カストル・テュンダ24歳、夏。~盤上軍師〜
「強大なる王国軍を支えるものは何か」
「はっ!国家への忠誠であります!」
部隊長の問い掛けに即座にそう返したのは誰だったか。少なくとも、今の今まで自分を嘲笑っていた連中の1人には違いない。
それに頷いた部隊長は更に視線を横に向けて答えを促す。視線を向けられた者から次々と出て来る答えは「誇り」に「使命」「優れた頭脳」といったもので、王国軍人に相応しい気高さ勇ましさに満足したか、さらに大きく頷いては口角をきゅっと持ち上げ笑顔になる。そうして。
「建前はな」
抑揚のない無感動な声。まるで冷や水を浴びたかのように心臓が潰され熱くもないのに汗が全身に滲む。
それは周囲皆そうであったようで、先程まで「満足のいく回答ができた」と鼻を高くしていた者たちは却って青褪めている。部隊長はその表情を一つひとつ確認し、私の前で視線を止めた。呼吸を整え、拳を握り、覚悟を決める。誉れ高き王国軍に、在るべきではない、東の果てで見た事実を告げる覚悟を。
「恐れながら申し上げます。我が軍を支えるのは……、貧困層の若者であります。移民、貧しい農民、そうした者たちが、その命に軍服以下の価値しか国に与えられぬ者たちが、豊富な人的資源として在ることで、我が国を脅威から守っておるのです」
*****
「テュンダ中尉は婚約が決まって精彩を欠いたな」
「以前はもっと勇敢な攻め筋だったのにな」
いつものように盤上軍師に興じていると、遠くからそんな声が聞こえ、続けて鼻で笑われた。
差し筋を変えたのは、以前に第三部隊に所属するコメルシー大尉との対局で戦法を序盤から見通されたのも一因ではあるが、もっと大きな要因は、初めて訪れた東の砦だ。
「これは…廃墟ではないか」
「テュンダ領ではあり得ない、否、あってはならない事だ」
テュンダ家が抱える兵士が茫然と見上げるのは、ところどころが崩れて朽ちかけた古い遺跡だった。建国以来、東の国境を守ってきた要ともいうべき砦は、破れた煉瓦の隙間に野の石を積んで埋めたきり修繕も碌にされず、背丈の短い草にすっかり覆われた大地に聳えてあった。
「戦死者の館へようこそ、辺境伯家御一行様。歓迎致します、と言ってもこの有り様なれば、満足のゆく持て成しは御勘弁を」
勇敢に戦って死んだ戦士たちが迎え入れられるという神世の宮殿の名を挙げて皮肉な笑みを浮かべて出迎えたのは、この砦の責任者だろう。力強い四角い顎に無精ひげを生やした中年男は屈強な肉体を深緑色の軍服に包み、薄茶色の鋭い瞳をこちらに向けている。宿るのは警戒心か敵愾心かを傍らのポルックスに尋ねる前に、真っ先に動いたのは義父上だった。
「『刀破りの狂戦士』殿とお見受けする。此度は視察の受け入れに感謝を」
頭こそ下げはしなかったが略礼でもって敬意を表する義父上に感情は幾分か和らいだか、第三部隊第一小隊長で階級は少佐という彼は返礼の後、部下だろう1人の男を呼び寄せた。
男は決して貧弱ではないが、身に纏う礼装用の軍服は肩の位置も袖や裾の長さもまるで合っておらず、借り物だと一目で判る。
「家名が絶えて久しいが、一応は青い血を引く。案内はこの者にさせるゆえ、心ゆくまでご覧あれ」
そう言って此方に背を向け去っていく小隊長の姿からもポルックスの硬い表情からも、我らが歓迎されていないのはヒシヒシと伝わった。先ほどの返礼も、ただ、礼には礼をもって返したに過ぎない。
「どうか、お気を悪くなさらず。ここは遠地なので日用品の補給が追いつかないのです。そこで、皆様を迎えるにあたり、今ある礼服の中で最も傷みの少ないものを選んだ次第で」
案内役として残された男の言葉は虚偽であり、また真実だろう。物資の補給がなかなか来ないのは事実だが、恐らくその理由は、御用業者の悪意ある職務放棄だ。
「貴殿は、現在、少佐に次ぐ地位にあるのか?」
「いいえ。穢れた血の者が青き血の者と関わることは固く禁じられておりますために、私が案内役に任ぜられました」
「それは誰の命か」
「軍部の、上層部の総意と聞いています。平民出身者の多い我ら第三部隊の所属員は皆、入団にあたりそのように教わります」
我が家の兵士は目を見開いてざわつき、義父上からは怒りが炎のように揺らぐ。侵攻してくる敵国を最前線で迎え討つ武人に対する、敬意の欠片もなき非道は、同じく東の国境を命懸けで守護する武人にとって、俄かに信じ難いものであった。
「支配階級にとって、我らは国家と連中に奉仕する奴隷ですから」
語る声に怒りも悲壮もなく、斯く在るべき当然のこととして認識しているようだった。そうした待遇に置かれると知っていて、何故、王国軍人を目指したのかを問うた私は、実に愚かであった。
「価値のない命の使い道で、最も家族の為になるのが王国軍人でしたので」
貧しい家に、それも次男以下に生まれた者は、食い扶持を減らす意味も兼ねて志願するという。戦死したら家族に恩給が入るから、それも目当てにして。
彼らが従うのは、使命感でも誇りでも、況してや在りもしない国への忠誠などではない。命の対価として与えられる“彼らの身分にしては”大金で、それによって得られる家族の幸福だ。ああ、これが最前線で、命懸けで国を守る武人の姿だと誰が思う?これが現実の歩兵だと、誰が知っている?
『歩兵の扱いだろう』
盤上軍師で相手の敗因を問われて、そう答えた男の声が甦る。
『歩兵を取れば、そのうち身動きが取れなくなりますでしょう?』
穏やかな、それでいて全てを見透かすような、少女の声。
そうして続くは。
『歩兵のない戦争は負け戦』
***
「歩兵を安易に使い捨て、不足した資源を何処から調達するか。それを決定するは、軍人を“国家と支配階級に奉仕する奴隷”と考える者達。もしも現実の戦で第三部隊という便利な捨て駒が無くなれば、次の駒を調達する場は」
「第二部隊だろうな。それも、テュンダ辺境伯家の後継候補であるカストルを除く、だ」
部隊長からさらりと告げられる、起こり得る現実に、周囲から音が消えた。
「第一は高位貴族、第四は海防の任務で離れられまい。対して我々はどうだ?少なからず平民の出も居れば、実戦に役立つ開発をしている者ばかりでもない」
盤上軍師のプレイヤーだと、自身が提案した巧みな戦術で鮮やかに敵を退ける華やかな未来を、心のどこかで思い描いていた。しかし、そうではないのだと、有り体に言えば自身もまた駒の一つに過ぎないと思い至った。彼らの表情からはそうした想いがありありと見え、同時に、東の砦で己もまた同じような顔付きをしていたのだろう。あの時、あの瞬間まで。自分は口先だけの、盤上だけの、愚かな軍師気取りであったのだ。
「そこまで思い至れば、尚更、闇雲に歩兵を消耗させる戦術を採るべきでないと、考えた次第です」




