マドレーヌ14歳、夏。~ホーム・スクーリング〜
「それって思いっきり他人ですよね?」
「端的に言うとね」
「言語も人種も宗教観も丸っと違うのに“我々は兄弟”なんて、どう捉えれば理解できるものでしょう?」
「その辺りの独特な精神構造が、半ば孤立している所以でもあるかな」
夏至祭中に行われた大人達の話し合いで、来年には2家族全員でミケーネ国に遊びに行くことになったらしい。せっかくの旅行を存分に楽しむために語学教師の力を借りて今から現地の事前学習をしているわけだが。
「おばあ様たちの出身国を、妙な言いがかりのために利用するなんて」
最後の女帝スウェイビアが即位してすぐにミケーネ国に併合され消滅したビアーノ国だが、その後、王国を挟んで遠く北方にある国が「新生ビアーノ国」を名乗りだした。何でも遠〜い遠〜い遥か昔に旧ビアーノ国のやんごとない血筋に連なるお方を迎えたことがあると言うのが理由らしいが、その血筋というのも“天璋院様のご祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥の娘”並のこじつけだ。
それほど無理のある主張をしてまでビアーノを名乗る訳は、新生ビアーノ国が「資源はあるが技術はなく、更に慢性的な食糧不足に陥る国」だからに他ならない。親戚である技術大国ミケーネから技術を無償で提供させるか資源を売って得た資金で食糧を買い付ける……のではなく、王国に攻め入り土地を奪い自国の食糧増産に充てようとするものだから、ミケーネ国はしっかりシカトしている。新生ビアーノが誇る資源とやらも、ミケーネにしてみれば輸送料に加えて幾つもの国に税を支払ってなお得たいと願うほどの価値はないのだろう。
「ミケーネ国でも今のビアーノ国の評判は悪くてね。そんな訳でスウェイビア様がご即位された国は“古ビアーノ”と呼んで区別しているんだよ」
「なるほど」
「ミケーネは元より技術力の高さで知られていたけれど防衛面が弱かった。そこに“古ビアーノ”が培ってきた高度な軍事力を取り込めるとあって、マドレーヌのお祖父様とお祖母様の婚姻は両国の民に喜びを持って迎えられたようだね」
「そういえば、おばあ様は自分たちが政略結婚だって言ってました。だから母さんが父さんとちゃんと恋愛して結婚したのが嬉しいって」
「ううん、まあ、本当のところは当事者にしか判らないけれど。同じ政略的な婚姻でも、相手が誠実か否か、互いを尊重する思いがあるかどうかは重要だよね」
フルンの見る限り、王子殿下夫妻も、夫の方が妻にぞっこん惚れ込んでいるように思われた。彼は策を弄するタイプであって、ヘルギのように片時も離れたくないとべったり張り付くタイプではないだろうから、それを見て育ったマドレーヌでは判じ難いのかもしれない。
「そうですよね!マーシャルお姉さまもメティお姉さまも、お家の都合で結ばれた間柄でもお相手が誠実だからとても幸せそうですもんね」
「そうだね。ナウルはすっかり愛妻家で知られているし、ラデュレの方も愛されていて幸せそうだよ」
王都に出た際、情報交換のために会ったラデュレは、いつも通りの生真面目な顔をしていたけれど、話を聞けば近頃とみに妻から熱烈な愛情を向けられ戸惑いつつも満ち足りているようだった。身元のはっきりした者しか入店できない「紳士倶楽部」の、それも個室とはいえ、赤裸々なまでの惚気を聴かされそうになったのも愉快な思い出だ。
…夫や支援者の寵が薄れてきたご婦人がよく使う特別なお薬を「飲み物に入れると癒し効果が期待できる甘味料」「眠る前の最もリラックスした時に飲むと良い」とその日のうちに贈ったのは、遅すぎる初恋を拗らせているフルンからの、思いが通じ合う2人への、ちょっとした意地悪である。
「話を戻すと。そうした理由もあって王子殿下はビアーノ国の公爵家からミケーネ国王女である母親のほうの籍に移してから婚姻したので、ミケーネの姓を名乗っているんだ」
「なるほど。それでお養母様は王族の生まれで歳が近かった母さんの護衛になって、今に至るんですね」
誰からの贈り物か、カッティングの美しいインク壺に真っ白な羽ペンを浸して教わったことを熱心に書き留めていくマドレーヌの頬に、フルンは人差し指をそっと滑らせた。
きめ細かな肌は張りがありつつも吸い付くようで、そのまま顎を持ち上げて唇を奪いたい欲求に駆られる。くすぐったかったか、ぴくんと肩が跳ね唇の隙間から漏れる「ん」という小さな声が欲をそそる。
「睫毛が付いてた」
「ありがとうございます」
咄嗟の嘘を疑う心も警戒心もまったくない、無防備な姿。廊下に繋がる扉こそ開いているけれど、部屋には2人きり。
ここはコメルシー邸独特の広い前室で、奥に続く扉の向こうには大きくてふかふかのベッドがある。いっそ、このまま抱き上げて寝所に運んでしまおうか。それとも並んで座るソファの上に押し倒してしまおうか。
「改めて、母さんの家とお養母様の家との関係がよくわかりました。ありがとうございます、フルンお兄ちゃんのおかげです」
邪な考えは、その澄み切った声と眼差しに霧散する。
流し目で見遣り、或いは耳元で幾つかの定型文を囁き。以前ならば、相手がマドレーヌでなければ、何も考えずとも行えていた一連の動作が、菫色の瞳の前ではどうにも難しく。
従兄と従妹。
その確固たる枠組みがあればこそ、体に触れることが許されている。反面、これ以上先には進めない。ならばと枠組みを壊せば、家族愛はあっても男女の愛が宿ってもいない今、さらりと逃げられるだろう。完全なる板挟みだ。
「フルンお兄ちゃんは頭が良いだけじゃなくて教え方も上手ですよねえ。人気教師な理由も頷けます」
マドレーヌの言葉がフルンの脳天を貫いた。他意のない言葉だったが、それはまるで天啓のように、思えた。
教師と教え子。
もう一つの確固たる枠組みで、新雪みたいに真っ白で無垢なる少女の心に自分の痕をつけるのに、便利な立場。
フルンは居住いを正し、お茶で唇を湿らせると、隣に座る少女に真正面から向き合った。
「ねえマドレーヌ。来年には社交界デビューするきみに、教師として教えておかないといけないことが、あるんだ」




