フルン26歳、夏。~傾国の悪女〜
「叔父様に抱きしめられるとすぐに寝ちゃうんだね」
きらきらした目で元気よくおねだりしたかと思えば、腕の中に囲われて背中をポンポン軽く叩かれた途端にくたりと全身から力が抜けて夢の中。叔父様は薬草園にある平屋を暖めるよう使用人に命じると、眠る愛娘を宝物みたいに大事に抱えて談話室を出て行った。
「ヘルギさんが寝かしつけ担当だったからな。今でもその習慣が身についているんだろう」
「へえ。それぞれ担当があったの?」
「親父と母さんが躾係でスヴァさんが運動全般。俺はまあ、遊び相手だな」
「家族みんなで子育てか、いいね。この国では乳母や幼児期教師任せが普通だから」
「幼児期教育か。ウチじゃあ寝かしつけにヘルギさんが昔読んだ本を誦じたり、スヴァさんが剣術や馬術の鍛錬をするくらいだな」
「それはまた、豪華な教師陣だね」
「お陰で俺も多少は食える野草や薬草に詳しくなった。剣術だのはまあ、見ての通りだ」
求められる役割があるというのは、重責であり重荷であり苦痛でしかなかった。それが失われた天才少年ヘルゲート・スュトラッチ、誇張された話でしか知らない相手なら尚更だ。
けれど大切な女性の為になるのなら、自分にしか出来ない役割があることが途端に誇らしく思える。そう、社交界を渡り歩いてきた軽薄なぼくならではのやり方で、あのくだらない劇の興行を終わらせるのだ。悲しみの中にいる仲良し家族が直接手を下さなくて済むように。
*****
王立学院教師の職を辞するために王都へ出てみれば、振られてもいない失恋男の腹いせか持たざる者の嫉妬か、馬鹿げた作り話が広く流布していた。
だから、久しぶりに夜会に出て、こう言う。
「王都を離れる前に、挨拶したくなってね」
情報を広く遠くまで撒き散らすには速度が必要だ。風に乗せるにも軽い方が良い。その発信源となる舞台選びに何よりも重きを置いた。寮に届いていた誘いの中から軽薄な人間の多く集まる夜会を選び、無礼を承知で当日参加の約束を取り付ける。
思った通り、生粋の遊び人である主催者は驚いて尋ねた。「それは何ゆえか」と。
だから、続いてこう言えば、出来の悪い劇は強制終了に向かって自動で動き始める。
「ぼくのお祖父様は賑やかなのを嫌うでしょう?従妹を連れて国外に行くらしいから、通訳として帯同するんだ」
元侍医局長が国を出る。
その意味を、それが王国に及ぼしかねない影響の大きさを、恐らくこの場に居る大勢は認識していないだろう。
侍医局長は王族の既往歴や健康状態、過去の治療内容をすべて把握し、最適な治療方針を決める任を負う。侍医局に入局するには医務局の主席医師を規定年数だけ務めねばならず、その医務局は外に出せない特別な薬を扱う部署でもある。過去とはいえ、そうした経歴の持ち主が他国に移住しようとしているなんて、国を根幹から揺るがしかねない。
この夜会に出席するような人々ならば、軽やかな舌に乗せてぼくの噂を広めてくれる。その風はすぐに道理を知る者達にも作り話の作者にも届くはずだ。
―元侍医局長が国外行きを決めた理由は何か。
その頃には、謝意を行動で示さねばならないくらいの大ごとになっていることだろう。
―元侍医局長が国を出る理由となったのは誰か。
その頃には、すべてが終わっていることだろう。




