エーブレス・キーバー14歳、夏。~傾国の悪女〜
「なん…、で…」
大通りから1本外れた、庶民的な店が並ぶ道沿いにある大衆酒場。名士が集う高級店ではないけれど下位貴族や平民階級でも裕福な者が利用する店の一角で、ぎゃあぎゃあ騒ぐ賑やかな一団がいた。彼らは一目で貴族子息と判る身なりで、昼間から大いに酒をかっ喰らい、下卑た笑いを上げている。それが第三者からどう見られるのか、どんな評価が下されるのか、考えもせずに。
「しっかし。あの女には騙された!お前が本当の姿を忠告してくれなかったら危ないところだった」
グラスを勢いよくテーブルに叩きつけて言ったのは、子爵家の次男だ。
「ああ!おとなしい顔をして、まさかあんな人間だったとはな!」
鼻息荒く同意するのは、騎士を目指しているはずの、男爵家三男。
「俺は怪しいと思ってたね!」
骨付き肉を摘んでしたり顔で言うのは男爵家の長男。そう、彼は正妻の子ではないため家の後継は彼の異母姉に決まっている。
一団の面々が見知った顔ばかりなのは当然だ。彼らは王立学院の同期生で、ある1人の少女を「天使」と崇めていた者ばかり。それが夏季休暇の開放感からか、酒酔いの心地よさからか、名前こそ出してはいないけれど、それが誰なのかわかるように、かつての「天使」のありもしない悪評を広めていた。その中心に居るのは…。
*****
「ムラング嬢。報せてくれたこと感謝する」
「頭をお上げください、キーバー男爵」
「いや。知らずいたままならば我が領は近く破滅していたろう」
エーブレスがブラッスリーで見聞きしたすべてを父に報告すると、父はすぐさまムラング家に面会を請う手紙をしたためた。それくらい、事態は深刻だった。
「ありがとう、ココ嬢。お陰で道を誤らずに済んだ」
「いいえ。…親しいご友人を失うのは、お辛かったことでしょう」
これからは当主同士の話し合いだと応接室を出され、ムラング家の私的な部屋に案内された婚約者未満の2人の会話は、エーブレスの謝罪から始まった。
納得できないまま父に押し切られる形で「幼馴染とは無関係だ」と手紙に書き、そのまま王都に出立した。するとキーバー家が社交シーズンに借りている家にココから返事が届いていた。王都に出るとは伝えていなかったが、ココはキーバー家が必ず王都に来ると確信していたようだ。その手紙はエーブレスへの気遣いに溢れており、彼らが入り浸っているブラッスリーの場所と、この文章で締めくくられていた。
『マドレーヌ様がわたくしの大切な友人でありムラング家の恩人でもあるように、貴方様にとって幼馴染という方は大切な存在であることでしょう。ですから、その目でお確かめになられた方が、宜しいかと存じます』
それは、友情や楽しい思い出で曇った目を醒ましてくれるには充分すぎた。
キーバーの食堂で目撃した彼女とごろつきの話し合いを悪意を持って捻じ曲げ得意げに周囲に語る幼馴染も、よく知りもしない少女を悪し様にこき下ろす連中も、まるで別人のようで。彼女を娼婦かの如くに悪罵し笑う彼らに品位なんてものは微塵も感じ取ることは出来なかった。
「いい加減にしろ」
そのうち、ずっと黙っていた1人がやにわに席を立ち、下劣な同期生達をじろりと睨め付けた。
「大切な話があると言うから来てみれば、想いが叶わない相手を罵り貶めるなど紳士の風上にも置けない所業だ。金輪際、お前達との縁を切らせてもらう」
彼は、中堅どころの商家の嫡男である彼だけは、酒ではなくコーヒーを飲んでいた。だから周囲がどんな目で自分たちを見ているのか、冷静に判断出来たのだと思う。
他の同期生が呆気に取られるのを尻目に彼はスタスタと店を後にし、その途中、帽子を目深に被ったエーブレスと目が合うと小声で囁いた。
『あの男のことは諦めろ』
それが、すべてだった。
残された連中は彼を指して「平民の分際で」などと憤っているけれど、彼の家の後ろ盾は伝統貴族の伯爵家で、その伯爵家はキエフルシ公爵家の子飼いの家。そして、マドレーヌ・コメルシー男爵令嬢はキエフルシ公爵家に後見を受けている。つまり、彼らはキエフルシ家に真正面から喧嘩を売ったのだ。たかが子爵男爵の、それも嫡男ではない、行く末は平民になる連中が。
『謝罪して、赦して頂こうなどと、ゆめゆめ考えるでないぞ』
王都へ向かう馬車の中、父は息子に告げる。優しい彼女ならば、困ったように笑って、許してくれるのではないかと心の隅で思っていた。その甘い考えを見透かしたように。
『互いに学院生であったならば、そして学院内にのみ噂を広げていたならば、御慈悲もあったかも知れぬ。けれど既に御卒業された今、我等とは御立場が違うのだ』
―王家の血を引き、準王族たる公爵家を後ろ盾に持つ、ご令嬢。
その重みがこの時、実感を持って、ずしりと心に響いた。




