マドレーヌ14歳、夏。~恋の指南書〜
「マドレーヌは読書好きだよね?娯楽本は読まなかったの?」
ミケーネやその周辺国についての家庭学習の合間、お茶休憩中にマドレーヌはフルンからそう問われた。
「娯楽本?、ですか?」
「そう。比較的廉価で販売されている、気軽に読める物語の本。有名なシリーズでいえば黄色い表紙の、少年少女のこぃ、、、国家を救う冒険譚なんかを扱っているんだけれど。同期生の間で話題にならなかった?」
「いえ、ありません。表紙が黄色の本なんて目立つ本、図書館にありました?」
紙は潤沢だが輪転機のない現世では、本は一頁一頁を手作業で写本しなければならない高級品。一世一代の覚悟ながらマドレーヌが王立植物園の図鑑を買い求められたのも家が裕福だから叶ったことで、要するに養父母のおかげである。ありがたや。
「図書館にはないかな。早刷りだし紙の質も悪いから劣化が早いのもあるけれど、何より公共の場に置くような高尚な内容じゃあないと言われていてね」
「?じゃあ、皆さん、どうやって娯楽本を読んでいるんです?」
「買う人もいるけれど…王都に貸本屋があったでしょう?」
早刷りはいわゆる版画の手法で印刷される。版があれば早く大量に刷れるが質はイマイチ。それでもちゃんとした書籍に比べれば安いが、廉価とは言い難い。
そんなわけで蒐集家や資産家ならいざ知らず、庶民の間では専門書は図書館で閲覧し、その他の書籍は貸本屋で借りて読むのが主流。特に娯楽本は「程度の低い人間」と侮られるし、物によってはなかなか際どい内容のため手元に置くのが躊躇われるのだ。どれくらい際どいかは、母親が嫁ぐ娘を案じて房中術の指南書として支度道具に潜ませるくらい、といえばわかりやすいか。
「かしほんや?」
「十五番街の目立つところにある店だよ」
「じゅうごばんがい?」
「………」
「………」
「まずは、、、王都にいる時、純粋に娯楽目的で行ったことのある場所を聞いてもいいかな?」
「フルンお兄ちゃんと一緒に行ったところ以外は、ほとんど知らないです」
「それは光栄だし嬉しいな。そっか、ぼくと一緒に…」
フルンは人混み慣れの名目で連れ出した際、ケルノンやバンタルと行った場所も残らずすっかり案内させていた。思い出の上書きというやつだ。そこで何かしら買って贈ろうとしたが断られ続け、挫けかけたところで、露店で売っていた陶器のカップを色違いで購入し、互いに贈り合うことになった。同じ釉薬でも炎の状態によって出来上がりの色が異なるとかで、ピンクと紫、まるで誂えたようにぴったりだったし、サンカエン・カンゲンエンと聞き慣れない単語を連呼してはしゃぐマドレーヌへの贈り物には、これ以上ないとも思われたからだ。
ともあれ、王都での楽しい思い出のほぼ全てに自分が登場すると思えば喜ばしい。が。
「一緒に行ったのは、サーカスやオペラや、まあ、立ち寄ったカフェなんかはともかく、殆どが博物館や美術館なんかだよね」
「はい、とっても楽しかったです!特に植物園では多くの知見を得ました!父さんも母さんと出掛けたみたいで、帰ってくるなりお養父様に苗木をおねだりするくらい気に入っちゃって」
「そっか、、、うん、良かった」
昨年の花の月から夏至祭直前までの1年と少しという短い期間とはいえ、栄華を極める王都に滞在したなら、もう少し気の利いた店なり男女が逢瀬に使う場所なりを知っていても良さそうなものだ。
現に、社交界デビューと王立学院習得科の入学を機に都会へ出てきた地方領主の子息や令嬢は、王都暮らしの同期生らに教えられた華やかな世界にどっぷりハマって身を持ち崩すことも珍しくないのだ。これも、悪意のないこともあれば、ライバルを蹴落とす目論見であることも多い。彼ら習得科生は学院入学の時点で既に社交界デビューを済ませており、貴族や上流階級者の仲間入りを果たしている。つまり、社交界と同様な騙し合い化かし合い足の引っ張り合いが、入学と同時に始まっているのだ。
「田舎者でも楽しめる場所が煌びやかな王都にもあるんだって、びっくりです。やっぱり需要が多いと受容の幅が広いんですね」
「特に、きみは静かな場所でじっくり過ごしたいタイプだからね」
「都会向きじゃない体質な自覚はあります」
人混みと騒音が目を回すほど苦手。国内一の人口密度を誇る王都では、これだけで訪問先が限られる。更に。
サーカスの時はいつ何があっても良いように近くに待機していたけれど、常の場合は目的地の前で馬車を降りて三刻後に広場の馬車留めから家に帰るのが街歩きの条件だった。
じっくりたっぷり文化鑑賞を楽しめば約束の時間まであとわずか。夜になれば男女の逢い引き場所として有名な公園も、日が高い時間だ、恋人たちも節度を持って寄り添う。いかがわしい地区はまだ眠りに就いており、目に入るのは太陽神に恥じない、健全で美しい、平和な光景そのものである。
「前途は多難だなぁ…」
呟き、薬草茶でひと心地。
色恋沙汰から完全に遠ざけられて美しいものと愛らしいものと深い深い家族愛だけに囲まれて育った姫君を、豊富な知識と高い洞察力推理力を使って斜め上方向に解釈する鈍感娘を、盲目の愛に溺れさせる難しさをひしひしと感じつつ、フルンは今後の特別授業の内容を思案する。
「娯楽本はその性質上、物語の中に流行を取り入れるのが早くてね。生きた文化書でもあるから、読んでみない?」
悲恋に溺愛、身分違い…、娯楽本は恋愛もバリエーションが豊富で、綺麗事が詰まった健全な本ならば、恋心を抱かせられなくとも”恋に恋する“状態には持ち込めるのではないか。
幸い、娯楽本は子供ばかりでなく大人にも密かな愛読者が多く、愛好家のサロンもこっそり開いていると聞く。夜会でよくフルンに話しかけてくる夫人もその1人で、貞淑な彼女は夫が愛人とよろしくやっている間、娯楽本の甘やかで美しい世界に浸っているのだとか。そして、幾つかの本ではフルンが登場人物のモデルになっているのだとも教えてくれた。夫人の言う「1人の女性を一途に愛する男」とは、”真実の愛“の物語なのだろう。夏至祭前に聞いた話ではあるが、人気のある物語らしい。
「おもしろそう!読んでみたいです!」
「わかった。王都の知人に頼んで、幾つか見繕って貰うね」
手を握ったり、見つめあったり、ダンスをしたり。時には嫉妬したり行き違いや思い違いから悲しんだりして。思い合う2人は最後に結ばれて幸せになりましたとさ。
そんな健全な恋模様を描いた、細身の金髪男が登場する物語。きらきら輝く宝石みたいな恋を物語から覚えさせ、実践に繋げていけばいい。望む娯楽本の内容をつらつら便箋に書き綴って、ふと、フルンの手が止まる。
「しまった…。こんなお願いを聞いてくれそうな友人なんて、居ないんだった…」




