小さな小さな「ぼろ橋」の時間と、僕。
その日僕は、「新しい話」を紡いで行く「昔の寓話」を見た。
敢えて例えるならば、それは二律背反なのか、非現実的な「不条理」な只の夢なのか。
或いはメビウスの輪が紡ぐ、あちこちに無数に存在する「巡り巡る」、僕の意識が辿り着いたパラレルワールドの一つに「無意識」や「潜在意識」が勝手に投影した「夢」だったのだろうか。
きっとそうだろう。
疲れていたんだ。
うんざりしてたんだ。
だからあんな夢を見たんだろう。
・・・・・・
それにしても。
子供の頃の夢を見るのは久しぶりだった。
雲一つない、突き抜ける様な澄みきった青空。
心地よく吹き抜ける風は、上空では雲を払い除けるように、一方では僕らが見えない、「ここではない、遥かどこか」に向かって雲を呼び込んでいるかの様に、少しも休む事なく、地上で聞く「僕ら」にはサワサワとしか聞こえない位の、でもせわしなく忙しい音をずっと鳴らしていた。
僕は顔を上げる。
水面から出した僕の顔には、情け容赦ない夏の日差しが照りつける。
「暑っ‼️」
僕は思わず顔を沈めて、少し泳ぎながら進む。
「ぷはあっ‼️」
息が続かなくて、顔を上げて見上げた目線の上には、小さな橋があった。
小さな川の両端に跨がる、やっぱり小さな橋。
今ではもう使われる事はない、古くてくたびれ果てた、小さな橋。
「ぼろ橋」
僕らはずっとそう呼んでいた。
九州の田舎の夏は早い。
それに、「プール」なんて上品な場所で泳ぐ習慣は、どこをどう探したって、「あの日」の僕らにはなかった。
メダカが泳ぐ小さな川。
泳ぐのに飽きたなら、手製の釣竿(糸に針をぶら下げただけの物だった)に、その辺で適当に捕まえた餌をぶら下げでもしたら、結構な確率でアブラメが釣れて楽しかった。
そんな小さな川。
僕たちは、夏休みのとっても熱い日には、決まってそこで泳いで遊ぶ。
川遊びをした事をお父さんに報告すると、決まって嬉しそうな顔をした。
「お父さんのお父さんの、そのまたお父さんの頃から、みんな夏はあの川で泳いでたんだよ。」
「ぼろ橋は元気だった?」
お父さんはいつも同じ事を聞いてたんだ。
僕はいつも「元気だったよ‼️」
と答えたけど、何だか「ぼろ橋」が「元気」だなんて、ちょっとおかしくて、その度に僕は少し不思議な気持ちになった。
「あの橋はもうずっと使われてないけど、ずっとずっと昔からあって、川から上がった時に、あの橋が見えたら何となく安心したなあ。」
ってお爺ちゃんも言ってたなあ。
ってお父さんもずっと言ってたっけ。
「あー!疲れた‼️」
泳ぐのにも疲れて、僕は川の真ん中に付き出した岩によじ登り、ゴロンと横になった。
相変わらず夏の太陽は熱いけど、水面から上がって来る風が気持ちいい。
「何やってんだよ!」
皆の声が聞こえて起き上がる。
視線の先には、いつもと変わらない「ぼろ橋」が見える。
ずっと変わらない「ぼろ橋」
ずっとずっと、お父さんのお父さんの頃には、古くてもう使われる事がなかった「ぼろ橋」。
でもきっと、それが出来た時には、皆が喜んで行き来したに違いない「ぼろ橋」。
「ぼろ橋」はどっちが幸せなんだろうね。
「昔かな?」
「今かな?」
ううん。
いつかは壊されちゃうかもしれないけど・・・
「もっと先かな?」
もしかしたら、「新しい橋」が「ぼろ橋」って呼ばれて、いつか失くなるまでの全部の時間が、「ぼろ橋」にはずっとずっと幸せな時間だったりするのかなあ。
今はもうだれも渡らないから、背中がギシギシ軋む事はないよね。
元気だった頃は「まだまだ‼️」って笑ってたのかなあ。
ちょっと草臥れた頃には
「いつもお世話になっております。どうか程々にお願い致しますね。」
なんて内心思ってたりしてね。
それでも、今でも皆が「ぼろ橋」を見て、それを変わらずに「ぼろ橋」って呼んで、「ぼろ橋」は生まれてからずっとずっと、僕やお父さんや、お父さんのお父さん。
・・・周りの皆に大事にされてるんだもんね。
だって、みんなが「ぼろ橋」を覚えてるんだもん。
僕らだって、きっとずっと覚えてるから。
幸せだね。
「ぼろ橋」




