フュルギエ50歳、夏。〜識る者の責務〜
「にしても。フューとダル、王都でも仲良くやってるんだな〜」
夢の世界の住人になった夫と娘を自身の元に引き寄せ甘やかし、飲み物をお茶からワインに変え、スヴァーヴァは顔を強張らせる2人に微笑みかけた。
冥府の女神のお陰で始まりの女神に何かがあって「加護」などの言葉が失われたと判明。ならば女神を降ろして直接聞いてみよう、という力技である。神々は人の願いに応じて降りてくるのではなく、降神はいつも気まぐれ。酒や踊りは巫子の体に神を降りて来やすくする効果はあれど、その気のない神を降ろす事はできない。つまり、相手の気分が乗るのを待つよりほか無い。要は暇なのだ。
「仲良くというか、今は共同事業者だな」
「何か、あったか」
ダルドワーズの言葉にいち早く反応したのは彼の父で、始まりの女神が隠れたと告げられた時も今も、表情ひとつ変えず泰然としている。
「実は今回はその件もあって、村に帰ってきた」
ポルミエ男爵とダルドワーズ。2柱の守護神像が向き合う。
「王都で疫病の兆しが見えている。これが大流行するのを、食い止めたい」
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「王国軍第三部隊が申請し許可された任務は、安全確保と人命保護である。王都を疫病の害から遠ざけ安全を確保し、更にまだ息のある病人を雨風寒さを凌げる場所に収容し命を保護する。その場所にと考えているのが、此処だ」
中央教会の聖堂の2階。
貴人用に設けられた祈りの空間、或いは、秘された目的を持って面会するに最適の空間。そこで間近に向かい合う第三部隊長ダダールは、聳える山の如き圧を感じさせる、大男だ。彼は折り畳める簡易テーブルに王都近郊の地図を広げ、一点を指差した。
「王都から馬で半日、といったところですか。この地に療養施設が?」
大司教フュルギエは地図上を指でなぞり、問う。一部の特権階級向けに高度かつ高額な医療を提供する侍医局や医務局の存在は幼少期より充分すぎるほど知っているが、国営の治療院があったとは初耳だったからだ。
その言葉にダダールは悪戯が成功した子供のように歯を剥き出しにして、ニィッと笑う。
「否。あるのは無償で使えるだだっ広い空き家と、我等がこれまで多種多様な知識や発想、業務を通して培った経験等から生まれた集合知だ」
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貧民街での警護の御礼という名目で第三部隊の面々を中央教会に呼び出したフュルギエは、この場で情報の共有や今後についての意見を交わし計画を立てようと考えていた。すると彼らも同じ考えを持っていたようで、実現可能な具体案を持って現れたのだ。
「この廠舎は古く、今となっては我々以外には好んで使用する隊もないが、厨房や暖炉などの最低限必要な設備は整えてある。また大規模な訓練に使われる場所であるから安全のために平地や森も含め塀と柵でぐるりと囲んでおり、人家もない」
「なるほど、感染症の疑われる病人の隔離に最適な環境ですね。しかし、貧民街から大量の患者をどう運ぶか、それが問題です」
「その点は、我々が元より計画していた遠征訓練の計画を利用する。可能だな?」
ダダールが首を捻り同意を求めるのは、貧弱な体つきと指のペンだこから察するに文官だろう、隣に座る男。
「はい。遠征の計画書は恙無く受理されておりますので、変更届を提出すれば第三部隊員を相当数動かすことは、充分に可能です」
「よし。戻り次第、急ぎ作成を頼む」
「畏まりました」
「待ってください。相手は未知なる感染症の疑いもあります。医務局…、いいえ、せめて、医療に詳しい者の判断を。そうでなければ貴方達までもが」
フュルギエが抑えた声で止めるのを見て、それまで黙っていた企画実行担当者ダルドワーズが、のっそり上体を動かし前傾姿勢をとった。
「大司教殿、我々の任地は時に戦場となる。戦争は刀を交えるよりも早く始まるのが常で、現場では敵方が水辺に動物の死骸を遺棄するなぞしばしば。それに対する防護策は10年以上にわたり、プロの助言も得て経験と知識とを積み重ね、技術の改良を続けている」
彼の指すプロが誰か。防護策に費やした年月を数えれば、また、この部隊には血の繋がりこそ無いが弟分として教育された者が居ることからも、それが天才ヘルゲート・スュトラッチであると疑いようもなく。潔癖症のきらいがあるヘルゲートの知識と実践法とを、彼らの職務に適応させたのならば、これほど頼れる適任者は居ない。
「ならば、危険を承知の上で。叶うのならば御助力を賜りたく。既に疑わしき症状の者が多数発生している以上、教会だけでは国を守りきれません」
そう。フュルギエが提案した教会の炊き出しは、慈善や人気取りが目的ではない。大司教という身分と権力を振り翳し、救いのない言い方をすれば、遺体が腐る前に見つけて処理をする為に、立案したのだ。王都に疫病が蔓延するのを防ぐために。―それが、スュトラッチ家の教育を受けた人間の責務として。
「無論のこと。王都に疫病を発生させるわけには行かぬ」
ダダールの力強い言葉に国軍と教会の強固な繋がりを見たか、文官は上気した顔で膝の上の拳をぎゅっと握る。第三部隊の正式な専任文官として第一部隊から異動して直ぐの大仕事、それも国の未来を左右する重要な任務に携われるとあって気合十分な様子が見て取れた。
そうこうしているうちに下階では祈りの時間が終わり、司祭が熱心な信者に向けて最後の言葉をかけていく。
「そういえば、お言葉が変わりましたね」
気付いたのは、身分は平民だが王国民として一般的な常識と信仰心を持ち合わせる文官だった。
「お言葉?」
「はい。部隊長も礼拝で聞いたことが御座いませんか?『此処に集まった皆に神のご――』…あれ?」
司祭の言葉を真似る文官だったが、最後の言葉が喉の奥に閊えて出てこない。何度試してもはくはくと息が出るだけで、声にならないのだ。
「何だ?新手のジョークか?」
「違いますよう!本当に、あの単語だけ出てこないんです」
「あの単語…?ああ、神のご――、ん?本当だな」
続いてダダールも試すが、やはりその言葉を発しようとすると喉がキュウっと締まって出て来ない。信仰心の薄いダダールはともかく文官は“神の加護が失われた”ことに慄き今にも泣きそうだ。
「たかだか言葉が失われただけだ、狼狽えるな」
神の存在は疑っていないが信仰心はカケラもないダルドワーズは、ダダールと自身の間に座る文官の態度を戒める。
「ですが!」
「だいたい、敬虔に祈りを捧げた御礼に加護を与えるなどという殊勝な考えをする連中でも無いだろう」
「「「え」」」
「ん?」
何の問題もなくポロリと飛び出した“失われた言葉”と神々への不敬に3人分の戸惑いが重なり、本人の怪訝な声は打ち消された。




