マドレーヌ14歳、夏。~恋の道は一日にしてならず〜
「きみをずっと愛していた」
掴みどころのない飄々とした態度から一転、真剣な眼差しに、熱を宿した瞳に、射抜かれる。ざわざわと胸が騒ぎ微かな痺れが全身に広がった。
「叶わない想いとわかっていたけれど、ずっと、きみだけを見てきた」
跪いて告げる言葉は祈りにも似て。窓から差し込む光と風が、少し癖のある金色の髪を撫でていく。
「でも、もう、自分の心に嘘は吐けない」
差し出された手はピアニストのように細く長くしなやかで、関節の太さや掌の大きさに、やはり男性だったのだと再確認する。頭は霞がかったようにぼんやりとして、そんな事だけを考えていて。
「愛おしい人よ。どうかぼくに、きみの隣に立つ栄誉をお与えください」
その言葉を残して、世界から音が消えた。
それは錯覚に違いないけれど、その瞬間は、確かにそう感じて――――。
「マドレーヌ?!!」
どこか遠い場所から聴こえた悲鳴にも似た声と慌ただしい物音に、何故だか安堵した。
*****
「この度はたいへんにご迷惑おかけいたしまして…」
「ううん、ぼくの方こそ配慮が足りなくて」
ぽかぽか陽気が心地よい昼下り、前庭に設けられた東屋には互いに謝り倒す男女がいた。彼らの間にあるのは、重ねた黄色い表紙の粗末な書物、娯楽本である。
「午後は、普通の朗読でお願いします」
「そうだね。今日のところは」
「えー!また演るんですか??」
「早く慣れないと危険だよ。身を以て解ったでしょう?」
「はぁい…」
空と同じくらい晴れ渡る笑顔で無理難題の克服を告げる従兄には、そういえばSっ気があるんだったと思い出し、マドレーヌは紅茶をひと口啜る。薬草茶ではなく紅茶なのは、気付け薬も兼ねているから。
「時間はあるからね、のんびり進めようよ。でも、ああいうのに弱いなんて、ちょっと意外」
恋に溺れるさまを「のぼせ上がる」とはよく言うが、娯楽本のクライマックスで男が女に愛の告白をするセリフをちょっと気合と本気を込めて読んだだけでおいしく熟れた果実みたいに真っ赤になって、文字通りのぼせて倒れる人間は、そうそう居ない。
「せん…、フルンお兄ちゃんだって知ってるでしょう?」
「なに?」
「学院内で仲良くってもプライベートでは殆どお誘いされないわたしのぼっちぶりです」
遠い目をして口元だけの薄い笑みで、見つめる先は虚空。お誘いの類は本人の知らないうちに悉く握り潰され、更には「本人以外ほぼ全員集合」な現場を目撃してしまったマドレーヌである。自信を無くすのも宜なるかな。
「…ごめん」
それもこれも大部分がコメルシー父子のせいで、残りはキエフルシ公爵家やデライト侯爵家が正式にマドレーヌの後ろ盾となったせいで、人目のある王立学院で堂々と親しく振る舞ってきたポルックスやフルンのせいもちょっぴりある。女学院生ならまだしも異性が迂闊に近付けば各家から顰蹙を買いかねないと親も子も尻込みしているうちに、本人はさっさと卒業してしまったのだ。従って、マドレーヌの認識では、学院内における自己の評価はとても低い。地を這うトカゲよりも低い。
「いえ、過ぎたことですから。少ないですが仲良しのお友達もできましたので強く生きます」
何かと接点の多い同世代の男どもの排斥に成功し初心なままに安心安全な村に閉じ込められた喜びと、お誘いを握り潰した者の責任を感じつつ謝れば、やはり遠い目と達観した声で返される。
これ以上の深入りは危険と察し、フルンも紅茶で唇を湿らせた。久しぶりの紅茶は渋みが少なく、花の香りがふわりと広がる、軽やかな味わいだった。
「ともあれ。娯楽本はその名の通り娯楽に特化しているから、わかりやすい表現が用いられるんだろうね」
娯楽本は文字が読めて可処分所得があり礼節に厳しくない人間、有り体に言えば、王都に暮らす中流階級の平民をメインターゲットにしている。そのため貴族社会特有の、持って回った遠回しな表現や過剰包装気味な褒め言葉はあまりなく、愛を捧げるにも直情的な言葉が用いられる。
「そっか。一言ひと言が情熱的なのは、そのせいなんですね」
それが恋愛初心者かつ枯れ気味の人間には些か刺激が強かった。要は、慣れない口説き文句の連打に目を回してしまうという、年頃の娘に在るまじき体たらく。
「叔父様も相当だと思うけど?」
「父さんのは、前置詞みたいなものなので…」
当然ながら、家族から親愛の情を向けられることはあっても恋愛感情を向けられる機会などない。そう伝えればフルンはピンク色の長い髪を右手で一房そっと掬い取り、左手で娯楽本一冊選び抜き、ぺらりと捲る。
「何も言わず、ただ、この胸に飛び込んで来さえすればいい。俺はお前を腕の中に抱きしめ“愛してる”と囁いて」
「―――――ッ??!」
そっと髪に口付ける仕草に、普段と違う粗野な物言いに、演技とわかっていても意識が空白になって。
「あの男がしてやれない事を全部………」
そこまで読んで、フルンは本をパタンと閉じた。そうして積み本の中には返さず、そっと自身の傍に置く。
「この本は、この村では禁書の類です。後で男爵の元に持っていきます」
「もしかして…」
「夫のある女性に言い寄る男の話です」
手を離し居住まいを正し、教師然とした口調になるフルンに問えば、あらぬ方向を向いて返答があった。娯楽本が山のようにある中で、つい昨年まで夜会に出席しては気紛れに既婚女性と枕を交わしていた男が偶々手に取ったのが不倫をテーマにした一冊とは、皮肉が効きすぎている。運命の女神の仕業なら相当に悪趣味だ。
「…子供が読んでも大丈夫な、健全な本、ですよね?」
「そもそも王都の倫理観がアレだから、王都住まいの子供なら平然と読むね」
ちゃんと一夫一妻制を貫く家も多いけれど、華やかな都会で小金と余暇を手にした男が次に望むものといったら凡そ決まりきっている。この本は、そうした男のロマンだかステイタスだかの陰で泣く女のために書かれたものかもしれないと思えば、日の当たらない場所に仕舞い込んだきりにするのも忍びない。
「お養父様のお手を煩わせるほどでもないでしょうから、ひとまずわたしの部屋に置いておきますよ。他にもまだあるかもしれませんし」




