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ナウル・デライト26歳、夏。~王都の日々~

「ええと、この事例は…」


 秘書官がぺらぺら捲っているのは、分厚い紙の束に穴を開けて紐で括っただけの粗末な装丁をしているが、ナウルの執務室内で最も価値の高い書籍だ。


「『天使の目録』、終わったらこっちに回してください」


「次は自分に」


 いつしか『天使の目録』と呼ばれるようになったそれは、男爵令嬢で二国の王族の血を引く天才少女マドレーヌ・コメルシーの置き土産。陳情内容の項目を開けば過去の事例の在処が一目瞭然という、大変に有り難くも制作過程をよくよく考えれば恐ろしい代物だ。ともあれ、この目録のおかげで自主退職した他の宰相補佐が受け持っていた仕事を回されてもほとんど残業をせずに済んでいる。


「あー。この味、落ち着きますねえ」


 休憩中に飲むのは、彼女が村から送ってくれた薬草茶。父親と2人、或いは祖父も交えて3人が仲良く並んで作業する様子が目に浮かぶ。


「このヒバチもあったかくて最高です」


 足元を暖める火鉢に木炭、薬草茶、そして天使の目録。執務室内には彼女の存在が其処ここに感じられる。それだけに、今ここに居ないことが、堪らなく寂しい。


「それにしても。室長の評判は止まるところを知りませんね!」


「最悪の結果を回避したのだもの、まだまだ足らないくらいよ」


 テュンダ家と外務局からサンクロワ国の王子の()()が身籠ったとする情報が寄せられた。愛妾とはプティチエ・モロコ男爵令嬢だろう。かの国の王子達の縁談は既に解消されており、その原因となったのが我が国の者となれば国際問題だ。

 けれど、貴重な医薬品の無償提供という実績と、王国の辺境伯家との縁談を円滑に纏めたことで相手国からの印象は今のところ良い。ある1人の少女も「高位貴族から破談された阿婆擦れ」から「国家の事情に振り回された哀れな令嬢」になり、更に彼女の学友だった令嬢の関係者による芝居興行の甲斐もあって「兄と慕う婚約者の幸せを願い身を引いた健気な少女」とまで言われている。本人が知れば思い切り眉根を寄せそうだ。


「コメルシーさんも、思えば室長が見出されたのでしたね」


「そうだったわね。さすがの慧眼でいらっしゃる」


 そもそもの動機がフルンへの嫌がらせで、実際はそれもフルンから仕組まれたものだった、とは言えないナウルは苦笑したまま茶を啜る。優しい香気と仄かな甘さが心地よく体に沁みた。


「夏至祭でもミケーネ国の方々と交流を深められたとか」


「あくまで私的な会であったが、二国の関係が良好なものになれば幸いに思う。…余計な働きをした者が居たようだがな」


 今や王国を政治的に纏め上げている影の枢軸が集まったあの時、マドレーヌの出自を初めて聞かされた面々は声も出ない程に驚き、その上で義父を含めヘルゲート・スュトラッチ少年を知る者達は慄きながら「コメルシー嬢に失礼は働いていないよな?」「処分対象ではないよな?」と、過去の言動をしきりに気にしていた。

 そうして互いに安全を確認した後、それまで後回しにしていた、ミケーネ国への親書に不要な提案書を潜り込ませた宰相補佐(おろかもの)を探し出し、「職を辞して逃げろ今すぐに!すべては命あっての物種だ!」と鬼気迫る勢いで詰め寄ったのだった。何しろ夏至祭の前に国王の私室、それも最も警備が厳重な寝室に、ヘルゲート・スュトラッチの生まれ年の赤ワインがぽつねんと置かれて王宮内が騒然となったのだから、宰相補佐なんて小物を()()するなぞ造作もない。


「スュトラッチ家も関わるあの件ですね。…王都から引き上げるという噂もありますが」


「それは…。何としても阻止せねば、荒れますね」


 スュトラッチ家は医師を志す者たちに深く信奉されている医薬学の大家だ。公明正大、公平無私、清廉潔白などの言葉で語られる彼らが居なくなれば、その後釜に座ろうとする者達が金と権力と裏工作を総動員して争うだろう。


「ただでさえ医薬品が不足気味というのに、そんな噂が立てば、一層の不安を抱える事になります」


 低温により薬草の出来が悪く、また長雨が続けば不調も増える。そこで神の子孫たる御方々への充分な量を確保するため臣下への薬の提供を控える、というお達しが医務局から出された。

 例年にない悪天候続きなのを考えれば真っ当な理由ではあるけれど、その医務局の主席医務官で侍医局員も兼任する優秀な医師がカザンディビ・スュトラッチというのを考えれば、()()()()の意味も多分にあるのでは?と邪推せざるを得ない。彼もまた、マドレーヌ・コメルシーを愛してやまない1人だからだ。


「まあ。一時のことと思えば、それほど不安視することもなかろう」


 王都では本人不在のままに、彼女をよく知る者たちが地位と権力と伝手とを総動員して名誉の回復と報復に勤しんでいる。それらが上手く働けば、近いうちにお仕置きも終わるはずだ。

 デライト家にも先ごろ子爵から伯爵となった家から希少なワインが祝い品として届き、そこのご令嬢が彼女の学友であったのもあって、その御礼として家に招いてマーシャルとたっぷり世間話をしたそうだ。知らなかった武勇伝と功績を余すところなく仕入れたし、ちょうどいい代役も見つかったと語るマーシャルは、素晴らしい笑顔だった。年若くとも侯爵夫人として存在感を示しつつある妻に任せておけば、婦人方の口を塞ぐことは可能だろう。


「……この雨が止む頃には、きっと」



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