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マドレーヌ14歳、夏。~恋せよ乙女〜

 微かな揺れを感じて、目が覚めた。


「?!!」


 フリルとレースで飾られた掛け布団の上に、白い影が一つ。燭台もランタンも遠く、固く締め切った窓からは微かな月光さえも入り込まない暗闇の中、それはベッドに横たわる体に覆い被さって自由を奪い、ゆっくりと顔を近づけてくる。吐息も熱も感じられるほど近い距離。



 ―これは、夢?それとも……。



 覚醒前のぼんやりとした視界いっぱいに自分を見下ろす菫色の瞳には、焦燥が宿っていた。


「マドレーヌ?」


 夢か現か幻か。確かめるように、愛しい(ひと)の名を、いま最も近くにいる人の名を呼ぶ。


「フルンお兄ちゃん。わたし…わたし!」


 フルンの上に伸し掛かった白い影は、確かな熱を持ってフルンの名を呼んだ。


 *****


 王立学院でやり残した“恋心を抱く”という課題を出されたマドレーヌはその夜、ふかふかの布団に1人(くる)まれながらこれまでの事を思い出していた。


「思い返せば、思い当たる節は幾つもあったのよねぇ…」


 マドレーヌが“淑女の必須科目”で及第点を取れるように、教師でもある従兄(いとこ)フルンはこれまでも密かに補習授業をしてくれていたのだ。早朝の“壁ドン”も、恋人のふりも、蔦の家での唐突な質問も、そう考えれば全て合点がいった。

 フルンの職業は王立学院教師。家は伝統ある伯爵家。いわゆる社会経済的地位の高い人間だ。噂に聞く限り社交界の人気者で、数多の女性を虜にしているらしい。つまり、身の破滅を招くリスクを冒してまで、つい先ごろまで子供だった女性を騙す理由も必要性もない。

 ここから導かれる答えは何か?



「そうか!“教育実習生はモテがち”理論の延長ね!」



 他よりも若くて自分達に近い、けれども教師だから、親も女学院生も安心してキャーキャー言っていられる。要は、おぼこい娘相手に悪事を働くロマンス詐欺犯よりも安全かつ確実に「女学院生に恋心を芽生えさせる」役割も、こっそり担っているのだろう。


「よーし。そうなれば明日からバリバリ特訓かぁ!」


 これまでのフルンの奇行の理由も判明して心置きなく眠りにつき、翌早朝すっきりした頭で考え直すと、すっきり出来ない重大な問題が判明した。



 ―これ以上、何をどうすれば良いんだろう?



 従兄からの特別補習授業では、その時々で驚いたり動揺したりはしたけれど、まだ恋心らしいものを感じていないと思われた。なんなら、揶揄われて腹立たしい、が勝っている。



 ―もしかして、かなり難しい課題なのでは?



 前世の記憶を辿れば、恋愛の経験は、大人の男女の関係も含めて無いわけではない。けれどそれは遠い遠い、大学時代のこと。就職してからは研究職(しごと)と日々の暮らしと奨学金の返済に忙しく。中年以降は気儘な独身生活でいろんな趣味や習い事に手を出して忙しく。

 そんな感じで色恋とは無縁なまま、胸の高鳴りにときめきじゃなく動悸が疑われる年齢まで生きて生き切ったせいで、初恋はもちろん恋愛に至るまでの諸々なんてすっかり忘れてしまった14歳が、今ここに、パキッと出来上がってしまっていた。


「大変です!わたし枯れてるかもしれません!」


「枯れ…?ええと、何のこと?」


「見える!見えるわ!無味乾燥な日々を送る未来が!」


「どうだろう?マドレーヌなら無味乾燥な日々とは縁遠そうだけど」


 視線が合うなり訳の分からないことを言い募るマドレーヌに驚きつつも、フルンは起き抜けのうまく働かない頭をフル回転させて会話を繋げる。そうしてやっと、「自分は恋愛への興味が薄い人間かもしれない」と言いたいのだなと理解した。長い戦いだった。


「それはさて置いて。ねえ、マドレーヌ?今の状況、分かってる?」


「あ!こんな朝早くに突撃してごめんなさい。戻ります!」


「そうじゃなくて」


 白を基調にしたロマンティックな部屋の中、ベッドに仰向けで横たわるフルンの上には純白のネグリジェ姿の天使が覆い被さっている。夜明け前の邸内は静かで、他に人の気配はない。


「あのね?夜着のまま寝室に忍んで来られたら、男は期待しちゃうよ?」


 まるで天国みたいな光景だと思いつつ上体を起こし、腕を伸ばして小さな体を引き寄せれば容易に胸の中に落ちて来る。布団越しとはいえ柔らかな温もりを感じながら、髪の毛に、頬に、指先でそっと触れる。続いて額に唇を落として様子を窺うも、嫌がる様子はない。


「いいの?」


 返答のないのが答えだと都合よく解釈し、指で顎を軽く持ち上げてこちらを向かせた。その唇は甘い蜜をたっぷり隠した花のように、その頬はまるでマシュマロのように、移り気な蝶を惹きつけ誘う。夜の名残りは今まさに、息を殺して抱き合う男と女を淫靡な世界に引き摺り込もうとしていた。


 けれど。


 このまま唇を重ねれば、それだけでは済まなくなるだろう。怖がられても拒絶されても、たとえ泣き叫ばれても、この身に溢れる醜い欲望を囲う強固な鉄柵(しがらみ)が失われたならきっと最後まで――。


「ちゃんとダメって言わなきゃ。ほんとうに危険なんだからね?」


 なけなしの理性と嫌われる恐怖が唇から鼻先へと僅かに方向を変えさせ、()()()キスをする。代わりに人差し指を愛らしい唇に当てて、感触を確かめた。

 そんな男の心の中の勇敢なる戦いを知ってか知らずか、薄暗闇の中、大きな瞳が爛々と輝きだす。


「やっぱり!思った通り!」


「うん?」


「昨日の夜、考えたんです。フルンお兄ちゃんは王立学院公認の、プロの惚れさせ師なんじゃないかって!」


「惚れさせ師」


「はい!女学院生に恋心を教える、特命全権大使です」


「特命全権大使」


 外からは見えないだろうけれど、厚い布団のおかげで感じ取れはしなかっただろうけれど。強烈な欲求と闘ってなんとか勝利したばかりのフルンは酷く疲れていて、そこに王国語なのに意味不明な単語を捲し立てられ、精神状態はもはやボロボロだ。



「ごめん……ちょっと、休ませて?」




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