ポルックス・テュンダ24歳、夏。~傾国の悪女〜
「それでは、この婚約を進めるぞ」
「「はい」」
土砂降り続きの王都でこの日、テュンダ辺境伯家の未来を担う2人の婚約が決まった。相手は彼らの戸籍上の叔父の娘で、従妹にあたる双子の姫君。二代続けて同じ家との縁繋ぎとなるが、テュンダ家の血を混ぜたいこちら側と、自国の有責で婚約が白紙撤回されたにも関わらず未だ何かと粘着してくるサンクロワ国に対抗できる強固な後ろ盾が欲しい向こう側との、秘された思惑が合致したが故の、政略的な婚姻である。
「婚姻の式典は来年だ。王族と辺境伯家との婚姻としては期間が短いが、御理解頂くよりほかあるまい」
「此度のご縁は我らが身に過ぎたる幸運です。異国に嫁いで来られる姫君達が憂いなくお過ごしいただけるよう万事、整えましょう」
会ったことのない姫君だが、近衛として王族の近くに侍ってきたポルックスだ。一般的な王族の女性が好む文句や贈り物や仕草は心得ている。
―乗り気でないと、どうして言えようか。
胸に燻る想いに、甘やかで苦い想い出に、そっと蓋をして。
―すべては国とテュンダ家と、何よりも1人の少女の名誉を守るために。
*****
「まさか……」
ひと月以上にも及ぶ東国周遊から戻り王宮に報告を上げに行った日、ポルックスはナウルに内々の要件で呼び出された。
今回の遠征でテュンダ家はサンクロワ国に立ち入ることは叶わなかったが、国境を接する国々でも毒麦の害が確認されており、治療薬とその発案者である麗しき青年の噂は瞬く間に広まり、密かに国境を越えて薬を求めに来る者もあるほど。加えてテュンダ家の武力と王国の評判も高められて誇らしい気持ちは、一瞬で霧散した。
「試しに街へ出て訊いてみるといい。平民や下位貴族の通うような店では、何処も”傾国の悪女”の噂話で持ちきりだ。…仮婚約の解消の件も、あちらに非があるように、言われている」
「な、ん…」
恐れていたことが、今になって、現実になった。
実情はどうであれ辺境伯家と男爵家では家格の差が大きく、“身分が上の男から婚約を解消された女”が面白おかしく噂されない訳がない。もしも辺境伯家に非があっても、身分が下の、それも男性よりも立場の弱い女性に、すべてを押し付けて阿るのが上流階級者の“斯く在るべき”処世術だ。
「このままではテュンダ家も巻き込まれる。その前に手を打ちたい」
ナウルが寄越した書類は、婚約を願う請願書。相手は――。
「国にとっても、テュンダ家にとっても、悪い話ではないだろう」
我々兄弟にテュンダの血は流れていない。先々代テュンダ辺境伯の実子の娘である姫君達を娶ることで次代に正統なる血を繋ぎ、名実ともに辺境伯領をテュンダ家の治める地として安定させることができる。国防の面でも理に適うものだ。
「あ、の、マド……彼女は、まさか」
ナウルに宿る深い悲しみと後悔の色。
家族が増え、此度の東国関連の事業で名を上げたナウルが、その色を纏う理由は。
「…村で、皆に囲まれ、元気でいる」
「そう、か」
揺らぐ感情。理性的な彼に珍しいほどに、負の感情がその身をぐるぐる覆っている。私にも話せないことがあって、それは彼女に起因する、重大な秘密ということか。
「この婚約によってコメルシー家の不利益になるようなことは、無いと考えても?」
「ああ、約束する。我々が…、彼女を真に敬愛する者達が、如何なる手を使ってでも、それをさせない」
「ならばお受けする。…義父上よりも兄よりも、先ず私に話を持ってきてくれ、心を決める時間をくれた事、感謝する」
「何をこの程度。我々は、あの冬の時を共に過ごした、替え難き友人だ」
頭では理解していても、重要な場面になるとうだうだ悩んで後手に回りがちな性格を理解して。多忙な宰相補佐がわざわざ時間を取って質疑応答の時間を設けてくれたのだ。役割を果たさねば、泥を被ってでも国を守ろうとした彼女に顔向けができない。
「私もナウルのように、温かな家庭を築けるようにしなければいけないな」
それから数日の後。『運命の女神に導かれし恋人』が上演されている劇場のすぐ近くで、小さな劇団が公演を始めた。
あまりに身勝手な運命に翻弄された若く美しい女性の心の傷を、優しき青年将校が癒して結ばれるラブ・ストーリー。その舞台には、青年将校を兄と慕い幸せを心から願う幼き少女が、ほんの一瞬だけ登場した。




