カザンディビ31歳、夏。~ブラザー・コンプレックス~
「スュトラッチ医師、文が届いておりますが検めますか?」
「いいえ。その封筒は弟からでしょう、此方へ」
弟フルンが王都を去って数日後、北の薬草園で不要となった書物を送る準備が整ったと手紙が届いた。その返信に、数人の教え子がこれから病気や事故で亡くなるらしい事を世間話として書けば、次に届いた手紙には村の皆が健やかである旨と共に、兄を気遣う言葉が書き連ねてあった。
不思議なもので、同じ邸に暮らしていた頃よりも、職務こそ違えど同じ職場に勤めていた頃よりも、王都と北の地とに離れている今の方が、手紙ではあるけれど、よほど親しい対話をしている。
「弟様といえば、東国で崇められているとの噂を耳に致しました。なんでも神の如き新薬をお作りになられたとかで」
「その件ですか」
夏至祭のひと月が終わり雨が降り出した頃、「フルン・スュトラッチにも医薬の心得があるのか」と、ある筋から問い合わせがあった。その時と同じ答えをまた口にする。
「弟は我が家に伝わる古い書物の解読をすべく、これまで研究を重ねていたのです。その薬も古文書に記載のあったものを、祖父が調薬したのですよ」
「ああ、なるほど。異なる道を歩まれても、やはり偉大なるスュトラッチ家の使命を胸に刻んで居られるのですね」
助手の言葉に、表面上は笑顔を作りながら心の中に苦いものが拡がる。弟は、古代語の解読をしたくて今の地位にいるのではない。単に、彼にはそれしか無かったからだ。
成長するに連れて髪の色が段々と薄くなり、金色に近くなった頃、弟の部屋は本邸から離れに移された。かつて叔父が、弟と同じ色を持つ天才少年が暮らしていた時のまま残された部屋に、孤独と死への恐怖だけを連れて。そうして彼は恐らくそこにあった書物に心の拠り所を求めたに過ぎず、その意思に高尚さなどない。
「同じ道を歩んでいたのでは辿り着けない境地が、往々にして、あるものです」
口にして、虚しさが過ぎる。それは今なお色を喪わない鮮烈な記憶。
王立学院の図書館で運命的といえる出会いを果たし。その時から当分の間は、弟よりも兄の方に心を開いていた筈だ。それがいつの間にか彼の手の中に居て、今も同じ屋根の下で暮らしている。
――弟は、いつもそうだ。
母は狂ったままに弟に殺意を向け、長年仕えた使用人は弟に叔父の面影を見出して嫡男に向ける以上の気遣いを見せる。兄は、教育係に筋が良いと褒められるほかは構われもせず、然りとて蔑ろにされることもない。ただ、家族内では空気のようだった。
皮肉なのは、そうした環境下にあって、自身を唯一気に掛けていたのが、弟だということ。叔父ヘルゲートと同じ髪色と瞳を持つ、幼い弟だけが、カザンディビの存在を確かにしていた。
「――!」
受け取った封筒を開ければ、ほのかな薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。香水の強い香りではない、淡く儚い残り香に、思い出すは北の村の屋敷での夜。白く柔らかな腕に命の鼓動のないのを確かめて、血が騒いだ、一夜の思い出。
「…貧民街での、遺体検視の所見は上がっていますか?」
「え、ええ。提出されたと聞いています」
手紙から視線を離さず問うた内容に、助手は面食らいながらも答える。
「私も一度、目を通したい。手配願えますか?それと、王国軍の衛生講習でしたか、次の機会には、私が行きますので調整を」
弟には出来ない、スュトラッチ家の教育を受けた人間にしか成し得ないこと。それを、由緒ある医家の後嗣としてではなく、“ただの私”に求められた。ならば、ただの一介の医師として応えるのが、手紙の主への誠意だろう。そう信じて。




