マシュー・マロウ60歳、夏。~夜会という名の戦場~
「参会は、してくれたか」
盟友の主催する夜会の会場に頭一つ分以上抜きん出た巨躯を見つけて、マロウ伯爵は胸を撫で下ろした。ただ、これは第一関門ではなく出発点に過ぎない。そう思えば俄かに胃の辺りがシクシクとか細い悲鳴を上げるのであった。
「あら」
良人の僅かな異変を備に感じ取り、傍らのギモーヴ夫人が小さな声を上げる。その立ち居振る舞いは伸びたばかりの若い枝が微風に揺れるように、その声音は森の木々の囁きのように。柔らかで嫋やかなギモーヴ夫人は若い頃より貴婦人の鑑であった。表向きは。
「もう若くはございませんものね、お互いに」
労り案ずる言葉の中に潜むは夫の弱さを揶揄いつつも愛おしく想う、強き女の深き心。
「歳を取れば体の衰えるは摂理だが、重役に在るうちはせめて心は老けずに居らねばな」
「まあ、お頼もしい」
軍人の妻は不在がちな夫に代わって家と領地と子供とを1人で守る。一般兵でも多大な負担を強いられるが、もしも軍の要職に就こうものなら部下の妻子にまで心を砕き要所要所で面倒を見るのも仕事のうちで、更に万に一つの事態が起きようものなら乗っ取りを企む親族にも対峙しなくてはならず、儚く優しいだけの人間では務まらない。
―任せて良い存在であるか、わたくし達に信じさせてくださいませ。
無垢なる少女の如き微笑みと純真な声を此方に向けた2人の貴婦人の姿が、脳裏に、胸の奥に、木霊した。
*****
「名誉職だろうとお飾りだろうと形骸化していようとトップはトップ。使えるものは使い倒す。だから元帥の名前を貸せ」
第三部隊長が国防大臣に持ってきた提案は率直に言えばそうした慇懃無礼極まるもので、けれど現状で採り得る策では最も確実性のあるものだった。快く応じてくれるか屈辱と捉えるか、可能性はどちらも在ったが、マロウ伯爵には確信があった。王国軍元帥アント伯爵は裏表のない実直な人柄であり、国や王家への忠誠心も高い。問題はその妻、クーク夫人である。
「まあまあ」
「ホホホ」
庭園で、上品な老貴婦人達は大口も開けず上品に笑い合っている。1人は国防大臣マロウ伯爵の妻、刺繍名人のギモーヴ夫人。もう1人は王国軍元帥アント伯爵の妻、お菓子作り名人のクーク夫人だ。数十年来の友人である2人はひとしきり笑い合った後、呼吸の間もおかず唇は曲線を描いたまま瞳に鋭い光を湛えて、マロウ伯爵に向き直る。
「とても興味深いご提案ですこと」
「それで、筋書きを書いたのは何処の誰方様かを教えてくださるのでしょう?」
数十年もの間、軍人の妻として在る女性陣の瞳に宿る光は抜き身の刃にも似た鋭い光があった。喉元に剣を2つも当てられ、また夫人らの力も借りたいマロウ伯爵は全てを詳らかにして素直に助力を求めるに至ったのだが、その条件が「第三部隊長の夜会への参加」であった。
「たかが女1人の心も解せぬ者に、果たして、そのように大きな御役目が務まりましょうか」
名より実を取る現実主義者は、柔和に微笑んだ。




