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ケルノン26歳、夏。~恋の道は一日にしてならず〜

 絵を描く手を休めて、顔を上げる。談話室には今にも崩れ落ちそうな本の塔が幾つも乱立していて、その間から見え隠れするのは、並んで座るひと組の男女。


「………」

「………」


 熱心に本のページをめくる2人の間に会話はない。でも、時折視線を交わらせて微笑み合うその姿には言葉以上の絆が感じられ。何よりも両者の美しさは、神の啓示を受け賜うたとされる天才芸術家の彫刻をも凌駕する圧倒的な美は、隣に在るに相応しいとすら思わせる。

 それでも。


「お嬢様がた、少し休憩しませんと」


 返事はない。

 悪意などではなく、本気で聴こえていない。


「なんだ、まだやってるのか」


 塔2つ分の本を集会所に返却しに行ったダルドワーズも呆れた声を上げる。

 そもそもこれは優雅な読書タイムなどではない。寄贈された娯楽本に少々不道徳な物語が混じっていたらしく、その検閲のために行っている()()だ。そのため2人とも、右手で本を支え左手の親指で紙の端を擦るようにして高速でページをめくっている。パラ、パラ、というような穏やかな音ではなくビュンビュンの方が近い速さで、果たしてちゃんと読めるのかと思うけれど、文字の間違いなどを見つけてボソボソ呟いているから、大丈夫なのだろう。これも父方の血筋だろうか。


「ケルノンの方は、終わったのか?」


「はい。後はお嬢様にご確認いただくだけです」


「今回は…、なるほど、お姫様の話か」


 依頼されたのは、塔に閉じ込められた姫君が勇敢な王子に助け出される話。金の髪の見目麗しい王子様と可憐なお姫様は最後に結ばれて幸せになる物語だ。

 お嬢様に他意はない。けれど、つい、穿った見方をしたくなる。



 ―マディの王子は、誰?



 姫君にとって英雄でも、その家族にとっては、どこよりも安全な場所で大切に守ってきた宝を言葉巧みに攫って危険に溢れた世界に連れ出す大悪党だ。だいたいにして囲われて育った姫君が世俗で幸せに暮らせるなんて―――



 ピィィィィィィィィ!!!!!



「うわぁぁぁぁぁ?!!」

「えっ?!何事????」


 耳をつんざくけたたましい音に、仄暗い考えは一瞬で吹き飛んだ。耳を塞ぎながら辺りをキョロキョロ見回せば、ダルドワーズが鉤型に曲げた指を口に入れて立っている。指笛だ。


「そろそろ休憩に入れ。カミシバイの練習もあるんだろ?」


「あ、もうそんな時間か。あれ?」


 ついさっきまで確かにフルンの隣に座っていたお嬢様がいない。読んでいた本はカウチソファの上にあり、本の塔もそのまま。1人の少女が、煙のように忽然と消えた。


「マディも。さっさと出てこい」


「はぁーい」


 声の在処を探していると、テーブルの下から、のそのそ動くものがある。


「さすが、早いし無駄な動作が少ないな」


「安全確保は自己防衛術の基本です」


 満足気に頷く軍人はともかく胸を張って答える方は、瞬時にテーブルの下に隠れたのは、自己防衛術などなくても生きていける安全安心な村に生まれて育った少女である。

 そうでした、そうでした。うちの村の姫君はお強いんでした。荒んだ乱暴者だった少年を悪気なく制して体力勝負で勝つくらいには、高い塔に閉じ込められれば壁を壊してでも自力で脱出しそうなくらいには、お強いんです。見た目によらず。


「今回の紙芝居はね、ダクスにお願いしようと思うの」


 落ち着いて座り直し、皆にお茶が行き渡ったのを見計らい、お嬢様が言い出した。


「何か用事でもあるのか?」


「ううん」


 首を振り右手の指を揃え、男3人に向けて小さな手招きをする。そうして小声で曰く。


「あのね。バンタルとダクス、いい感じだと思わない?」


 一拍の間を置いて、フルンと目が合った。

 暴力的で社交性皆無だったのを心身ともに叩き直された少年バンタルの想い人は、誰がどう見たってお嬢様だ。


「そうなのか?」


 例外が、いた。


「バンタルって、言い方がちょっとぶっきらぼうでしょう?でも、ダクスの前だと素直なの」


「ああ、確かに」


「集会所でもね、2人だけで仲良く話してるし」


 彼が素直になれないのはお嬢様の前だけで、それは明らかに照れ隠しだ。ダコワーズと話しているのだって、およそお嬢様絡みだろうに。


「それにね、もし次に王都に出る時はダクスも行きたいって」


「そうか。学院の入学準備でバンタルは間もなく王都に発つんだったな」


 本来、愛だの恋だのに関して、お嬢様も大概鈍いが、その義兄もなかなかに鈍感だ。それが間違った方向に気を利かせた挙句、なんとなく事実のように確定してしまっている。その惨状にフルンが哀れみの情を浮かべて集会所の方角を見遣った。

 この男の、こうした人の良さが癪に障る。顔は極上で生まれた家柄も良くて本人の職業も次男という身分も、婿に迎えるなら申し分ない。その上、性格まで良いなんて、非の打ち所がないのが癪に障る。高位貴族なら貴族らしく平民や移民を見下して、使用人なんて調度品以下の、路傍の石くらいに思っていればいいのに。


『ぼくらも気をつけないとね』


 唇の動きだけで伝えてくる、その気安さも。癪に触るくらい憎らしいのに、嫌いになれない。


『同感です』


 俺の、俺たちの姫君は強いし優しい。

 だから、王子様なんて、必要ない。

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