い位置から読むという離れ業でダンス中の男女の会話を読み解いたダルドワーズの説明に、女性の声が綺麗に2つ重なった。いつの間にかマロウ伯爵夫妻も傍に居り、マーシャルとギモーヴ夫人が身を寄せ合い乙女みたいに微笑みあっている。
「ねえ、ナウル。グルン伯爵も愛妻家ですのね」
「ご夫妻は本当に仲がおよろしくて。ルピス夫人はご夫君の為に努力を重ねて来られたと、伺っておりますわ」
そこで、気づいた。この夜会は王国軍を動かすのに元帥の協力が得られるか否かが決まる非常に重要なもの。なのに女性陣は悠然と構えていて、肝が据わっているというよりも、結末を知っている物語を観て楽しんでいるかのようだ。
「良人からすべて聞きましたけれど、貴方がたはそれで宜しいのかしら?」
「寧ろ第三部隊からの要望であり、それにより大臣にも元帥閣下にも、また両夫人にも、面倒をお掛けしている」
「ほほ、良いのですよ。烏合の衆では、がやがやと騒ぐのに終始してしまいますものねえ」
移民の特色を濃く持つダダールが披露した見事な王国式ダンスに圧倒されている者たちを目の端に捉えながら、ギモーヴ夫人は優しく微笑む。
技術、知識、経験といった行動の基礎が備わっていない一般人を寄せ集めて頭数だけ揃えても、一定の規律がなければ統制も取れない。その点、腐っても軍人ならば日頃から訓練を積んでおり、徹底した命令系統の指揮による情報統治も行われているので予想外の事態にも即時対応が可能。
「クーク夫人も、もちろんギモーヴ夫人も、惜しみない助力をお約束くださいましたわ」
内心の戸惑いが外に漏れたか、マーシャルは夫に身を預けてこそりと告げた。その仲睦まじい姿に夫婦の理想像を見出したか、何処からとなく「きゃあ」という甲高い声がちらほら吹き出す。ああ、知らない、というのは幸福だ。今ここにいるのは頭の切れる英雄などでなく、女性の横の繋がりの強さに慄くただの男である。
「『国難も利用するだなんてお逞しいこと。未来に希望を繋ぐ貴方達に幸多からんことを』と、クーク夫人からの伝言ですわ」
夫を旗振り人形に指名されたクーク夫人だが、不快感はない。寧ろ、これまで不正を見逃してきた夫には過ぎた厚遇だとすら思っていたのだ。
不祥事が次々と明るみになり軍の評価は大きく二分した。比較的軽いものでも気位ばかり高くて役立たずな第一と優秀さ故に虐げられる第三、という具合に。人の口に戸は建てられない。だから表面上だけでも王国軍は一枚岩のような強い組織であると外に示す必要があったところに発生した、疫病流行の可能性という喫緊事。どうせならこれを利用しない手はない。部隊を越えて協力し合う事業ならば汚名返上にもなるし、悪い話ではないだろうと見込んで。
「ならば、何故に夫人は夜会など」
「ダダールさんの貴族としての存在感を軍の関係各位に周知させる為だろう。ダダールさんは面倒見がよく、若手にも慕われている。我々の部隊のまとめ役として欠かせない存在だからな」
「ええ、そうでしょうとも。加えて、実利を得る為の誘導方も熟知しておられますものね」
ギモーヴ夫人の言葉に蘇るは、第三部隊からの、諸々の補償に対する最終回答だった。
『これまで不当に搾取・横領されていた予算や配給品が今後は規定通りに渡されればそれで良い。犯罪者の処罰も法の規定通りに行われることを望む。それ以上は深刻な分断を招く恐れがあり、敵国が付け入る隙を生むだけだ。ただ、不遇な時期に我等に手を差し伸べてくれた商会との取引は引き続き行いたい。』
部隊長の署名が入った書面でその旨が寄せられたマロウ伯爵は他の官僚にも掛け合い、特例としてさっさと認めさせてしまった。不祥事の償いが多額の金銭や罪状以上の厳罰などでないことに関係者は大いに喜んでいたが、その話を小耳に挟んだナウルは「その手があったか」と膝を打ったものだ。
元来、軍に物品を納入する御用商は保証人や保証金の名目で、強固な後ろ盾や多額の寄付でもって選定される。しかし特例が認められれば第三部隊は大手を振ってマリア商会と取引できる。しかも、これまでは御用商の動向を窺いながら上の反応を探り探りの小口取引だったものが、今後は大口の取引も可能になった。
「あれは、誰の、発案だ?」
「主にカリソンだな。マヨネーズとウスターソースと塩ダレが絶たれれば困ると」
「食い気か。そうか」
「苛酷な環境下で食欲が減退すればぽっくり死ぬからな」
「…そうか」
膝から崩れ落ちそうなナウルを止めたのは、ダルドワーズが平然と語る国境地帯の、己が命を賭けて国を…愛する者を守る第三部隊の、日常と覚悟。それは恵まれた環境に生まれ育ったナウルにはない、想像も及ばないもので。
「両の足を踏ん張って己の持ち場を死守する。そうしていてくれるだけで、動き易さは格段だ。戦場であっても、そうでなくても」
その言葉は誰に向けたものか、定かでは無い。此処に居る全ての人間に対するもののようでもあったし、自信を失いかけたナウルに向けたものかのように、或いは新たな生命を宿しているマーシャルに向けたもののようにも、人々を導く使命を帯びたマロウ伯爵夫妻に向けたもののようにも、思われた。
「ダル。今日は機嫌が良いな、喜ばしい出来事があったか?」
ダンスを終えてアント伯爵の元へとクーク夫人を送り届けたダダールは、いつもより口数の多い部下に問い掛けた。
「ああ。マディから手紙と荷物と鳥模型が届いた」
違った。錯覚だった。
そうだよな、そうだったな。彼の意識は、常に1人の人物に真っ直ぐに向かっているのだ。




