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マドレーヌ14歳、夏。~沈黙の村〜

 屈強な男達がぐったりと倒れ降る雨に打たれてしとどに濡れており、集会所には子供や女達がぴくりとも動かず横たわる。あれほど賑やかで笑い声に包まれていた村は見る影もなく、今はただ、沈黙の中にいた。


 *****


「ダル義兄さま以外、“加護”って言えないんだって」


「――、あ。本当だ。喉が締まって発声出来ないね」

「――、――、――、――。ちょっと面白い感覚だな」


 勧められるままに温かな湯に浸かり旅の汚れを落として清潔な服に着替えて談話室に向かったフュルギエを待っていたのは、何一つ変わらぬ2つの家族だった。

 夕食まで客間でゆっくりと勧められたが、緊急事態だからと早い面会を願った。すると彼らは一つのテーブルを囲んでいて、長すぎる雨にも寒さにも慌てず騒がず、温かな薬草茶を飲んだり菓子を摘んだり、銘々に寛いでいる。


「――。あら、わたくしも」


「ふむ、加護か」


「加護。あ、ぼくも問題なく発声できる」


「マディとダルとポルミエとフルンが発声できるなら、原因はだいだい予想がつくな」


 下半身を覆う布団を引っ張り上げながらスヴァーヴァはテーブル上のナッツを摘んでポイっと口に入れ、目を見開き、赤い瞳を輝かせて隣に座るヘルギとその向こうにいるマドレーヌの口にも放り込んだ。3人が並んで座るカウチの背には柔らかなクッションが置かれてあり、いつ寝ても良いように、ぐっすり寝られるように、配慮されている。


「あ!これね、わたしがよく戴いてたの。おいしい〜」


「昔のと材料が変わってる、味が違う」


「ああ、それはバターを減らして生クリームを加えてある。お前が昔食べていたのはこっちの方で」


「ふうん、こっちがマディの。あ、ヘルギのもおいしいな〜」


 炬燵で暖まりながら親子3人が摘んでいるのはフュルギエの手土産だ。母親の目を盗んでヘルゲート少年によく食べさせていたバターと砂糖を纏わせたナッツと、それに少量の生クリームを加えて作るキャラメル風味のナッツ。こちらはマドレーヌにちょくちょく差し入れてくれたものだ。それらをああだこうだ言いながら3人仲良くぽりぽり齧る姿には、緊張感も危機感もまるでない。


「家には違う新作か」


 同じように体を清めて来たダルドワーズは、全身から湯気を立ち上らせながら賞賛と呆れが7対3程度で混ざった感情を向けた。談話室の中央にどどんと鎮座する「布団を挟んだテーブル」という見慣れぬ物体を皆が囲んで足を突っ込み、お茶を啜る、そんな異常極まりない状況に驚きつつも表面上は至って冷静だ。


「あ、ダル義兄さま。蒸気浴場(サウナ)どうだった?」


「疲れが吹き飛んで体が軽い。皆が雨の中で体を冷やしてた気持ちがよく分かった」


「ええ、またなの?水浴用の水甕もあるでしょう?それなのに皆、わざわざ外に出て雨に当たってるのよ。本当にもう」


「外気と冷たい雨が殊の外気持ちいいんだ。つうか、なんであんな物を?」


「もちろん、我が家の家訓の一つ!よく寝るためよ!」


 気づけば親子3人が抱き合って眠っていた炬燵の成功で味を占めたマドレーヌは翌日から安眠グッズの開発を始めた。

 綿の吸水敷きパット。ガーゼと綿麻混合の生地を組み合わせたパジャマ。安眠効果のある薬木や薬草から抽出した精油を使ったアロマディフューザー。そして、村人の手も借りて広場の片隅に造り上げたのが、巨大な樽を横にした形状の、いわゆるバレルサウナである。


「あの、焼け石に匂い付きの水をかけるのもか?」


「ロウリュっていうの。今のところ心身の緊張をほぐすブレンドだけだけど、リフレッシュ効果とかリラックス効果のある精油も開発予定だよ」


 山の中の村だけに少し分け入れば火山岩がごろごろしており、高温にも耐え得るそれらを充分に熱して水をかければ内部はたちまち真っ白な蒸気に包まれる。内部には上下二段のベンチと一段だけのベンチを片側ずつに配置しており、体の大きな高身長者にも優しい構造にした。今は村人皆に試して貰っていて、そのうち小型の改良版を邸内に設けたいと養父に伝えてある。複雑な表情を浮かべていたが、とりあえずは頷いて貰えたので良しとしよう。


「蒸気浴場によって皆の作業効率が見る間に向上した」


 マリア商会の本店のほか各商品の生産工場もあるコメルシー村には肉体労働者が多い。従業員の多くが元軍人で体力自慢とはいえ疲労は蓄積するもので、それがサウナのお陰でスッキリさっぱり、毎日生き生き仕事に励んでいる。むしろ仕事終わりのサウナを目当てに、励みすぎている。


「ベッドにあったのも、マディの新作か?」


「うん、敷きパット。シーツよりも厚手で汗をよく吸うから寝ている時の不快感が軽減するし、清潔に保てるからカビの予防になるでしょう?ここまで湿度が高いと皮膚炎とかアレルギー性の病気も怖いしね」


「ではこの、邸内の香りもでしょうか?」


「はい。安眠効果のある薬木薬草から抽出した精油を小瓶に取り分けた火酒に落として、山に自生する細竹で作った竹ひごを挿して香りを拡散させています。火を使わないので安全ですし、特別な器具も必要ないので何処にでも置けて便利なんです。集会所に子供達を集めて面倒を見てるんですけど、お昼寝の時にも使っていますよ。あくまで試作段階なので希望者に配って感想を聞かせて貰ってて」


「希望者って村人ほぼ全員だろうが。サウナで聞いたぞ、子供が夜泣きもしないでよく寝てるって」


「香りってけっこう効果あるよね。暑くなる前に虫除けに特化したブレンドも作ろうかな」


「良いな。野営火なら薬草を焚べて匂いを出しゃあ良いけど、家の中じゃあ煙で(みた)す訳にはいかないもんな」


「やっぱり虫除け目的なら煙が一番なんだよねー。あ、そうか、蚊取り線香とか…ふむ、良いかも。あ、ねえ、これも試してみてよ!」


 早く早く、と促して立ったままの2人を誘導すれば、戸惑いから一転、足を入れれば表情がほっと和らいだ。


「やばい今すぐ寝れる」


「たいへんに心地良いものですね」


 さすがは炬燵。さすがはダメ人間製造機。その有能ぶりは健在である。


「でしょう?この前なんて母さんも父さんも揃って3人でぐっすりよ!熱源は火鉢だから燃料の節約にもなるしね」


 周囲に燃えやすい物を置いて火事になったり、布団の中にすっぽり潜って一酸化炭素中毒になったり、その点だけ注意すれば優れた暖房器具なのだ。しかも足は暖かなのに頭は冷えている理想的な「頭寒足熱」。人間の体は脳の温度が下がればたちまち熟睡まっしぐ―――。



「あ、寝た」

「寝ちゃったねえ」

「ほんとうに、ぐっすりだこと」

「誰か。ショールをここに」



 今の今まで元気よく発言していたかと思えば、コテンと頭を父の肩に預けてスゥスゥ寝息を立てる。唐突なそれはまるで絡繰仕掛けの人形のようだが、慣れているのか、大半の家族に驚きはない。


「早いな」


「それでも今回は長く保った方だよ。帰って来たのがよっぽど嬉しかったんだろうね」


 兄2人もまた温かな眼差しで見つめるばかりで、戸惑っているのはフュルギエばかりらしかった。父親に至っては


「ぼくも眠る」


 と、娘をキュッと抱き締め眠りに就く始末。そこには神経質で眠りの浅かった少年の面影はない。


「さて、そろそろ本題に移るか」


 柔らかな手つきで夫と娘の髪を撫でつつ、口火を切ったのはスヴァーヴァだった。赤髪赤眼の美女は、揺るぎない信念を感じさせる力強い瞳で一同を見回す。


「始まりの女神に何か、あった」


 その言葉に皆、固唾を飲み、次の言を待つ。


「…から伝えたいらしいんだけども、マディ、あの女神()に何か言ったか?ものすごく遠慮しているんだけども」


 よく見ればマドレーヌの側には陽炎に似た揺めきが、人型にも見えるナニカが添うている。見えづらいけれど、何かが居ることは、確かだった。


「あ。憑く前に夢枕に立つとかで合図しろって言った、あれか?」


「ダル、正解だそうだ。…あー、読めたぞ。せっかく夢枕に立って伝えようとしてたのに、本人は秒で寝るから気づいて貰えなかったか。うん、うん。そうか。うちの娘が悪いことしたな。え、良いって?ん?何?四角い…、中に…、自分がもう1人…、もしかして鏡か?あ、そういえばそんなことも言ってたな」


 陽炎ゆらゆら。透明な空間が揺らめくだけで声も姿も見えないが、巫女であるスヴァーヴァには何かが見えているらしく、部屋の隅に控える使用人に大きめの鏡を持ってくるよう指示した。どうも声でなく身振り手振りで伝えているようで、女神側も巫女側もなかなか真意が通じずヤキモキしているようだ。


 運ばれて来た姿見。誰もいない筈の場所に、儚げな若い女性の姿。艶やかな黒髪を背中に流した、金色の瞳の、神秘的な女神。


「冥府の、神」


 神官であるフュルギエは、意図せずに呟いた。

 月と魔術、豊穣、浄めと贖罪、死と出産を司る女神。聖なる書物に記されてある女神の特徴に、あまりにもよく似ている。



 ―始まりの女神がお嘆きの余り、お隠れになりました―



 その声は空気を震わすのではなく、直接頭に響いた。


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